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宜仁親王殿下(よしひとしんのうでんか)
皇紀2674年6月8日
畏れ多くも 宜仁親王殿下(よしひとしんのうでんか)に於かれましては、薨去(こうきょ)あそばされました。
御神霊とおなりあそばされた御魂靖からんことを謹みて御祈り申し上げます。
宜仁親王殿下
http://www.kunaicho.go.jp/about/history/history07.html(宮内庁)
お名前 宜仁(よしひと)
宮号 桂宮(かつらのみや)
お続柄 崇仁親王(たかひとしんのう)第2男子
お誕生日 昭和23年2月11日
薨去 皇紀2674年(平成26年)6月8日午前10時55分 66歳
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お印 桂(かつら)
成年式 昭和43年2月27日 (ご年齢20歳)
総裁職
(公益社団法人)日・豪・ニュージーランド協会 総裁
http://janz.jp/
(公益社団法人)大日本農会 総裁
http://www.dainihon-noukai.jp/
(公益社団法人)大日本山林会 総裁
http://www.sanrinkai.or.jp/
(公益社団法人)日本工芸会 総裁
http://www.sanrinkai.or.jp/
(社団法人)日本漆工協会 総裁
ご学歴など 昭和46年 学習院大学法学部政治学科ご卒業
昭和46年~昭和48年 オーストラリア国立大学大学院(キャンベラ)ご留学
昭和49年~昭和60年 日本放送協会 嘱託
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宮内庁:皇室の構成図
宜仁親王殿下(よしひと しんのうでんか)の正式なご名称について宮内庁に伺いました。
正式には、 宜仁親王殿下(よしひと しんのうでんか)。
桂宮宜仁親王殿下(かつらのみや よしひと しんのうでんか)と記載されている場合が多々ございますことについて伺いますと、桂宮という宮号をつけることで分かりやすくされているのだろうとのことでございました。
桂宮家は、宜仁親王殿下の薨去(こうきょ)により断絶となったとのことでございました。
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(追記)
宜仁親王殿下(よしひと しんのうでんか) 今日「斂葬(れんそう)の儀」
皇紀2674年(平成26年)6月17日10時から
喪主 崇仁親王殿下(たかひと しんのうでんか) 喪主代理 彬子女王殿下(あきこ じょおうでんか)
司祭長 一條実昭(さねあき)氏
ご参列
( 天皇皇后両陛下は皇室の古くからの慣例に従ってご参列されません)
皇族方
三権の長 内閣総理大臣 衆参議長 最高裁判所長官
各界の代表
在日本各国大使 等
(於)豊島岡墓地(とよしまがおか ぼち)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B3%B6%E5%B2%A1%E5%A2%93%E5%9C%B0 東京都文京区大塚五丁目
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霊車が出発される「霊車発引(れいしゃはついん)の儀」
6月17日午前9時に赤坂東邸を出発
赤坂東邸 学習院初等科 宮邸(千代田区三番町) 皇居 首都高速5号池袋線(一ツ橋-早稲田) 豊島岡墓地
ルート 全長約17キロ 約35分
(追記ここまで)
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宮内庁
赤坂東邸(赤坂御用地内)における一般記帳者の弔問記帳(平成26年6月10日から6月16日)
http://www.kunaicho.go.jp/news/tyoumonkityou.html
葬場一般拝礼の実施について
http://www.kunaicho.go.jp/news/hairei.html
場所 豊島岡墓地(東京都文京区大塚5丁目)
(最寄り駅は,地下鉄有楽町線「護国寺駅」)
月日 平成26年6月17日(火)
参入時間 豊島岡墓地正門から
第1回目 午前11時40分~午後0時30分
第2回目 午後1時30分~午後2時30分
※(1)ご供花,お供物等は,一切お受けしません。
(2)駐車場の用意はありませんので,地下鉄等公共交通機関をご利用ください。
故宜仁親王墓一般参拝の実施について
http://www.kunaicho.go.jp/news/sanpai.html
場所 豊島岡墓地(東京都文京区大塚5丁目)
(最寄り駅は,地下鉄有楽町線「護国寺駅」)
月日 平成26年6月20日(金)~6月21日(土)の2日間
参入時間 豊島岡墓地正門から 午前10時~午後3時
※(1)ご供花,お供物等は,一切お受けしません。
(2)駐車場の用意はありませんので,地下鉄等公共交通機関をご利用ください。
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桂宮宜仁親王殿下追悼記帳所 愛知県庁本庁舎 正面玄関 2674(26)/06/10
愛知県
桂宮宜仁親王殿下薨去(こうきょ)に伴う弔旗掲揚及び追悼記帳所の設置について
http://www.pref.aichi.jp/0000072885.html
2 追悼記帳所の設置について
(1) 期間
6月10日(火)から当分の間
(2) 受付時間
午前9時から午後5時まで
(3) 場所
ア 平日:県庁本庁舎 正面玄関 イ 土曜日及び日曜日:県庁本庁舎 南玄関
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(一部加筆・編集)
宜仁親王殿下(よしひとしんのうでんか) 薨去
2014.6.8 12:04 産経新聞
崇仁親王殿下(たかひとしんのうでんか)の第2男子で、 天皇陛下のいとこにあたられる宜仁親王殿下(よしひとしんのうでんか)が8日午前10時55分、急性心不全のため東京都文京区の東京大学医学部付属病院で薨去(こうきょ)あそばされました。
66歳のご生涯で、皇位継承順位は第6位でした。
宜仁親王殿下は昭和63年5月、お住まいの宮邸の寝室で倒れて以来、右半身が不自由となり、リハビリテーションを受けられていました。
ご本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は約1週間後に東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地で執り行われるとみられています。
宜仁親王殿下は独身のため、桂宮家は断絶されます。
宜仁親王殿下の薨去により、皇室の方々は21方となりました。
日・豪・ニュージーランド協会総裁のほか、大日本農会、大日本山林会、日本工芸会、日本漆工協会の各総裁を務められていました。
心筋症の持病があったほか、宮家創立から約半年後の63年5月26日には、宮邸の寝室で倒れられているところを発見された。当時のご年齢は40歳だった。
都立広尾病院に入院し、診断の結果、頭蓋骨(ずがいこつ)の内側にある硬膜と、くも膜の間から出血する「急性硬膜下血腫」と分かり、緊急手術を受けられました。右半身まひなどのご障害が残ったものの、リハビリに取り組み、平成3年には公務にご復帰なされました。総裁を務める各団体の表彰式などに、20年まで出席されていました。
20年9月には、高熱が続いたため東京大学医学部付属病院にご入院なされました。診察の結果、血液に細菌が入る「敗血症」と診断されました。
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(一部加筆・編集)
斂葬の儀は17日 9日夕に「御舟入」
2014.6.8 23:07 産経新聞
宮内庁は8日、薨去(こうきょ)あそばされた宜仁親王殿下(よしひとしんのうでんか)の本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」を17日午前、東京都文京区の豊島岡墓地で営むと発表しました。喪主は父の崇仁親王殿下(たかひとしんのうでんか)で、めいの彬子女王殿下(あきこじょおおうでんか)が代理を務められます。
宮内庁は8日、宜仁親王殿下の葬送方法などを検討する1回目の「葬儀委員会」を開催し、小田野展丈・式部官長が委員長を務めることなどを決めました。
宜仁親王殿下のご遺体は桂宮邸(東京都千代田区三番町)に安置されているが、手狭なため、9日午後に赤坂御用地内にある赤坂東邸(ひがしてい)に移され、ご遺体をひつぎに納める儀式「御舟入(おふないり)」が同日夕に行われる。