皇紀2675年・平成27年3月11日 東日本大震災四周年追悼式 | 論説 [ ● ]おおす新聞

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皇紀2675年・平成27年3月11日

東日本大震災四周年追悼式












天皇陛下 第125代 
御名前        明仁(あきひと)様
幼少時の御称号  結婚前の御名前  継宮(つぐのみや)様
続柄        昭和天皇の第一皇男子 
生誕年月日    皇紀2593年(昭和8年)12月23日
御印        榮(えい) 



御遺族代表    岩手県 内舘迫夫
           宮城県 菅原彩加
           福島県 鈴木幸江



天皇陛下のおことば
宮内庁 
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h27e.html#D0311


東日本大震災4周年追悼式
平成27年3月11日(水)(国立劇場)

東日本大震災から4年が経たちました。

ここに一同と共に震災によって亡くなった人々とその遺族に対し,深く哀悼の意を表します。

4年前の今日,東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により,2万人を超す死者,行方不明者が生じました。

テレビに映った津波の映像は決して忘れることのできない,本当に恐ろしいものでした。死者,行方不明者の中には危険を顧みず,人々の救助や防災活動に従事した人々があったことが今も痛ましく思い出されます。

被災地で,また避難先で,被災者の多くが今日もなお,困難な暮らしを続けています。特に年々高齢化していく被災者の健康は深く心に掛かります。

さらに,この震災により,原子力発電所の事故が発生し,放射能汚染地域の立入りが制限されているため,多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされました。今なお,自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと心が痛みます。

この4年間,被災地においては,人々が厳しい状況の中,お互いの絆きずなを大切にしつつ,幾多の困難を乗り越え,復興に向けて努力を続けてきました。

また,こうした努力を支援するため,国内外の人々が引き続きいろいろな形で尽力しています。この結果,地場産業の発展,防災施設の整備,安全な居住地域の造成など様々な進展が見られましたが,依然として被災した人々を取り巻く状況は厳しく,これからも国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。

この度の大震災においては,私どもは災害に関し,日頃の避難訓練と津波防災教育がいかに大切かを学びました。こうした教訓を決して忘れることなく子孫に伝え,より安全な国土を築くべく努力を続けることが重要であると思います。

この14日から宮城県仙台市において第3回国連防災世界会議が開催されますが,この会議において,我が国のみならず世界各国においてもこの度の大震災の教訓が分かち合われ,被害の軽減や人々の安全性の確保に意義ある成果が上げられることを願っています。

被災地に1日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い,御霊みたまへの追悼の言葉といたします。



Address by His Majesty the Emperor on the Occasion of the Memorial Service to Commemorate the Fourth Anniversary of the Great East Japan Earthquake (March 11, 2015)


Four years have passed since the Great East Japan Earthquake. Together with the people gathered here today, I would like to express my deepest condolences to those who lost their lives in the disaster and their bereaved families.

Four years ago today, eastern Japan was struck by a huge earthquake and tsunami, which left more than twenty thousand people dead or missing. We can never forget the image of the terrifying tsunami we saw on television that day. It still pains me greatly to remember that the dead and missing persons include many who lost their lives as they devoted themselves to relief operations and disaster control without regard for their own safety. Many people, both in the afflicted regions and in the places where they had evacuated to, continue to live under difficult conditions to this day. In particular, I am deeply concerned for the health of the elderly as they advance in age year by year.

The nuclear power plant accident caused by the disaster is making some regions still off-limits because of radioactive contamination, forcing many people to leave the places where they used to live. My heart aches to think that so many people do not yet know when they can go back to their own homes.

In the past four years, people in the afflicted regions, still living under severe conditions, have overcome numerous difficulties with a strong sense of solidarity and made great efforts towards reconstruction. I am also heartened to see that many people, both at home and abroad, continue to support these efforts in numerous ways. As a result, progress has been made in various fields, such as the development of local industries, construction of disaster prevention facilities, and construction of safe residential areas. However, the conditions surrounding the afflicted people remain harsh, and it is important that everyone's hearts continue to be with the afflicted.

The damage caused by the earthquake and tsunami has taught us the necessity of regular evacuation drills and education to prevent damage from tsunami. It is important for us never to forget what we learned and hand down the lessons to future generations, and continue to strive towards making our country a safer place.

The third United Nations World Conference on Disaster Risk Reduction will be held in Sendai, Miyagi Prefecture, from March 14. It is my hope that through this conference the lessons of this disaster will be shared not only in Japan but throughout the world and the conference will achieve meaningful results in helping to reduce the damage from disasters and securing the safety of the people.

