2月2日放送のNHK『映像の世紀 バタフライエフェクト』は女形についてでした。

6代目歌右衛門を中心に「真女形」(まおんながた)の特集です。

6代目歌右衛門、4代目雀右衛門、そして玉三郎についてでした。

私にとって歌右衛門は歌舞伎を好きになったきっかけの俳優です。

こうしたドキュメンタリーで歌舞伎だけを扱うのは非常に珍しいので、楽しみに、そして楽しく見ました。

いくつか気になる表現とアクセント、語形があったので、メモをしておきます。

 

・襲名興行を離脱した。

 →6代目歌右衛門の襲名興行を映画出演のために雀右衛門が途中で抜けたということを言うのに「離脱」という表現を一貫して使っていました。

 あやまりということではありませんが、戦いを途中で離れたということではなく、ただ、休演なんだと思います。

 共に女形という世界で戦うつもりの同志だったのに、その戦いから離れたという強調でしょうか。やや思い込みの強い表現だったと思います。

 「襲名興行を途中で休演しました」で十分だったのではないでしょうか。

 

・真女形のアクセント

 辞書にはありませんでした(NHKアクセント辞典、大辞林などアクセントがついている辞書)。

 ただ、私自身が子どもの頃からなじんでいるのは「マオ\ンナガタ」でした。

 放送では「マオンナガタ ̄」。初めて聞いたアクセントです。

 

・若女形の語形

 三島由紀夫の「女形のこと」についての朗読で「若女形」を「わかおんながた」と読んでいました。

 私は「わかおやま」の語形しか知りませんでした。

 『日国』では「わかおんながた」、歌舞伎事典(平凡社)は「わかおやま」を空見出しとして、「女形」の項目に「わかおんながた」という語形を示しています。

 そうか、「わかおんながた」なのかを思ったら、ネットで示されている歌舞伎用語案内では「わかおやま」、歌舞伎座のサイトで「かぶきにゃんたろう」の解説では「わかおやま」でした。

 文化デジタルライブラリーでは「若女方」の表記で「わかおんながた」です。

 ゆれがあるようです。

 「わかおんながた」が誤りとはいえませんが、慣用的には「立女形(たておやま)」「若女形(わかおやま)」。そして「女形」単独では「おんながた」となると思います。

 この語形については、ちゃんと調べてみようと思います。

 YouTubeでよく昭和の曲を聴きます。最近気に入っているのは、宮本典子と西城秀樹です。

 西城秀樹は幼稚園のころのアイドルで、当時大好きでした。

 宮本典子は、今まで知りませんでした。「エピソード」とか「ラストトレイン」とか聴きやすくていい曲です。

 さて、昭和の曲を聴いていると、あ、今のことばと少し違うな、と思う部分が出てきます。西城秀樹のデビューに近いころの曲「恋の約束」の歌詞に「君を 君を 好きだよ」という部分があります。「君が」じゃないんだ、なぜ「を」なのかを疑問に感じました。

文法的なことは苦手ですが、今年はがんばってみようと思います。

 

『新選第10版』には、助詞「が」の項目に「感情表現のうち、「・・・たい」の対象を表す場合は、「を」もよく用いられるが、「・・・をほしい(すきだ)」のような使い方は一般的でない。可能の対象の場合も、「が」のほうが一般的。」とあります。

『明鏡第2版』(最新は第3版)には「君を好き(嫌い)だ」など、好悪を表す表現では「を」とも言うが、「が」が一般的。」と「が」の項目にあり、「好き」の洋木には「~ハ~ガ好きだ」が一般的だが、「その作家もまた私を好きなのだ(太宰治)」のように。~ガを~ヲに代えていうことも多い。「嫌い」の場合も同様。「あなただって僕を嫌いではないでしょう(円地文子)」」とあります。

国立国語研究所の研究者コラム(「結果が/を出せる」のどちらが自然ですか - ことばの疑問 - ことば研究館 | 国立国語研究所)では、文法的には「が」が正しいのだが、「を」も出てくることがあり、それは、可能形のほかに、「したい」などの願望形、「好き「嫌い」「できる」「欲しい」のような述語を使うときに見られるとあります。また若い人ほど「を」を使うことが増えてきているそうです。

 さて、ここまで考えると「君を好き」「君が好き」は「君が好き」のほうが一般的だけれども「君を」もおかしくはないことがわかります。

西城秀樹の曲「恋の約束」の中の歌詞「君を好きだよ」です。1972年の曲ですし作詞・作曲の人たちは1930年代生まれですので、若い世代とは言えなさそうです。

 歌詞の前後には、「僕は」「君がいなけりゃ」「僕の涙」「誰が」「君に」などいくつかの助詞が使われています。「君を」とすることで、助詞の重なりがないというのは大きな選択理由だったのではないかと思いました。

