【ペットロスという言葉】 | 動物の表現者i§e!

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ペットを亡くしたことで起こる精神的ショックが睡眠障害やうつなどに重症化する『ペットロス症候群』という言葉は、この数年で浸透しペットを飼っていない人にも知られるようになりました。


大事な家族を失って悲しいのは当然のことなのに、なぜ、ペットに限定していわれるのでしょうか?

それには距離感の変化が関係しているのではないでしょうか?
人との関わり方はよくも悪くも変化していくもので、友達や恋人はもちろん、親子、夫婦であっても避けられません。

しかし、
ペットとの距離が変わるとすれば
「突然の別れ」しかなく、心構えも対処もできないままその日を迎えるので、ショックが大きいと考えられています。

ペットロスを乗り越えるためには、
経過すべきポイントがあります。





事実の否定、拒否

愛するペットの死をすぐに受け入れることはできません生前と同じようにエサをあげようとしたり名前を呼ぶなどの言動は仕方のないことです。時間がかかってもいいので、まずは現実を受け入れることが大切な一歩となります。



感情の混乱

悲しみだけでなく、後悔や怒り、罪悪感などの感情が沸きあがり、涙が止まらない、急に落ち込むなど混乱が起こります。
とてもツライ状態ですが、死を認識したからこそ起こることでもあり、自分の中で一生懸命整理している最中なのです。



表現と受容

混乱の後で残った悲しみやさみしさは素直に表現しましょう。家族や友達に話をしたり、思い切り泣く、お墓参りをする、遺骨や写真などを持ち歩く、カウンセリングを利用するのもオススメです。そうすることで、ペットがいない生活に慣れて受け入れることができます。



回復

ペットがいない生活や悲しみを受け入れることで、少しずつまわりが見えて新しい生活に意識が向き始めます。
最初は「このまま忘れてしまうのでは」と戸惑うかもしれませんが、心配ありません。自分の中にペット専用の部屋がつくられ、大切な思い出を永久保存できるようになったのです。いなくなったわけではありません。




感情の混乱や受容が長くかかっても、いつかは回復にたどり着くので大丈夫。愛する家族を失ったのだから、深い悲しみに襲われて当然なのです。
ゆっくり自分のペースで
        受け入れていきましょう。


                                  I§ei より



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そもそも
ペットロスという言葉とは


ペットロス症候群ともいわれています。

これは
ペットと死別したり、ペッ トが行方不明になったり、盗難に遭ったりし たことなどを契機に発生する。疾患ないし心身の症状のこと。

ペットロスは、
文字通り「ペットを失う事」である。
ペットを失うと、様々な心身(精神的・身体的)の症状が起こる。これは、ペットと共に過ごす事によって培われた深い愛着・愛情が、突然に訪れるペットの「死」や行方不明などによって行き場をなくしてしまうことによって、引き起こされる症状だと解されている。引き起こされる症状の程度については個人差が大きい。

たとえば、
子育てを終えた熟年夫婦にとってはペットが我が子同然の存在になっていることもあり、ペットを失ったショックもまた大きい。

ペットロス症候群とは、ペットとの別れなどというストレスが契機となって発症した精神疾患(症候群≒病気≒疾患)を言い、精神症状に付随して身体症状を伴う場合も少なくない。

最近、
このような精神的・身体的障害が起こる原因として、飼い主のペットを伴侶動物(コンパニオンアニマル)としての位置づけが挙げられている。

日本では2000年代頃から注目を集めるようになったが、ペット産業の盛んな米国では1990年代頃より精神疾患の契機として重要視されるようになった。

日本では、内田百閒さんの
『ノラや』(1957年)が、ペットロス症候群という言葉さえなかった頃の、同症候群に関する記述として注目されていました。





代表的な精神疾患・ 症状

下記に代表的な精神疾患、
精神症状・身体 症状の例を述べる。

うつ病

不眠

情緒不安定、
   疲労や虚脱感・無気力、めまい

摂食障害(拒食症・過食症)

精神病様症状

胃潰瘍など消化器疾患(心身症)


