奉祝 天長節( 天皇誕生日) 皇紀2677年・平成29年12月23日(名古屋市中区大須) | 論説 [ ● ]おおす新聞

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皇御國、第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)、藤田東湖「和文天祥正氣歌」天地正大氣 粹然鍾 神州。吉田松陰「士規七則」士道莫大於義 義因勇行 勇因義長。日本國領土 尖閣諸島徹底護持、七生報國

奉祝 天長節( 天皇誕生日)
皇紀2677年・平成29年12月23日
第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市中区大須)




天皇陛下 (第125代)
お名前 明仁(あきひと) 様
お続柄 昭和天皇第1皇男子
お誕生日 昭和8年12月23日(皇紀2677年・平成29年12月23日84歳)
ご称号 継宮(つぐのみや) 様
お印 榮(えい)
成年式 昭和27年11月10日(ご年齢18歳)
立太子の礼 昭和27年11月10日
ご即位 昭和64年1月7日
即位礼正殿の儀 平成2年11月12日
大嘗祭 平成2年11月22・23日
ご学歴など 昭和31年 学習院大学教育ご終了


日本国国歌「君が代」

君が代は
  千代に八千代に
 さざれ石の
   巌(いわお)となりて
    苔(こけ)のむすまで



五穀豊穣 天壌無窮

皇尊彌榮 皇御國彌榮 萬世一系乃皇統護持

天皇陛下萬歳




皇紀2677年・平成29年12月23日、天長節( 天皇誕生日)の吉き日、「天長節をお祝い奉る会(仮)」の有志により、名古屋市中区大須の万松寺通りの東端を出た界隈で、日の丸の小旗とお菓子が配られました。

呼びかけは、昨年度に続き某青年有志が行いました。

快晴の中、道行く方々と天長節の吉き日をお祝い奉る心を共に致しました。






大須観音 本堂「大悲殿」 名古屋市中区大須2-21-47
皇紀2677年・平成29年12月23日 午前9時頃


別格本山 後村上天皇勅願所
北野山真福寺寶生院(きたのさんしんぷくじほうしょういん)(第96代 後醍醐天皇が寺号を賜る)」
大須観音(俗称) 本堂「大悲殿
皇紀2677年・平成29年12月23日 9時頃

論説  Article by yamap☆
第96代 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)(南朝 初代)

御名:尊治(たかはる) 
異称:吉野院(よしのん)
在位期間:1318~1339
生誕~崩御:1288~1339 52歳
陵墓:塔尾稜(とうのおのみささぎ)(奈良県吉野郡吉野町吉野山塔ノ尾・如意輪寺内)
父:後宇多天皇 母:談天門藤原(五辻 いつつじ)忠子(ちゅうし)
縁の神社・寺院:吉野神宮(奈良県)、如意輪寺(奈良県)、吉水神社(奈良県)、大須観音(愛知県名古屋市)



第97代 後村上天皇(ごむらかみてんのう)(南朝 二代)
御名:義良(のりなが)、憲良(のりなが)、吉野殿
在位期間:1339~1368
生誕~崩御:1328~1368 41歳
陵墓:桧尾陵(ひのおのみささぎ)(大阪府河内長野市寺元・観心寺内)
父:後醍醐天皇 母:新待賢門院(しんたいけんもんいん)藤原(阿野 あの)廉子(れんし)
縁の寺院:大須観音(愛知県名古屋市)