なお、「新選」にあった「感情表現のうち「~たい」の対象を表す場合は「を」もよく用いられるというのによく指摘があるのは「水を飲みたい・水が飲みたい」のような場合だと思います。『大辞林第4版』によれば「(助動詞の「たい」が)他動詞の動詞(飲むなど)に付く場合、希望の対象になる語は「が」または「を」で示される。「水が飲みたい」「水を飲みたい」」(()に入れた文言は筆者注)とあります。

「水を飲みたい・水が飲みたい」は「水が飲みたい」がごくごく一般的だけれど「水を」でもおかしくはないとされます。また意味が異なるとも考えられるようです。

「水を飲みたい・水が飲みたい」という場合は、「水が飲みたい」の場合は、「コーヒーなどではなく飲むものは水でなければいけない」という意味になります。「水を飲みたい」は「コーヒーやコーラ」など飲めれば水分ならなんでもよいという意味です。「水」であれば納得できるのですが「パンを食べたい・パンが食べたい」となると、上記の「水」のときのような使い分けがはっきりしないように感じます。どちらもあるけれども「が」のほうが「パン」を強調しているように感じる程度です。

「水を飲みたい」「水が飲みたい」

「水をいっぱい飲みたい」「水がいっぱい飲みたい」

動詞と目的語との位置が遠くなると「を」が出やすくなるというように書かれている解説もあります。

 

塩田雄大(2004)「水が飲みたい?水を飲みたい?」『最近気になる放送用語』

水が飲みたい? 水を飲みたい? | ことば(放送用語) - 最近気になる放送用語 | NHK放送文化研究所

 

追加

「君が好き」というとダブルミーニングになるように感じます。

「君のことが好き」ということと「君が好き(なもの)」ということです。

「君を好き」のほうが、相手に「好き」が向かっているように感じます。

 

以前、歌舞伎俳優名のアクセントについて書きました

このとき「メモとして」としました。

2020年の日記ですが、この5年でAIアナウンサーのアクセントで違和感のあるものが出てきたり、8代目菊五郎の襲名で、「キク\ゴロー」のアクセントになってしまっているアナウンスを聞いたりすることが多くなっています。

 

同じようなテーマの論文があったので、貼っておきます。

 

立教大学学術リポジトリ

 

今の歌舞伎俳優全員のアクセントがつけられているので、AIに学ばせれば、AIアナウンサーの奇妙なアクセントも直っていくのではないかと思います。

 

 歌舞伎俳優名の漢字字体については、このブログでも何回か書いています。

 今回は「片岡」の「片」の字についてまとめます。

 この漢字については、いくつかの異体字があります。「異体字」は漢字の意味は変わらないけれども、形が少し異なる漢字やかなのことを言います。

 「片」の異体字は、いろいろありますが、ひとつは、4画目が、Tのようになるもの、もうひとつは、Tの真ん中の線が下で曲がるもの、そして、4画目が丁になるものなどです。明治時代以降の印刷されたもので見ると、歌舞伎俳優の名前に使われる「片岡」はこの常用漢字表にあるふつうの字体のほかに、上記の3つの異体字のものがありました。雑誌『歌舞伎』や歌舞伎座の筋書きはふつうの「片」でしたが、そのほかはいろいろです。『粋客必携粋人の宝』(1889・名倉亀楠著)にある歌舞伎俳優の「片岡姓」には上記の字体すべてが出てきます。師匠と弟子の関係でも違う字体で示されているので、あまり統一的なものではないように思います。

 さて、歌舞伎俳優の名前の姓に当たる「片岡」の字体について、11月に2回連続で異体字がニュースで使われました。

 ひとつは、文化勲章を受章した片岡仁左衛門の本名「片岡孝夫」には、文部科学省の発表で、「片は4画目が突き出る」と説明されていました(つまり、4画目がTになっている字体)。

 もうひとつは、先日亡くなった、片岡亀蔵の本名「片岡二郎」の字体です。これをNHKの放送では「Tになっている字体」で示していました。

 どちらも本人の名乗りに合わせて異体字を使用しているということのようです。一方で、芸名の「片岡」は普通の字体です。当代の仁左衛門の父親、13代目仁左衛門の著書では、片岡家の墓の写真が出てきますが、確かに。墓標や記念碑では「Tになっている片」を使っていました(Tだけではなく上の棒も点になっているような手書き字体です)。

 松竹からの発表などでは本名も含めてふつうの「片」でしたし、新聞社・通信社も同様でした。ネットでは異体字が出しにくいということと、紙面では作字をすればできそうですが、異体字は本字と意味が異なるわけではないため、本字で示すのを原則にしているのだと思います。

 NHKもネット配信ではふつうの字体です。

 繰り返しますが、異体字の場合、本来の字と意味は異なりません。芸名と同じ姓の場合、字体で区別するという意識だと思いますが、それを理解できる人がどれぐらいいるでしょう。手書き字体を再現しても意味はないように思います。

