皇紀2678年・平成30年3月11日 東日本大震災七周年追悼式 | 論説 [ ● ]おおす新聞

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皇御國、第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)、藤田東湖「和文天祥正氣歌」天地正大氣 粹然鍾 神州。吉田松陰「士規七則」士道莫大於義 義因勇行 勇因義長。日本國領土 尖閣諸島徹底護持、七生報國

皇紀2678年・平成30年3月11日
東日本大震災七周年追悼式




日本国国歌「君が代」






東日本大震災犠牲者之霊




黙祷 
皇紀2678年・平成30年3月11日14時46分
於:国立劇場(東京都千代田区隼町4-1)




文仁親王殿下のおことば



御遺族代表のことば




政府インターネットテレビ
東日本大震災七周年追悼式(全編)
https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg16763.html?nt=1




「式次第」


文仁親王同妃両陛下 ご臨席


開会の辞 菅 義偉 内閣官房長官


国歌斉唱 奏楽 陸上自衛隊中央音楽隊 


黙祷(14時46分)


式辞 内閣総理大臣 安倍晋三


文仁親王殿下のおことば


追悼の辞 衆議院議長     大島理森
     参議院議長     伊達忠一
     最高裁判所長官   大谷直人


御遺族代表のことば  岩手県 御遺族代表 礒崎一元
           宮城県 御遺族代表 小野寺秀俊
           福島県 御遺族代表 五十嵐ひで子


文仁親王同妃両陛下 御退席


献花
   内閣総理大臣  安倍晋三
   衆議院議長   大島理森
   参議院議長   伊達忠一
   最高裁判所長官 大谷直人

   御遺族代表 岩手県代表
         宮城県代表
         福島県代表

   各政党代表
 
        
   外交団・国際機関等
(備考)支那は昨年まで台湾が出席していることからと思いますが5年連続欠席でしたが、本年は出席。外務省儀典官室によると出席者は非公開とのことでした。


   前総理大臣 元総理大臣

   衆議院副議長 参議院副議長 参議院元議長 

   政党幹部

   国務大臣

   内閣官房副長官 副大臣

   大臣政務官 内閣総理大臣補佐官

   衆議院及び参議院の常任委員長 特別委員長
   調査会長 憲法審査会会長 情報監視審査会会長

   衆議院議員

   参議院議員

   都道府県知事

   都道府県議会議長

   政令指定都市市長

   全国市長会会長

   全国市議会議長会会長

   全国町村会会長

   全国町村議長会会長

   その他の参列者の皆様
         
            
閉式の辞 杉田和博 内閣官房副長官

(敬称略)


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名取川 津波 2011/3/11 中継



南三陸町志津川高校から見た津波の様子 Tsunami attacking in Minami-Sanriku


東日本大震災 南三陸町伊里前湾大津波


tsunami Minamisanriku, Miyagi, japan
(南三陸ではなく、陸前高田ではないかと思いますが、定かではありません)


【2011.03.11】東日本津波(個人撮影映像)
https://www.youtube.com/watch?v=m8rFSdtc5ic&list=PL4D24C3EA2FE9217A


石巻市立大川小学校の近くに押し寄せた津波


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大川小学校(宮城県石巻市釜谷山根1) 
・児童108名中70名死亡、4名行方不明(平成24年1月23日現在)
・教職員13名中、校内にいた11名のうち9名が死亡、1名が行方不明
・スクールバスの運転手死亡

鎮魂


 




【東日本大震災】大震災被害者数

東日本大震災七周年
死者:15895人
行方不明者:2539人
関連死:3647人
避難者数:73349人(内県外34095人)
仮設住宅入居戸数:約19000戸
応急仮設住宅入居者:約13500人


鎮魂


思い

東日本大震災から7年の月日が経ちました。

当日、私は東京におり憲政記念館で講演を聞いているときに大震災の揺れを体感しました。

初めゆっくり揺れだして急に強く揺れて一度収まり、次にまた激しく揺れたと記憶しております。屋外に出ると地面が揺れていたと記憶します。

一度、収まってまた揺れだしたと記憶します。今度は縦揺れではなかったかと記憶します。後、震度5強ということで、生まれて初めての震度の体感でした。

震度7クラスだと立っていられないのではと思い、また、想像を超える揺れなのではないかと思った次第です。

想像を超える津波が押し寄せているのが、地上波の映像から流れているのを現認した時に、その被害の規模がどのようなものかと思い、自然の脅威に飲み込まれてしまっておられる方々を思いますと言葉にはできない感情があったと記憶します。

当時、生まれた子供が、現在7歳ということで、3歳を記憶に残らない起点と仮定致しますと、現在10歳くらいの児童は、まったく大震災の記憶はないということでしょうか。

こうやって、徐々に風化していって、何年後かに大震災が来た時には、その対応方法が脳内にインプットされていないということが繰り返されてきたのが、我が国日本の現状というところでしょうか。

人は、記憶が薄らいでいくことによって、前に向いて生きていけるということもあろうかと思いますが、大震災、津波に対する基本的退避方法、津波が人間の想像を超えて押し寄せるということを地震が起こってきた我が国日本に於いて、意識に刻印していくべきではないかと思うところです。

東日本大震災で亡くなられた方々の御魂靖からんことを御祈念申し上げます。

東日本大震災で怪我をされた方々に御見舞い申し上げます。

未だ避難、仮設住宅等に入居されておられます方々に御見舞い申し上げます。



おおす新聞 2678(30)-03-27 07:31 配信






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