天長節の吉き日、奉祝の日の丸を配る有志
皇紀2677年・平成29年12月23日 11時頃
於:名古屋市中区大須三丁目 


天長節の吉き日 皇紀2677年・平成29年12月23日 11時頃
於:名古屋市中区大須三丁目 


天長節の吉き日、奉祝の日の丸を配る有志


天長節の吉き日、奉祝の日の丸を配る有志


天長節の吉き日、奉祝の日の丸を配る有志 皇紀2677年・平成29年12月23日
於:名古屋市中区大須三丁目


大須商店街 万松寺通り 東端  皇紀2677年・平成29年12月23日 11時頃
名古屋市中区大須三丁目





富士浅間神社  皇紀2677年・平成29年12月23日
名古屋市中区大須2-17-35


富士浅間神社 名古屋市中区大須2-17-35
末社 一番左 湊川社 御祭神 楠木正成公
皇紀2677年・平成29年12月23日 




富士浅間神社 末社 湊川社 御祭神 楠木正成公amba.to/14b3s1u
皇紀2677年・平成29年12月23日


楠木正成公 七生報國
楠木正成公(くすのき まさしげ公)は、 後醍醐天皇に殉じ、湊川(兵庫県神戸市)で、弟・正季公(まさすえ)と「七生報國」を誓って刺し違え殉節(皇紀1996年・西暦1336年5月25日、新暦7月12日)された尊皇の士。その志は明治維新の志士・吉田松陰先生(皇紀2519年・安政6年・西暦1859年10月27日、斬首刑。靖國神社の御祭神)に熱烈に受け継がれ、また、坂本龍馬(靖國神社の御祭神)、高杉晋作(靖國神社の御祭神)、西郷隆盛大久保利通木戸孝充伊藤博文など(敬称略)維新の志士が、楠木正成公の墓碑(現・湊川神社境内)に額づいて国事に奔走された。 
先の大東亜聖戦では、楠木正成公>の旗印である「非理法権天」が、沖縄特攻の戦艦大和に、人間魚雷「回天」を搭載した伊号潜水艦に掲げられた。
戦艦大和 沖縄特攻(菊水一号作戦) 
菊水作戦
戦艦大和に関して記載したブログ⇒http://amba.to/ZYVChS  http://amba.to/12glQlo

楠木正成公 七生報國
正季公「七生まで人間に生れて朝敵を滅ぼしたい」

正成公「いつかこの本懐を達せん」と誓った。

太平記・楠木正成、湊川での最期

7:40~当該動画の語句:楠木正季公(くすのき まさすえ。楠木正成公の弟)「次の世も、いや、七生(しちしょう)までも生まれ変わって、朝敵を滅ぼしとうござりまする」

楠公精神http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/tokko-sisou.htm(画像転載)
七生報國

七生報國の鉢巻きをされた回天特別攻撃隊の御英霊は米艦艇に対し特攻を敢行、散華されました。
鎮魂

楠木正成公https://youtu.be/g1EIArWgpwA

建武3年5月25日(新暦に直すと1336年7月4日)、楠木正成公は湊川の戦いで足利直義の軍と戦い敗れて、弟の正季公と「七生報國」を誓い、刺し違え自害。享年43
南北朝の争いが北朝側の勝利に終わると、南朝側に尽くして自害した楠木正成公は朝敵とされてしまった。永禄2年(1559年)、楠木正成公の子孫と称した楠木正虎が朝敵の赦免を嘆願し、 正親町天皇の勅免を受けて正成は朝敵でなくなった(没後223年後)。(ウィキ等 転載編集)


(楠木正成公の死に際しての足利尊氏方の記録)
まことに賢才武略の勇士とも
かようの者を申すべき
敵も味方も
惜しまぬ人ぞなかりける
「梅松論」より


楠木正成公の御遺徳は、明治維新で顕在化し、日本が欧米列強諸国の植民地になることなく独立国家として、現在に至るまで存在していることの精神的支柱、行動の原点たらしめたといえる。先の大東亜聖戦で、楠木正成公の旗印である「非理法権天」が、沖縄特攻の戦艦大和に、人間魚雷「回天」を搭載した伊号潜水艦に掲げられた。


回天特別攻撃隊菊水隊



人間魚雷「回天」 回天記念館(山口県周南市岐山通1-1


回天碑 (回天記念館)
回天特別攻撃隊http://amba.to/1cgrz0Z
回天 大津島(おおづしま)http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-1662.html


戦艦大和 沖縄特攻(菊水一号作戦) 
菊水作戦
戦艦大和に関して記載したブログ⇒http://amba.to/ZYVChS  http://amba.to/12glQlo

非理法権天 回天楠公社前(岐阜県下呂市下呂町)
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kaiten-gero.htm



三輪神社 皇紀2677年・平成29年12月23日
御祭神
大物主神
徳川義宜公(とくがわ・よしのり公 尾張藩第16代藩主(最後の藩主))
末社
幸宮社(秋葉社・天王社・猿田彦社を合祀)
白龍社
福光稲荷社

住所:名古屋市中区大須3-9-32(赤門通りと新天地通りの交差地点から北東に約40m、「矢場とん 矢場町本店」から南西に約100m)
大須赤門通http://amba.to/1v7Q33H

大神神社(おおみわじんじゃ)(奈良県桜井市三輪)
https://youtu.be/oq_Gmg6eQp0



熱田神宮 愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1 皇紀2677年・平成29年12月23日

御祭神 熱田大神(あつたのおおかみ)
熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)・御神体としてよらせられる、天照大神のことです。
天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神とも至高至貴の神とも仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられる神です。又、相殿神は「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれる神々です。

