2024年の正月は何故こうも、悲しい出来事が続くのか・・・元日の能登半島地震に始まり、2日のJAL機海保機の衝突事故と・・・亡くなられた方、負傷された方、被害に遭われた方、謹んでお見舞い申し上げます。

 

個人的には三が日最終日の今日も、悲報が襲った。17時35分、筆者の唯一無二と言っても良い親友(Oさんとしよう)が急逝したと言うのだ。

 

この親友は、筆者が大学時代のサークルの1コ上の先輩だ。筆者はM大學ジャズ研、OさんはH大學ジャズ研。1980年代後半の当時、M大學とH大学のジャズ研は交流があり、お互いのサークル内のジャズ・セッションを行き来していた仲だった。

 

Oさんとは学生時代からインストのジャズ・バンドを結成し、2017年まで幾度となくジャズ・ライブを演ってきた。筆者は残念ながら、2019年でこのバンドを脱退してしまったが、これまでご厚誼をいただいている誰よりも親交が長く、1980年代後半から数えて優に30年は超える親交が続いていた。

 

そんな大切な仲間が、いきなりこの世を去ったと言うのだ。

 

訃報を聞いたとき、「嘘だろ?」「正月から冗談は寄せよ」「ご両親ではなく?」と、耳を疑った。でも確かに、ご本人の急逝と、LINEメッセには書いてある。

 

?確かまだ、56歳だったよね?(筆者より年は1コ上)急逝?脳(クモ膜下出血とか脳出血)の病気かな?確か2009年に脳を直撃する大怪我を負っていたし・・・

 

程なくして、これまた学生時代の親友(こちらは同期)からTELがあり、要約するとこうだ:

 

  • 昨年の10月に御尊父がご逝去
  • 実家に母親がお一人
  • 正月に母親一人では・・と思い、Oさんだけ帰省(実家は愛知県豊橋市)
  • ご実家で急に様子がおかしくなった
  • かなり以前から顔に黄疸の症状(健康ではない)
  • 腎臓・肝臓の数値は以前から異常値
  • にもかかわらず過度の飲酒
  • 葬儀はご実家のある豊橋で

あまりにも若過ぎる死に、言葉を失っています。個人的には、専業のミュージシャンとなった筆者を、見守って欲しかった。
 
そして可哀想なのは、Oさんの母上。息子2人を産み育てたのに(Oさんは長男)、弟は学生の時に飲酒による事故で亡くし、今度は長男であるOさんを過度の飲酒によるご病気で亡くし・・・息子2人とも酒で失ったことになる。不憫で・・・
 
ここに謹んで、哀悼の意を表します。本当は生き返って欲しいけど、天国で安らかに眠って欲しいです。
 

Oさんの生前の勇姿。筆者にとって、2017年9月30日の青山Sea Birdでのライブでご一緒したのが最後になってしまった。2012年11月に行ったレコーディング時の写真とともにOさんに捧げ、ご冥福をお祈りいたします。