旅行記の最後はお義姉さんの事

 夫の4人の姉の4番目。夫の兄弟で残っているのは3人。夫と大阪に住むすぐ上の義兄。そしてこの義姉。甥っ子は長姉の息子。

 

 ブラジル行のそもそもの始まりは、甥っ子が義姉に聞いたこと。

「ミー姉ちゃん(甥っ子姪っ子は彼女の事をそう呼ぶ)ブラジルに行きたい?」

「行きたい」との返事。その後近くの山の中腹から頂上までさっさと歩く姿を見て、甥っ子は「この足取りと元気なら招待しても大丈夫」と思ったようだ。

 2度も3度も「飛行機の切符取ったら変更は聞かないんだからね。気持ちは変わらない?」と念を押した。行きたい気持ちには変わりがなく、それからが大忙し。切れた旅券を取りに行き…もう使わないから捨てようと思っていたのよ。いえいえそれがあると無いとでは大違い。捨ててなくてよかった!…夫が同行。その時に言った言葉が女性だ!と思わせた。「美容院に行って髪の手入れをするので2,3日待ってほしい」

 

 7月ころから準備をして8月にはサンパウロまでの往復の行程がすべて決まった。11月の初め頃になると夫に「あんた変わっていってくれない」とか、松山に住む姪っ子に「あんたが行けばいいのに」とか言い始めたが、すべて無視。

 「ダメ。代わりは聞かないんだから」

 荷物を送ってからは観念したみたい。松山から羽田、羽田から成田空港と二人の珍道中が始まった。空港では「待つ」もの。

 そして長時間のフライト14時間。乗り換え3時間そしてまた14時間。私はビデオを見たりしていたが、彼女は機器に疎いので早々使いこなせない。行きはずっとフライト状況の画面を見ていた。

 サンパウロに着いてから、荷物の事でちょっとヒヤッとする場面もあったが無事甥っ子たちに会えた。

 それから3週間、あちこちに連れて行ってもらったが、疲れたの言葉もなくさっさと歩き、持ち前の好奇心丸出しで・・・夫が心配していた。私とうまく旅行ができるだろうかと。その時に浜松に住む姪っ子が「大丈夫よ、2人とも好奇心丸出しだから馬が合うよ。心配ないよ」と言ったそうだ。彼女は私の事までよくわかっている!・・・

いろいろなところを見て回った。

 高いところから街並みを見るたびに「いいところだねえ、近くだったらここに住みたい」と何度も言っていた。アチバイヤで、カンピーノで、ベドラグランで・・・

 

 帰りの便は甥っ子が手配して80歳の特権を使った。年寄りにやさしい国!

 乗り換え案内などしてくれるそうだ。ところがそれには条件があった『車いすに乗ること』

 楽ちんだけど二人とも少し抵抗があった。お義姉さんは、嫌がっていた。私は経験だと思って楽しんでいたけれど。車いすの係の人が来るまで動けないという不自由さはあった。ドーハで乗り換えのゲートがすごく遠く、探してもなかなか行けないようなところだったので、そこだけは連れて行ってくれた。80歳特権はありがたかった。

 成田に着いても、そのサービスはついてきた。係りの人が迎えに来た。私とお義姉さんは「車いすサービスは、いりません」と同時に断った。

 その時の彼女の歩く姿は颯爽としていた。

 帰国してからも元気で(時差ボケなどなかった?)一人暮らしをしている。

彼女は自己紹介する時に言う。

「米寿を迎えたばあさまです。戦争体験者ですよ」と。