このような、
精神疾患や症状を精神分析的に説明すると、ペットとの別れという現象を受け入れられない場合の防衛機制の一種である逃避であるとも解釈されよう。

また、行動療法(行動医学)の基礎理論である刺激反応モデルによって説明すると、ペットの別れという「刺激」に対する生体の「反応」ということになろう。

なお、ペットとの死別に関しては、
社会学的には次のように説明される。
近時の少子高齢化を背景に、ペットを生活上の伴侶として扱う(コンパニオンアニマル)人が増加している。
ところが、ペットの寿命は10年程度であり、どうしてもヒトより短命である。このような人とのより深いかかわりを持つ動物の増加で、ペットとの死別という避けがたい出来事が、飼い主に深刻な影響を与えるケースが増加してきた。


軽度ないし遷延しない症状については、
健全な精神性の発露とみなすことが可能ではあるが、健康を害するほどに悲嘆に暮れる状態は健全とは言えず、投薬を中心にして、必要に応じてカウンセリング等を併用する治療を必要とする場合もある。
日本医師会では1ヶ月以上、悲しみが癒えずに不調が続いている場合に、受診を勧めている。心療内科や精神科など専門医の受診も勧められている。

臨床心理士などによる心理療法の分野では、喪失体験からの回復過程を援助するためのプログラム(グリーフセラピー)を行う心理療法家が存在しています。


ペットロス…
この問題では、飼い主がもともと有していた依存的な性格傾向等を背景として、ストレスからの逃避として、アルコール依存症などの問題を引き起こすケースも見られ、

米国では
加えて薬物依存症に
発展する問題も指摘されている。

これらはペットの死に対して、
事故死による
「あの時、外に出るのを防いでいれば」や、

病死における
「獣医に見せていれば」という

ケースにて自分に責任があると感じて、
後悔や自責の念から精神的に参ってしまう場合や、あるいは治療を担当した獣医師の診療ミスを疑って、他を攻撃する事で心痛を紛らわしたりというケースも見られ、特に民事訴訟が盛んな米国では、このような「医療ミス」として訴訟に至る事例も少なく無い。
また、安楽死させたことについて
自分の決断を長く悔やむ人もいます。
ペットの死で悩んでいることが周囲の
人に理解されないという問題もある。

その一方で、「死」という現象を受け入れるための儀式として葬儀があるが、日本でも次第にペット供養などのサービスも増加しており、これらの需要が少なくないことがうかがわれる。ペットロス症候群では、死別を不可避と考え、自分の中の気持ちを切り替えていくことも治療の一環と考えられるため、何らかの形で失ったペットとの絆に一つの区切りを設けるのも必要なのだろう。  




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「ペットが虹の橋に旅立った」
という表現をよく目にします。
「虹の橋」(Rainbow Bridge)とは、
作者不詳の散文詩で、
飼っていたペットとその飼い主とが
再びめぐり合う架空の場所のことです。
詩が綴られた正確な時期は
わかっ ていませんが、
ペットロスに陥った
動物愛好家の間で広まり、
最初はアメリカで
流布していたものが次第に
世界中に広がって、
日本でも
知られるようになってきました。





天国に続く道の少し手前に
「虹の橋」と呼ばれるところがある。

この地上にいる人と愛しあった
動物たちは、
死を迎えると
虹の橋へと向かう。


そこには草地や丘があり、
緑がいっぱいで、
いつも暖かく気持ちの良い
陽気がみなぎっています。
いつも食べ物と水があり、
彼らはみんなで走り回って遊び、
そして疲れたら
「天国への樹」と呼ばれる
木の下で休むのです。

病気をしていた者も、
歳をとった者も、
元気いっぱいの姿に戻り、
傷ついて動かなくなった手足さえ、
元通り。
かつての地上での良き日と思い出が
夢のようによみがえってくる。


虹の橋では、
みんな満ち足りた気分で
幸せに暮らしているのだけれど
気がかりなことがひとつだけあった。
それは自分にとって愛する人が、
ここにいないという寂しさでした。