 これまで「片」の字の字体について意識をしたことがありませんでした。歌舞伎俳優の本名を紹介する場面は少ないということと、「片岡孝夫」の場合は、本名が芸名になっていた時期もあり、芸名のときにはふつうの「片」を使っていたであろうからです。

 まだ調べている途中です。

 異体字の片の字を使うことにどれぐらいの理屈が成り立つのか、もう少し調べたいと思います。

 相撲の人気が復活しています。

 ここのところチケットをとるのに苦労しています。

 さて、今回は、問題提起として相撲で使われることばのうち「ざんばら髪」ということばについて考えようと思います。

 相撲では、力士になって間もない力士で、マゲを結えない場合、びんつけ油でオールバックにして相撲をとらせます。こういう髪形を「ざんばら髪」と表現しています。例えば、今の横綱・大の里の新入幕のときの新聞に「ざんばら髪の新入幕・大の里」という見出しが見えます(2023年12月25日・中日スポーツの記事)。

 少し古い例では『力士100年の診断書 : 力士のカルテからさぐった健康長寿の秘訣を明かす』(林盈六 著・ベースボール・マガジン社・1984、p.11)に次のような例があります。

  土俵の片隅には入門したてのマゲも結えないザンバラ髪の新弟子が塩の入った笊を持って立っている。

 しかし、「ざんばら髪」ということばの意味を考えると、髪をマゲに結えないような状態を指すのに使うのはおかしいのではないかとも感じられます。

 『大辞林』には「さんばらかみ」という見出しに「ざんばらがみ、とも」と注記が付けられ、意味は「ふり乱れた髪」となっています。「さんばら」には「結っている髪がくずれてふり乱れていること」の意味が付けられています。

 小型辞書では「ざんばらがみ」を見出しにしているものがほとんどのようです。意味は、『三省堂国語辞典』は「(結ってあったものがくずれて)ばらばらに乱れた髪の毛」とあります。『新選国語辞典』は「長く振り乱した髪」です。

 相撲のマゲを結えないような状態のことを指すのに「振り乱した髪」というのはあてはまりません。そもそも、マゲが結えない力士は前にも述べたようにびんつけ油を紙につけてなでつけて乱れないようにしています。

 もうひとつマゲを結わない状態の髪型のことを言うことばがあります。「散切り」です。このことばは現代のことばではあまり使われませんが、歌舞伎では「散切り物」などという分類があります。歌舞伎狂言で、明治の新時代に入ったとき、その散切頭の時代風俗を取り扱った芝居のことを言うことばです。

例えば、「明治以来、歌舞伎芝居でもザンギリ物、即ち現代劇を上演しないではなかったが(略)」(「綺堂一夕話」『風俗江戸東京物語』2001・河出書房新書・岡本綺堂、p. 341。初出は『新潮』昭和9年1月号)などの使い方が見えます。

『大辞林』では3つの意味が示されています。「明治初期、散髪脱刀令以降流行した男の髪形」の意味のほか、「剃ったり結んだりしないで、後ろになでつけただけの髪。なでつけ髪」という意味もあります。国文学者・民俗学者の池田弥三郎の指摘として次のようなものがあります。

日本人の髪形は、「総髪」と「半髪」とだったが、それにさらに、ジャンギリと鈍って言われた「散切」が加わった。もとは、散切は総髪の中にはいっていたが、文明開化の散切は、総髪は総髪でも、短く切り落して、洋風になでつけた髪型だ。黙阿弥などの戯曲の中に「散切物」の名を遺したほど、明治の、文明開化の新風俗であった。(『東京の中の江戸』「文明開化の東京」池田弥三郎・1979・弥生叢書、p.29)。

 「散切り」と言うと、明治時代にマゲ頭のマゲを切った状態のことを指すため、相撲で結えない状態とは逆ではないかと思うかもしれませんが、髪の毛をなでつけて総髪(オールバック)にした状態のことも「散切り」と言ったということです。

 資料として明記したものではありませんが、NHKの相撲中継で解説の北の富士氏が「自分の若いころは散切り頭と言った」というようなことを言っていたのを聞きました。もう少し古いものも調べてみて、相撲で「散切り」を使った例を探さないといけませんが、相撲でマゲを結えない状態を「ざんばら」と言ったのは、それほど古いものではないのかもしれません。

 「散切り」ということばが、一般語ではなくなり伝わりにくくなり、乱れ髪のことを言う「ざんばら」が使われるようになったということでしょう。なぜ「乱れ髪」という意味のことばが使われたのかですが、相撲をとれば髪の毛は乱れます。マゲを結っている力士よりも、結えていない力士のほうが髪の毛を振り乱す感じが強くなります。また、結っている状態がふつうであると考えれば、それが解けてしまった髪型ということで「ざんばら」に結び付いたのでしょうか。