玉砕 特攻 散華 | 論説 [ ● ]おおす新聞

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皇御國、第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)、藤田東湖「和文天祥正氣歌」天地正大氣 粹然鍾 神州。吉田松陰「士規七則」士道莫大於義 義因勇行 勇因義長。日本國領土 尖閣諸島徹底護持、七生報國

玉砕 特攻 散華 





硫黄島(いおうとう)
全国市町村会
http://www.zck.or.jp/forum/forum/2744/2744.htm
硫黄島は父島から南に約280㎞の所にあり、北硫黄島、南硫黄島とともに火山列島を構成しています。
硫黄島 擂鉢山
昭和19年戦争の激化により、豊かで平和だった硫黄島は、本土防衛の最前線となり、島民は強制疎開を余儀なくされてしまいました。
戦場と化した硫黄島は日本軍21,900名、米軍6,821名島民の軍属82名が戦死しました。今現在も硫黄島には多くの遺骨が眠っています。
いち早く遺骨を本土に戻すためにも小笠原村では、厚生労働省が年4回実施している、遺骨収集事業に参加しています。米軍の資料や様々な 証言を頼りに作業を行っていますが、未だ半分も見つかっていないのが現実です。
今後も国や関係機関と協力し、1日も早いご遺骨の帰還に向けて努力していきます。
映画「硫黄島からの手紙」が反響を呼び多くの方に硫黄島の事を知っていただけました。
硫黄島は戦前から「いおうとう」と呼ばれていましたが、さまざま経緯で「いおうじま」という読み方が一般に広まってしまいました。硫黄 島旧島民の強い要望に応え、村議会で決議され、平成19年に地図や、教科書の読み方を「いおうじま」から「いおうとう」に変更することができました。今後硫黄島を「いおうとう」と呼んでいただきますようお願いいたします。(転載)





玉砕が記される歌詞には「アッツ島血戦勇士国民顕彰歌」と「還らざる戦友」がある。

二曲はいずれも大東亜聖戦に於いてとこれにかかる軍歌と楽曲。

筆者の祖父(母方)は大日本帝國陸軍軍人(旧制中学・現在の高校の美術・絵の教諭時に召集)として、大東亜聖戦インパール作戦参戦(所属部隊:祭部隊、母談。祭兵団と同じくか?)の後、イラワジ河会戦(戦死日がイラワジ河会戦が始まった日と祖母の生前の言葉から)に於いて、ビルマ(現在はミャンマー)のイラワジ河の畔で爆弾と共に戦死(玉砕)と母より聞いております。未だその骸はイラワジ河の畔なのだろうと思います(祖父出生の時の最後の言葉は「じゃあ、行ってくるわ」とのこと、叔父談。祖母は生前「イラワジ河に一度行きたい」と言っていたとのこと(母談)。祖母同地を訪れることなく逝去)。 鎮魂

祖父の弟(大叔父)も大日本帝國陸軍軍人で、陸軍士官学校陸軍大学校関東軍作戦参謀南方総軍第16方面軍参謀終戦公職追放(もう少しで絞首刑になるところだったとのこと。大叔父の配偶者談)→サンフランシスコ講和条約陸上自衛隊に復帰陸上自衛隊某特科団長で退役(ソース:元自衛隊事務官だった大学同窓の先輩)でございます。また、同郷地域の陸軍士官学校一期下に坂井直(さかい・なおし)陸軍中尉二・二六決起 昭和11年2月26日、陸軍士官学校44期、昭和11年7月12日 午前7時54分 銃殺・刑死 満25歳没)がおられると思われます(大叔父の配偶者が二・二六決起で亡くなられた将校の親御さんのことを言っていたのは、坂井直陸軍中尉の親御さんのことだったかとも思われます)。

玉砕が始めて断行されたのは、蒙古襲来鎌倉武士ではないかと認識しております。

蒙古軍3万(元の先兵・高麗軍)が襲来(文永の役 1274年)。蒙古軍が対馬の小茂田浜に上陸してきた時、これを迎え撃ったのが、宗助国公(当時60歳過ぎ)で、80騎を以って蒙古軍3000に突っ込み、首と胴体がばらばらにされて討ち死に見事玉砕、敵蒙古軍を心胆寒からしめ、余すところなく大和魂を見せ付けたのではないかと思うところでございます。


玉砕はまさに蒙古襲来の時の鎌倉武士から始まり、そして、先の大東亜聖戦に於いて余すところなく発動され、米国を心胆寒からしめ、それによって國體を護持するに及び、終戦に至ったと思うところでございます。

先の大東亜聖戦散華されたのは、特別攻撃隊では下は17歳の青年から散華されております。

17歳からの若人が南洋・沖縄方面に神風特別攻撃隊として空から敵艦に突入・体当たり、南洋に人間魚雷・回天特別攻撃隊として海から敵艦に突入などで散華されて征かれました。