そんなある日のこと。
動物たちがいつものように
元気に遊んでいました。
ふいに、一匹が立ち止まり、
遠くを見つめます。
瞳は、キラキラと輝き、
からだは喜びに震えはじめます。
突然、
その子は仲間達を後にして、
緑の草原を駆け出しました。

あなたを見つけたのです。

早く、早く、急げ、急げ!
虹の橋で再会した二人は
固く抱きあいます。

懐かしいキスが、
あなたの顔に降り注ぎあなたは、
あの頃と同じように、
優しく頭をなでながら
我が子の瞳を見つめ返すのです。
あなたを信じ切って見つめてくる、
まっすぐな瞳。
別れたあの日から、
ずっとずっと片時も
忘れることのなかった
愛しいその瞳を。

それから二人は、
一緒に「虹の橋」を渡っていくのです。
天国への道へと…。






原作者不詳

日本語訳:Issei







Just this side of Heaven is
a place called Rainbow Bridge.

When an animal dies that has been
espe cially close to some one here,

that pet goes to Rainbow Bridge.
There are me adows and hills for
all of our special friends so they
can run and play together.
There is plenty of food,
water and sunshine and our frie
nds are warm and com for table.

All the anim als who had been ill and
old are restored to healt hand vigor ;
tho sewho were hurt or ma imed are
ma de whole and strong again,
just as were member them in our dreams
of days and times go ne by.

The animals are happy and conte nt,
exce ptfor one small thing:
they each miss som eone very special,
some one who was left behind.

They all run and play together,
but the day comes when one sudden
ly stops and looks into the distance.
His bright eyes are intent;
his eager body begins to quiver.
Suddenly,
he breaks from the group

flying over the green grass,
faster and faster.
You have been spotted,
and when you and your special friend
finally meet, you cling together
in joy ousre union,
never to be parted again.
The happy kisses rain upon your face;
your hands again caress the
beloved head,
and you look once more into tho
setrus ting eyes,
so long gone from your life,
but never absent from your heart.

Then you cross the Rainbow
Bridge together...

*Aut hor Unknown*


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グリーフワークとは
悲しみのプロセスです。
愛するペットの死…。

それは、
飼い主として、家族として、
見送る者の心に大きな負担がかかる。

人として、この危機的状態に手を差し伸べ支援するには人の悲しみ(悲嘆・グリーフ)を知らなければ出来ないでしょう。

人は死別などによって愛する人やペットを失うと、大きな悲しみである「悲嘆(GRIEF)」を感じ、長期に渡って特別な精神の状態の変化を経ていきます。
遺族が体験し、乗り越えなければいけないこの悲嘆のプロセスを、「グリーフワーク」と言います。

この悲嘆の状態は、
心が大怪我をしたような状態ですが、
自然に治癒の方向に向かいます。
遺族はやがて、ペットが天国へ行った環境に適応して、新しい心理的・人間的・社会経済的関係を作っていきます。
グリーフワー ク」を経ることで、
人は人間的に成長するのです。
この「グリーフワーク」のプロセスを支えて見守ることが「グリーフケア」です。



悲嘆は愛するペットを失った人が体験する正常な反応であり、誰もが「グリーフワーク」のプロセスを歩みます。「グリーフワーク」のプロセスには、個々人によって違いもありますが、一般的なパターンがあります。この一般的なプロセスを正常な「グリーフワーク」とすれば、これからズレた病的な「グリーフワーク」の状態もあるのです。「グリーフケア」は、人が正常な「グリーフワーク」を歩むようにサポートすることです。

グリーフワーク(Grief Work)グリーフワーク(後悔・絶望・特に死別などによる)は、深い悲しみ・悲痛などの「悲嘆の作業」と訳されています。人は、愛する者を失うと大きなストレスを心に受け、そのストレスを開放しなければ心が壊れてしまいます。そのストレスを開放するには悲しみなどの現実を直視し、感情を吐露しなければなりません。その過程や作業をグリーフワークと言います。

グリーフケア(Grief Care)大切な愛するペットを亡くされた方に対する心のケアで同じグリーフでも異なり、グリーフワークは遺族自身が行いますが、グリーフケアはペットを亡くした遺族に対する周りからの心の心配や心配りなどを意味します。

命には限りがあります。
特に、小さな動物は人間よりもはかない寿命で、死を迎える事を自覚し、より良い人生を送るには人の悲しみや痛みを知る事は有意義ではないでしょうか?



