甥っ子の言葉で決めた滞在期間3週間。

「広いブラジルを見るのに1週間や2週間の観光に来るなんて」と彼の姉である姪っ子2人が訪伯した時に言った。夫や息子は行ったことがあるから「1ケ月でも行っておいで」と言う。

 すったもんだの末、団体旅行をあきらめ(旅費が高かった)ていたところ、義姉が「行きたい」と言ったことがきっかけで甥っ子が招待してくれた。「3週間」と決めた。往復の切符はすべて私がネットで取った。HIS (成田からサンパウロまで)の切符は外国生活の長い甥っ子の友人に助けてもらった。折よくブラジル滞在ビザが廃止されたので幸運だった。

 松山から羽田へ、羽田から成田へ。成田でカタール航空と受付までが初体験。ドーハでサンパウロ行の搭乗口を聞くこと。ゲートを探すことなどなどひやひや物の旅行だった。帰りは甥っ子が手配してくれたので悩まなくて済んだ。唯一ドーハの待ち時間9時間は長かったけれど。

 さて旅行をしない時の甥っ子宅での生活。アチバイヤと言う街の市場に行き、、ベドラグランジュと言う岩山に車で登り、在伯40年から60年と言う人たちにも出会った。

 甥っ子の娘二人、息子一人の生活も垣間見た。3人とも日本に来て私たちに会っているので「ひさしぶり!」という感じ。

 長女はサンパウロ(アチバイヤから70キロは離れている)に住んでいて、近くに東洋人街があったので散策した。後ろのイラスト(落書き?) は警察署の壁。一般的な汚い落書きを防ぐために先手を打ってこんな楽しい絵を描いたんだって。えらい!

    

次女の方はカンピーノ(アチパイヤから100キロは離れている)と言う街に住んでいる。商社に勤めていたらしい得れどすとれるがたまって仕事をやめた。好きなお菓子パン作りをしている。記念式典の準備の時に皆さんのために焼いてきたケーキ。美味しいと評判なんだそうだ。私も二切れ頂いた。

        

 好きなパンを作りその間にあちこちの山を駆け巡るという生活をしているらしい。愛媛にも着て新宮村を走ったことがある人なんだ。

 その時一緒にいた長男の方は皆さんに行き届くか見極めて自分も食べていた。この心遣いには感服した。彼はアチパイヤ市内に家族4人で住んでいる。かわいい子供が2人いる。帰国するときに絵をかいてもらった。今私の机の前に飾っている。

         

 20代でブラジルに移住した甥っ子夫婦。いろいろ苦労があったけれど(強盗に3度も入られて、今の家に住む)立派に花農園を経営している。南の方で取引先が水害にあったと聞けば「できるだけ便宜を図ってあげて」と従業員に指示していた。

  奥さんは、あまり小さなことにこだわらない。もうすっかりブラジル人。ちょっと困ったことを話しても鷹揚に受け止めてくれた。すぐに打ち解けた。日本で1度会ったことがある。人見知りする私だがすぐにお互いの性格がわかってツーカーと話が弾んだ。3週間もの滞在の間、食事などいろいろ気を使ってくれていた。ありがたい存在…心から感謝と言いたい。