ロンドンのソーホーにあるロニー・スコッツ・クラブで聴いたロイ・エアーズ(vib)。聴いた後、余りの演奏の素晴らしさに、思わずこのライブ盤(!)を買い求めた。このアルバムにも収録されている”everybody loves sunshine”が秀逸で、兎に角後ろにクるグルーヴ感、天井を突き抜けんばかりのパワフル感、ハンパなかった。なお、”everybody loves sunshine “は最近では黒田卓也氏(tp)が、彼のblue note デビュー・アルバムでカバーしていた。
 
8/4(火)より入院することは既に書いたとおりであるが、入院に際して重大なことに気づいた。入院期間中、ピアノが弾けないことである。最大2週間入院と聞いた。2週間もピアノが弾けないなど、人生一大事である。一体どういう生活になるのか、想像もつかない。どうしよう?
 
「ピアノが弾けない」ことに慄いている私に、理解できない読者は多いと思う。そこでまず、私の音楽遍歴を簡単に紹介する。私は6歳よりエレクトーンを習い始めた。普通、幼少の習い事はすぐに辞めてしまうものだが、私はエレクトーンを弾くことが面白くなってしまい、18歳までエレクトーンを続けてしまった。高校入試、大学入試の前日まで先生宅にお邪魔して、レッスンを受けていたくらい、エレクトーンを弾くことが好きだった。
 
大学からは、ジャズピアノに転向する。高校時代にエレクトーンの先生や友人から教えてもらったジャズが、好きになってしまったのである。大学のモダン・ジャズ研究会に入部し、勉学そっちのけで来る日も来る日も、ジャズピアノに血道をあげた。社会人になっても、このとおり30年にわたりジャズピアノを弾き続けている。基本的には、ピアノを弾くのが、日常だったのだ。
 
「お父さん、入院中はピアノが弾けないのよ、判っている?」家内の指摘で、入院中にピアノが弾けないことに気づいた。続けざまに家内から「入院って2週間?そんなに長い期間、ピアノを弾かなかったことって、これまである?」と訊かれ、「ないよ!」と応えようとした時に...「1回だけあった!」。それがさっきの「基本的には」の意味である。

今から四半世紀前の1996年5月から6月の1ヶ月間、私はロンドンに滞在したことがある。取引先に訪問しての業務研修が目的であったが、取引先で用意してもらったフラット(下宿)に勿論ピアノがあるはずもなく、1ヶ月ピアノを弾かなかった…いや、弾けなかった。幸いにも、ハロッズが下宿から近かったので、ハロッズの楽器売り場に何回かピアノを弾きに行ったかもしれない。
 
1996年という時代、記憶ではケータイが出回り始めていたが、今みたいなスマホなんて存在しなかった。スマホから音楽が聴けるはずもなく、当時はCDウォークマンと20枚くらいのCDを持参して、下宿で音楽を聴いていたかな・・・ジャズライブにも1回だけ行った、今でも鮮明に覚えている。ロンドンでは勿論、世界的にも有名なジャズクラブ、「ロニー・スコッツ・クラブ」(東京で言えば新宿ピット・インくらい格式の高いジャズクラブ)へ、ロイ・エアーズ・バンドを聴きに行ったんだ。
 
ロイ・エアーズはヴィブラフォン奏者であり、世界的なジャズ・フルート奏者であるハービー・マンのバンド等でNYを中心に活躍し、1996年にはロンドンに拠点を移して活動中だった。全員黒人のバンドで、バンドのグルーヴ感、音の迸る勢いが尋常でなく、凄いライブだったんだ!夜中の11時くらいからロイ・エアーズ・バンドが登場し、この強烈な音で明け方の3時、4時まで延々と盛り上がる。あんなスゲ〜音、滅多にお目にかかれない!
 
話が逸れた。2週間の入院中にピアノが弾けない...退院してピアノを弾いた時どれだけ音が鳴らなくなっているか、想定しておく必要がある。そしてどのように音を取り戻していくか、冷静になって取り組む必要がある。音を取り戻すにも数週間単位でかかるだろうから、「焦るな!」と言い聞かせることも含め、ロンドン滞在中に1ヶ月ピアノを弾いていなかった経験が生きるかもしれない。
 
因みに1996年の帰国後1ヶ月のブランク後にピアノを再開した時、特段「音が鳴らない!」とショックを受けた記憶がない。多分、思ったほど深刻な影響はなかったんだと思う,,,全く影響がなかったか、影響はあったが気にならなかったか、影響はあったがすぐに取り戻せたか...のどれかであろう。だけど当時は弱冠28歳、今は52歳。肉体の状況が当時とは大きく異なるので、今回はどう影響が出るか判らない。28歳の時の状況は、参考程度にしかならないだろう。こんなところにも、入院に向けた不安があるのだと思う。。。もう、なるようにしかならない!

入院に向けた準備。家内が甲斐甲斐しく荷物を準備してくれている。全く、頭が上がらない。