ペットロスの痛みからの
                回復と再スタート

グリーフは人生で体験する大きな出来事のひとつですが、単にペットロスの痛みからの回復というだけでなく(実際はそれだけでも大変なことですが)、愛するペットを失ったつらい体験を人生の転機と受け止めて、新しい自分を発見し、人生を新たにスタートする機会とすることも可能です。自分に優しく、自分をいたわる時間と、自分を見つめる勇気、そして必要なら専門のグリーフカウンセラーのサポートを受けて、上手にグリーフに対処して成長の機会としてください。




とてつもなく悲しいときは、
いっぱい悲しんでいいと思います。

どうしようもなく落ち込むときは、
そのまま落ち込んでいていいと思います。

(もちろん、身体や脳が何らかの病気であるならば、何の病気であれ治療が必要であり、お薬が必要ではありますが。)

とてつもなく悲しいとき。

愛するペットを亡くしたとき、
心が押しつぶされるほどの悲しみ。
そんなときには、
悲しんでいいと思います。
思いっきり悲しんでいいと思います。
今のあなたには、
悲しむことが必要です。
嘆きの時が必要です。
そうして、
動物の愛を感じながら
生きていきまましょうよ。





まとめ






ペットロスとは
直訳するとペットを失う」という意味ですが、愛しい動物との別れに遭遇した飼い主の悲しみをとらえた言葉として使われます。動物とはいえ「うちの家族」「うちの子」として迎えられた動物たちは伴侶動物(コンパニオンアニマル)と呼ばれています。
飼い主が出かける時は心の底から悲しみ、帰宅した時は体全体で喜びを表現してくれます。また辛い時や悲しい時には、何も言わずに側にいてくれる大切な存在です。


子供の教育や家族間の潤滑剤として
私たちの心を癒してくれる大切な伴侶(パートナー)となっているのです。そんなかけがえのない存在が、ある日突然姿を消せば、深い悲しみに陥ることは不思議なことではありません。ペットを飼っている人であれば、ペットロスは、誰にでも起こりうる現象なのです。ほとんどのペットたちは、人よりも寿命が短く、先に 旅立ってしまいます。だからペットロスの機会も多くなります。人間と動物という関係性を超えた絆を結んでいるだけに、共に過ごした時間が長いほど、支えになった度合いが大きいほど、結ばれた絆が強いほど、亡くなった時の悲しみや辛さはさらに大きなものになります。

何もする気が起こらない」
何も食べてもおいしくない」
この悲しみが
ずっと続くのではないか?」
いつまでも泣いている私は
         異常なのではないか?」


愛すべきパートナーを失った訳ですから、
深い悲しみに対する反応は正常なことで、決して異常なことではありません。

「たかがペットが死んだくらいで…」
「いつまで泣いていれば気が済むのか…」
「また飼えばいいじゃないか…」

世の中には動物を飼ったことも触れ合ったこともない人もいます。また人と動物との関係に対 する認識にも温度差があり、全ての人がペッ トを失った悲しみに共感してくれるわけではありません。

「いつまでも泣いていると
                      あの子が心配するよ」
「あんまり自分を責めていると
         成仏しないよ」
ペットロスということ自体が、
一般的に普及していないこともあり、
ペットロスに苦しむ人を
「おかしい」「異常だ」「病気」という枠組みで捉えられてしまうことすらあります。時間を共有した動物との別れは私たちが直面する苦痛の中でも最も大きいものであるにもかかわらず、それを周りに受け止めてもらえないということがあります。ペットロスには愛した動物を亡くした悲しみと周りの 人たちからの理解に無さという2つの苦しみを味わうという現実も有ります。