未だ、南洋・沖縄方面の海には多くの特別攻撃隊々員の諸先輩方の骸が海底に沈んだままでおられるのだろうかと思うところでございます。

皇御國(すめらみくに)に殉じ散華された御英霊御魂靖からんことを御祈念申し上げます。

鎮魂

還らざる戦友
https://www.youtube.com/watch?v=8gklJpnAMs0
3:30~
あヽ玉砕の 硫黄島 
どんなに祖国が恋しかろう 
桜の花を手向けては
言葉もなくてただ涙 
ただ涙

(注:硫黄島は「いおうとう」の読みが正しいです)




アッツ島血戦勇士顕彰国民歌
https://youtu.be/XIENV2dXjk4
2:32~
残れる勇士百有余 
遥かに皇居 伏し拝み
完全鬨と諸共に 
敵主力へと玉砕
敵主力へと玉砕






 
泣ける【静ちゃんへの手紙】~神風特攻隊員の兄と幼き妹~


神風特攻隊員たちの遺書


神風特別攻撃隊 敷島隊


神雷部隊「桜花」


ザ・コクピット 音速雷撃隊 桜花 神風特攻隊 悲しいときはいつも/松田博幸


回天特別攻撃隊 菊水隊


回天~後を頼みます。出発します~





ふくい舞 / いくたびの櫻(アコースティックVer.)



おおす新聞 2672(24)-11-22 23:11 配信



第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)


大須は尊皇の街 萬世一系乃皇統護持

古事記1300年 大須観音展



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(追々記)

日本のメディアが報道しない支那(china)の事実

http://ameblo.jp/yamap888/entry-11584663765.html




外務省「尖閣諸島」Senkaku Islands
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/


外務省 尖閣諸島→資料コーナー→尖閣諸島について(平成27年3月16日更新)(PDF)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/pdfs/senkaku.pdf


尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり, 現に我が国はこれを有効に支配しています。したがって,尖閣諸島をめぐって解決し なければならない領有権の問題はそもそも存在しません
日本は領土を保全するために毅然としてかつ冷静に対応していきます。
日本は国際法の遵守を通じた地域の平和と安定の確立を求めています。





外務省「竹島」Takeshima
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/
竹島の領有権に関する日本の一貫した立場
竹島は,歴史的事実に照らしても,かつ国際法上明らかに日本固有の領土です。
韓国による竹島の占拠は,国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり,韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません
日本は竹島の領有権を巡る問題について,国際法にのっとり,冷静かつ平和的に紛争を解決する考えです。
(注)韓国側からは,日本が竹島を実効的に支配し,領有権を再確認した1905年より前に,韓国同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません





外務省「北方領土」the Northern Territories
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/
1855年2月7日日本ロシアとの間で「日魯通好条約」が調印され択捉島とウルップ島の間に国境が確認されました。それ以降も,択捉島国後島色丹島及び歯舞群島からなる北方四島は,一度も他国の領土となったことがない,日本固有の領土です。しかし,1945年に北方四島がソ連に占領されて以降,今日に至るまでソ連・ロシアによる不法占拠が続いています。
政府は,北方四島の帰属の問題を解決してロシアとの間で平和条約を締結するという基本方針に基づき,ロシアとの間で強い意思をもって交渉を行っています。







吉田松陰先生士規七則(しきしちそく)」


http://blog-imgs-67.fc2.com/n/e/z/nezu621/20140924101946977.jpg


士規七則

披繙冊子 嘉言如林 躍躍迫人 顧人不讀 即讀不行 苟讀而行之 則雖千萬世 不可得盡 噫復何言 雖 然有所知矣 不能不言 人之至情也
古人言諸古 今我言諸 今亦詎傷焉 作士規七則

一 凡生為人 宜知人所以異於禽獣 蓋人有五倫 而君臣父子為最大
  故人之所以為 人忠孝為本
一 凡生皇國 宜知吾所以尊於宇内 蓋 皇朝萬葉一統
  邦國士大夫 世襲禄位 人君養民 以續祖業
  臣民忠君 以継父志 君臣一體 忠孝一致 唯吾國為然
一 士道莫大於義 義因勇行 勇因義長
一 士賢以質實 不欺為要 以 巧詐文過為耻 光明正大 皆由是出
一 人不通古今 不師聖賢 則鄙夫耳 讀書尚友 君子之事
一 成徳達材 師恩友益居多焉 故君子慎交遊
一 死而後已四字 言簡而義廣 堅忍果決 確乎不可抜者 舎是無術也

士規七則 約為三端 曰 立志以為 萬事之源 選交以輔 仁義之行 讀書以稽 聖賢之訓 士苟有得於此 亦可以為成人矣。