Together with the people gathered here today, I would like to express my hope that days of peace and solace will return as soon as possible to the afflicted regions. In closing, I offer once again my most sincere condolences to all those who lost their lives in the Great East Japan Earthquake.


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「東日本大震災四周年追悼式」における内閣総理大臣式辞
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0311sikiji.html

本日ここに、 天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、東日本大震災四周年追悼式を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 かけがえのない多くの命が失われ、東北地方を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災の発生から、四年の歳月が流れました。

 愛しい家族、親類、友人を亡くされた方々のお気持ちを思うと、今なお深い悲しみが胸に去来します。ここに改めて、衷心より哀悼の意を捧げます。また、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 被災地に足を運ぶ度、復興の槌音が大きくなっていることを実感します。高台移転、被災者向けの住宅の事業は着実に前進し、復興は新たな段階に移りつつあります。しかしながら、今なお、原発事故のために住み慣れた土地に戻れない方々をはじめ、23万人の方が厳しい、不自由な生活を送られています。新しい生活をスタートさせた方々も、生活環境への適応など、御苦労は絶えません。健康・生活支援、心のケアも含め、被災された方々に寄り添いながら、さらに復興を加速してまいります。

 同時に、今般の震災から得られた貴重な教訓を決して無にしない、との決意で、我が国全土にわたって災害に強い強靭な国づくりを進めてまいります。被害を少しでも小さくするため、常に最新の英知を取り入れつつ、総合的な防災対策に、政府一丸となって取り組んでまいることを、改めて、ここに固くお誓いいたします。

 震災の発生以来、地元の方々、関係機関の大変な御努力に支えられながら、復興、復旧が進んでまいりました。また、日本各地のみならず、本日ここに御列席の世界各国・各地域の皆様からも、多くの温かい支援の手が差し伸べられました。その御尽力に対し、心より感謝と敬意を表するものであります。

 今週末から、仙台市において開催される国連防災世界会議においては、東日本大震災の教訓と被災地の復興の現状を、世界の皆様に向けて発信いたします。世界各地における防災対策に役立てていただければ幸いです。そして、今後、我が国の知見と技術を生かし、防災分野における国際貢献を、一層強力に進めてまいります。

 この大地震による惨禍は、まさに未曾有の国難です。しかしながら、先人たちが、幾多の困難を乗り越えてきたように、明日を生きる世代のために、私たちが共に立ち向かっていくことを改めてお誓いいたします。

 御霊の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げますとともに、御遺族の皆様の御平安を心から祈念し、私の式辞といたします。

平成27年3月11日
内閣総理大臣 安 倍 晋 三

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政府インターネットテレビ
東日本大震災四周年追悼式(全編)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg11442.html?t=115&a=1




天皇皇后両陛下 ご臨席

「式次第」

開会の辞 菅 義偉 内閣官房長官

国歌斉唱

黙祷(14時46分)

式辞 内閣総理大臣 安倍晋三

天皇陛下お言葉

追悼の辞 衆議院議長     町村信孝
     参議院議長     山崎正昭
     最高裁判所長官   寺田逸郎
     御遺族代表 岩手県 内舘迫夫
           宮城県 菅原彩加
           福島県 鈴木幸江



宮城県の遺族代表の菅原彩加さん

 私は東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。

 小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。

 あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。

 しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

 そんな体験から今日で4年。

 あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数えきれないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが、今もまだ夢の様です。

 しかし私は震災後、たくさんの「諦めない、人々の姿」を見てきました。震災で甚大な被害を受けたのにもかかわらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い復興へ向かって頑張る人たちがいます。日本中、世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることが出来ます。

 震災で失った物はもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることも無いと思います。しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていける物だと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。

 最後に、東日本大震災に伴い被災地にたくさんの支援をしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。また、お亡くなりになったたくさんの方々にご冥福をお祈りし追悼の言葉とさせていただきます




( 天皇皇后両陛下 ご退席)


献花 内閣総理大臣  安倍晋三 
   衆議院議長   町村信孝
   参議院議長   山崎正昭
   最高裁判所長官 寺田逸郎

   御遺族代表 岩手県代表
         宮城県代表
         福島県代表

   各政党代表 民主党        
         公明党
         維新の党
         日本共産党
         次世代の党
         社会民主党
         生活の党と山本太郎となかまたち
         日本を元気にする会
         新党改革
         
   国連事務総長特別代理

   外交団国際機関等
(特命全権大使信任状奉呈順、次期駐日大使、臨時代理大使、大使の代理の順)