御霊代 草薙神剣 
皇位継承のみしるしである三種の神器の一つです。日本武尊は、神剣の大いなるご加護により東国を平定。尊のなきあと、神剣は宮簀媛命により熱田の地にまつられ今にいたっております。神剣の名「草薙」は、尊が東国において、この神剣により草を薙いで難をのがれたことからこの名があります。

相殿神
天照大神 (あまてらすおおかみ)
素盞嗚尊 (すさのおのみこと)
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
宮簀媛命 (みやすひめのみこと)
建稲種命 (たけいなだねのみこと)

(転載)



熱田神宮 一之御前神社(いちのみさきじんじゃ) 御祭神:天照大神の荒魂
皇紀2677年・平成29年12月23日


熱田神宮 孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ) 皇紀2677年・平成29年12月23日
御神祭:天火明命
尾張氏の祖とされる天火明命(あまのほあかりのみこと)をお祀りしております。式内名神大社に列せられております。もとは境内の別の位置に鎮座していましたが、明治7年現在地に遷座されました。

一二三四五六七八九十 布留部 由良由良止 布留部
(熱田神宮 孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ) 御祭神 天火明命(あめのほあかりのみこと))
昭和節 皇紀2677年・平成29年4月29日

熱田神宮(名古屋市熱田区神宮1丁目1−1)
孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)
https://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/keidai/
祭神 天火明命(あめのほあかりのみこと)
祭神の天火明命は尾張氏の始祖であり、天照国日明命、天照玉命とも称される。
明治初年に海蔵門内の西側に鎮座していたのをこの地に遷座した。
ほあかりとは、ほが赤くなるという意味で稲穂への尊称といわれている。

ひふみよい むなやこと もちろらね しきるゆゐつわぬそを たはくめか うおゑにさ りへ てのますあせえほ れけ

沖津鏡 辺津鏡 八握剣 生玉 死返玉 足玉 道返玉 蛇比礼 蜂比礼 品物之比礼

一二三四五六七八九十
布留部 由良由良止 布留部


神霊http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-1850.html
http://amba.to/1q9e9Vw


十種大祓



石上神宮・特殊神事「鎮魂祭」

物部神社・鎮魂祭





愛知縣護國神社 皇紀2677年・平成29年12月23日
愛知県名古屋市中区三の丸1-7-3

皇紀2677年・平成29年12月23日、天長節( 天皇誕生日)の吉き日に、愛知縣護國神社の御英霊の御魂に感謝申し上げ、七生報國を誓い國に殉じられた御英霊の壮挙に敬意を表し、御魂靖からんことをお祈りさせて頂いておりますとお賽銭箱が「バシッ」「バシッ」と二度鳴りましたのは、御英霊がお応えになられたと思う次第でございます。


愛知縣護國神社 宮城遥拝所 皇紀2677年・平成29年12月23日


『浦安の舞』 日本国国歌『君が代』 愛知県護國神社 秋のみたま祭 26/10/30

天地(あめつち)の

   神にぞ祈る朝なぎの

  海のごとくに

     波たたぬ世を

 ( 昭和天皇様 御製 昭和8年)

「みたま慰の舞(みたまなごめのまい)」 日本国国歌「君が代」 昭和節 愛知縣護國神社
 
やすらかに
ねむれとぞ思ふ
君のため
いのちささげ志
ますらをのとも

香淳皇后様 御歌 昭和13年(戦死者に対して詠まれた御歌)
昭和26年・1951年 作曲作舞:多忠朝


天長節 奉祝大会(國士舘大学 昭和40年頃4月29日)


終戦の詔書 (昭和20年8月15日)http://www.chukai.ne.jp/~masago/syuusen.html

(抜粋)

朕は茲(ここ)に国体を護持し得て、忠良なる爾(なんじ)臣民の赤誠(せきせい)に信倚(しんい)し、常に爾臣民と共に在あり。

 若(も)し夫(そ)れ情(じょう)の激する所、濫(みだり)に事端(じたん)を滋(しげ)くし、或は同胞排儕(はいせい)互に時局を乱(みだ)り、為(ため)に大道(たいどう)を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕最も之を戒しむ。

 宜しく挙国一家子孫相伝え、確(かた)く神州の不滅を信じ、任(にん)重くして道遠きを念(おも)い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつく)し、志操を鞏(かたく)し、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後(おく)れざらむことを期きすべし。

 爾なんじ臣民、其(そ)れ克(よ)く朕が意を体せよ。




おおす新聞 2677(29)-12-25 06:51 配信









第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)


大須は尊皇の街 萬世一系乃皇統護持 旧宮家乃皇籍復帰

古事記1300年 大須観音展



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