仙丈ヶ岳に登った翌日、お台場にあるドラえもん未来デパートに子供を連れて行き、人混みに酔って疲労困憊したことはすでに述べた。



妻と息子がじっくりと商品を物色する時間を有効活用しようと、置いてあった本を手に取った。中でも藤子F不二雄先生の短編集に収められている「ミノタウロスの皿」が衝撃的な内容であった。僕が生まれるよりも随分前の作品で1969年の初出。



宇宙船の故障で未知の惑星に降り立った主人公。その惑星では、言語を操る牛が世界を支配しており、人間は牛に食べられる存在。面白いのは地球の人間と同じように知能は高くて、言葉も喋れるし人間生活も送っている。違うのは牛にとっての食べ物という点だけだ。


主人公は自分を助けてくれた女の子を好きになる。しかし、その女の子は人間の中でも最も血統の優れた肉用種で、大きな祭典の祝宴で食事として振る舞われるという最高の栄誉「ミノタウロスの皿」に選ばれる。本人も、そのことを大変に喜ぶ。


主人公はショックを受ける。人間が牛に食べられてしまう、そして何より好きになった女の子がそんな目に遭ってしまうことに。主人公は人間が牛に食べられてしまうのは残酷だとして、何とか食い止めようと奔走するが、全く話が通じない。


そりゃあそうである。人間社会において、松坂牛を食べるのは残酷だからやめて欲しいと、松坂牛を食べようとしている人間に懇願するのと同じようなものだから仕方がない。


しかも、当の本人である食べられる女の子自身も食べられることを大変な栄誉であると喜んでいて、主人公の想いや考えは全く伝わらないのだ。


そして、主人公の願いも虚しく、祝宴は予定どおり執り行われ、女の子を守れなかった主人公は泣き叫ぶ。


その後、ようやく主人公を救出するためのロケットが迎えに来てくれて、主人公はそのロケットで無事に地球に向けて出発する。


そして衝撃的なラストとなる最後のコマ。


「待望のステーキをほおばりながら、おれは泣いた。」


主人公がフォークとナイフを使って、鉄板の上で焼かれた牛肉と思しきステーキをほおばるコマ。見知らぬ惑星から何とか生還した主人公が最も食べたかったものは何とステーキだった。


この時の主人公に、ステーキになった牛を可哀想だと思う気持ちや、残酷なことをしているという感覚など微塵もないだろう。何せ「待望の」ステーキなのである。


この皮肉のこもった一コマを描くために、それまでのストーリーがあったと言っても良いくらいインパクトのあるラスト。そうして、この短編漫画は幕を閉じる。


価値観の違いによって、物の見方や人の感情は大きく変わるのが当然である一方、そのことに全く気付かずに過ごしてしまうことが多いという現実。


そしていつの間にか自分の価値観には疑問すら抱かなくなってしまう恐ろしさ。一番怖いのは人間という生き物かもしれない。そんなことを思わせてくれるとても奥深い作品。奥深さは南アルプス級である。


人混みに疲労困憊した1日だったが、この作品との出会いは大きな収穫であった。