廃線後、幸福駅の続編。
37年経った今も奇跡的な美しさで屋外静態保存されている
キハ22-221をご紹介致します。
非常に綺麗な状態で保存されています。
保存に尽力されている方々のご苦労に感謝です。
1965年以降の増備車、キハ22形200番台。
キハ21形は北海道の酷寒地での防寒性能が不満足であったことから、
酷寒地向けの耐寒仕様車として完全に新設計されたもの。
1958年から製造開始され、北海道および東北地方に配置。
製造会社はキハ21形の帝車と新潟に加え、
富士重工業(現・SUBARU)と日本車輌製造が加わっている。
「キハ22形」
両運転台 デッキ付き
本形式はすべて 一段上昇・小型二重窓
1 - 170 (1958年)
201 - 343 (1963年)
酷寒地向け
製造所年:1958年
製造数(両):313両
廃年数:1995年
座席定員(人):71人
定員(人):82人
自重(t):32.0t - 32.9t
全長(mm):20,000mm
車体長(mm):19,500mm
機関搭載数:1
乗降口を車体両端へ配置して、客室との仕切り扉を備えたデッキ付き
とし、側窓を小型の一段上昇式二重窓として保温性を高めている。
床は雪が融けて濡れた時の滑りにくさや、雪靴・雪下駄の滑り止め
金具(スパイクなど)への対策から木張りとされ、さらに断熱材の厚さ
を増したため、暖地向けの標準車に比べ、レール面基準で50 mm高く
なった。
そのため、客室窓、乗務員用扉、運転台窓、貫通路扉(幌枠高さは標準車と同じ)、尾灯の位置もキハユニ25 7を除く他の20系気動車よりも
高い。
徹底した耐寒・耐雪措備が施され、北海道の酷寒地での実用上も十分
な能力が確保された。
以後の北海道における一般・近郊形車両における耐寒設計の基準と
なったばかりでなく、羽幌炭礦鉄道や留萠鉄道など、道内の地方私鉄
においても本形式とほぼ同一設計のコピー車が導入されることに
なった。
さて、ここまでつらつらとやって来ましたが、
次回は、内部に迫ります。
つづく。