哀しみの最初の反応はペットが亡くなった事を否定する事から始まります精神的なショックが強すぎて、感情を整理することができず、事実を否定することで、自分の精神を守ろうとします。これは自然にわきあがってくる感覚であり、正常な防御システムなのです。最愛のペットの死を正面から受け止めることはとても難しいことですが、死を受け入れ、さらに死を許すことが最後にできる愛情なのかもしれません。
それができたときにはじめて「意味ある死」となるのではないでしょうか。
悲しくなったら泣いて、哀しみの感情を表に出すことが必要です。泣くことによって 心のカタルシス(浄化作用)を感じられることができます。

具体的な手助けとして
・いっぱい泣いて悲しみを表すこと
・パートナーをちゃんと供養して
           あげること(葬儀・供養など)
・思い出してあげて語り掛けること

その次に原因探しが始まります。
何でいなくなった?どうして死んだの?」 「早く帰れたのに、ほおっておいた」
もっと早く気付いてあげられたら」

といった自責の念に悩まされます。
原因探しは哀しみを深く感じる過程としてある程度はいいかもしれませんが、結果的には原因は突き止められませんので、途中であきらめることが必要です。

精神的なショックが落ち着いてくると、
喪失感と共に「死」を冷静に認識しようとする時期が訪れます。一緒に過ごし楽しかった時間や懐かしい思い出を回想し、悲しみが込み上げてくる段階です。この時期にもやはり涙を流し、自分の気持ちを素直に表現することが大切となります。日本には「無常」という言葉があります。この世の全てが常に流動し、変化しないものはない。人の感情も変化していきます。現状を少しずつ受け入れていければ、徐々に悲しみから開放され、ペットのいない生活に順応してゆく自分が理解できるようになります。

具体的な手助けとして
・家族や友人に思い出や
    悲しみを語ること
・思い出を綴ること
(アルバムや手紙、日記やHP掲示板などへ)
・同じ悲しみを体験した人の
     話を見聞きすること

やがてペットと過ごした楽しかった思い出や癒された時間を思い出し、「一緒に過ごしてくれてありがとう」と感謝の気持ちへと変わっていく時期がやってきます。それに伴って徐々に心も癒されてゆきます。自分の人生が終わったわけではないというポジティブな気持ちとなり、空間的にも精神的にもペットのいない生活を肯定できるようになり新しい生活を再構築していくことができるようになります。

具体的な手助けとして
・新たなパートナーと出会うこと

こうした行為を

「グリーフワーク」と言います。


グリーフ(grief )は
「深い悲しみ・悲嘆・悲痛」。

ワーク(work)は、
「仕事(身体・精神両方)」のことです。
日本語に訳すと、
「喪の仕事」「喪の作業」「悲嘆のプロセス」
などとなります。
心の支えとなっていたもの(愛する人や動物)を失った時に、自然と始まる、立ち直るための心の動きのようなものです。基本的に、無意識のうちに誰もが経験し、乗り越えてゆく過程です。

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今回はペットロスについて
簡略的に要点を述べましたが…

ペットロスについては
様々な見解や意見が
挙げられているのに
目をとおしました。


まだまだ
私自信もペットロスについて
勉強が足りないと実感しました。


私も中学生の時、
愛犬が亡くなった時は
泣き叫んで悲しみましたが…

そこから、
動物の医学や科学の
道に進むことを志すことができました。
だから、死の決別はマイナスなものばかりではありません。

私は
子ども達が
動物と死の決別を経験した時に
ペットロスのリスクがありますが…
感受性を豊かに培うことができる経験であると...ひとつの考えとして持っています。

悲しみを感じることさえも教育かもしれせんが、動物の命が大切なことも忘れてはいけません…

すみません
考えれば考えるほど
文章の組み方が悪くなってきます。


ペットロスはマイナスなものばかりではなく、感受性を培うことができることであり、生命体である私たちに悲しみという気持ちを教えてくれる、最愛の動物からの死の決別を経て最後の愛ではないかと私は思います。
※個人のわけわからない意見ですっ
                     




             I§ei より