サンマリノ、ベネズエラ、カザフスタン、ニカラグア、クウェート、オマーン、ミクロネシア、ナイジェリア、ジブチ、カメルーン、モロッコ、アルバニア、サモア、ヨルダン、パラグアイ、モザンビーク、タジキスタン、タンザニア、モーリタニア、ホンジュラス、アルゼンチン、アフガニスタン、エチオピア、リベリア、ベルギー、ミャンマー、マラウイ、エルサルバドル、スーダン、キルギス、ルアンダ、オーストラリア、パプアニューギニア、デンマーク、ハンガリー、バチカン、ネパール、ベラルーシ、ベトナム、ブルキナファソ、ウズベキスタン、ザンビア、モンゴル、ラオス、ルーマニア、ペルー、ロシア、シンガポール、マリ、アルメニア、ニュージーランド、ポーランド、カーボベルデ、ブルネイ、ウルグアイ、オランダ、バングラデシュ、イラン、ブルガリア、トンガ、リトアニア、カナダ、マーシャル、英国、ボツワナ、ウクライナ、ギニア、イラク、ギニアビサウ、アイスランド、ラトビア、ジャマイカ、フィンランド、パラオ、ドミニカ共和国、スロバキア、ナミビア、ブラジル、アメリカ合衆国、チュニジア、グルジア、リビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ドイツ、トルコ、セルビア、コロンビア、スリナム、切るバス、エストニア、韓国、ノルウェー、チェコ、フランス、ボリビア、ケニア、セネガル、ガーナ、スペイン、ポルトガル、欧州連合、パナマ、ギリシャ、アルジェリア、ガボン、コンゴ民主共和国、マダガスカル、ハイチ、コンゴ共和国、メキシコ、コスタリカ、イエメン、グアテマラ、コソボ、パキスタン、アンゴラ、ベナン、タイ、東ティモール、スリランカ、コートジボワール、スウェーデン、○○○○、イスラエル、ルクセンブルグ、エジプト、フィリピン、アゼルバイジャン、レバノン、南アフリカ共和国、オーストリア、エクアドル、スイス、インドネシア、キューバ、アイルランド、バーレーン、クロアチア、モルディブ

(付記:支那は三年連続欠席)
          
 

   米軍

   パレスチナ常駐総代表部

   駐日台北駐日経済文化代表処

   国際原子力機関

   国際復興開発銀行

   国際開発協会

   米州開発銀行

   国際労働機関

   国際移住機関

   国際熱帯木材機関

   国際連合地域開発センター

   国際連合開発計画

   国際連合人口基金

   国際連合難民高等弁務官

   国際連合児童基金

   国際連合国際防災戦略事務局

   国際連合世界食糧計画

   世界知的所有権機関

      

   前総理大臣 元総理大臣

   衆議院副議長 参議院副議長

   衆議院元議長 参議院元議長 

   政党幹部

   国務大臣

   内閣官房副長官 副大臣

   大臣政務官 内閣総理大臣補佐官 大臣補佐官

   衆議院及び参議院の常任委員長・特別委員長・調査会長

   憲法審査会々長
  
   裁判官訴追委員会委員長

   裁判官弾劾裁判所裁判長

   衆議院議員

   参議院議員

   最高裁判所判事

   都道府県知事

   都道府県議会議長

   政令指定都市市長

   全国市長会会長

   全国市議会議長会会長

   全国町村会会長

   全国町村議長会会長

   その他の参列者


         
            
閉式の辞 杉田和博 内閣官房副長官

(敬称略)


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名取川 津波 2011/3/11 中継



南三陸町志津川高校から見た津波の様子 Tsunami attacking in Minami-Sanriku


東日本大震災 南三陸町伊里前湾大津波


tsunami Minamisanriku, Miyagi, japan
(南三陸ではなく、陸前高田ではないかと思いますが、定かではありません)


石巻市立大川小学校の近くに押し寄せた津波


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大川小学校(宮城県石巻市釜谷山根1) 
・児童108名中70名死亡、4名行方不明(平成24年1月23日現在)
・教職員13名中、校内にいた11名のうち9名が死亡、1名が行方不明
・スクールバスの運転手死亡

鎮魂


 






【東日本大震災】大震災被害者数(2015年3月10日現在)

死亡確認    1万5884人
行方不明者     2633人
計       1万8517人

避難・転居者 22万8863人(2015年2月12日現在)




東日本大震災で亡くなられた方々の御魂靖からんことを心よりお祈り申し上げます。 鎮魂

被災地の復興がなされますよう謹みてお祈り申し上げます。

不自由な生活を余儀なくされておられる方々にお見舞い申し上げます。




おおす新聞 2675(27)-03-12 06:21 配信






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