今日、ジムで筋トレしてたら、某公共放送で、発達障害のことをしていた。

子育てをしている人にとっては、タイムリーな話なんだろう。

司会者とかゲストの人が、どこか他人事のように話しているのがちょっと嫌な感じがした。
(自分たちも少しは困り感を持ってるんだよ、自覚してないだけでさ)

 

以前、子どもの主治医と話しをした時、

「世の中の人は、3タイプに分けられる。ASDとADHDとLD。もちろん複合型もあるけれど、大なり小なりみんな持ってるよね。

僕はADHDが優位なタイプだからね(笑)」

と、言われたことがある。私もそう思う。私もADHDが優位でASDもあるし、書字がとても難しいのでLDもあると思う。

 

支援学級の担任を長くさせてもらったり、その勉強をしていると、なんとなくああこの人は、きっとこんなことで困っているんだろうな・・・と匂い?みたいなもので感じるようになった。自分も苦手なことがたくさんあるので、同じようなタイプの人はすぐに分かるというのもある。

 

そうした中で、障害を認めなかったり、障害をもつ人を遠ざけたりするのは、やっぱりなんらかの障害を持っている人が多いな・・・と感じることがある。平均的な人は、何のコンプレックスもないので、遠ざけたり反対にやたらと関わったりしない。

 

まあ、これは、私の主観なので、間違っているかもしれないけれど。

 

結論、発達障害は誰しも何か持っている困り感を認識するかしないか?自分でなんとかできているかできていないか(弱点を認知して他に援助を求められるかそうでないか)?で、大きく違ってくるよね。っていう話。

 

うーん、書いててぐだぐだになってしまったね。

でも、こんな風にぐだぐだな自分も含めて<自分>を許せるかどうか?っていうのも課題なんだよ。

寛容な社会もね。