「皇尊弥栄 皇御國弥栄」神事・相撲!日の丸、神明造、大相撲名古屋場所初日 | 論説 [ ● ]おおす新聞

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皇御國、第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)、藤田東湖「和文天祥正氣歌」天地正大氣 粹然鍾 神州。吉田松陰「士規七則」士道莫大於義 義因勇行 勇因義長。日本國領土 尖閣諸島徹底護持、七生報國

皇尊弥栄 皇御國弥栄


神事・相撲!
日の丸 神明造
大相撲名古屋場所初日 7月7日





出雲大社に掲揚されている威風堂々・大日章旗・日の丸(面積75畳)



出雲大社の日本一の大国旗(面積75畳、重さ49kg、高さ47m)
画像上に少し見えるのは出雲大社の大しめ縄 
出雲大社大しめ縄は6代目(平成24年7月9日)   
出雲大社 御祭神 大国主大神 幽冥主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)
幽冥神語(ゆうめいしんご)
幽冥大神 憐給恵給 幸魂奇魂 守給幸給
(かくりよのおおかみ あわれみたまい めぐみたまい さきみたまく しみたま まもりたまい さきはえたまえ)






五穀豊穣 天壌無窮

皇朝萬葉一統 皇尊彌榮 皇御國彌榮

神事 相撲



大祓詞




ひふみ祝詞


ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑにさりへて のますあせえほれけ

十種大祓




沖津鏡 辺津鏡 八握剣 生玉 死返玉 足玉 道返玉 蛇比礼
蜂比礼 品物之比礼

一二三四五六七八九十 布留部 由良由良止 布留部

石上神宮・特殊神事「鎮魂祭」

物部神社・鎮魂祭





日本国国歌「君が代」


君が代は
  千代に八千代に
 さざれ石の
   巌(いわお)となりて
    苔(こけ)のむすまで






大相撲名古屋場所は7月7日から7月21日まで。

日の丸、神明造から、御稜威輝く我国日本が見事に表現されていることが確認できる。

土俵の上にある吊り屋根の神明造(しんめいづくり)は、鰹木(かつおぎ)が五本で奇数、千木(ちぎ)が外削ぎで男神(おがみ)の様式。

今年10月2日に20年に一度の式年遷宮を迎える伊勢神宮・内宮は、鰹木10本(偶数)、千木・内削ぎで女神(めがみ)の様式の唯一神明造。

また同月5日式年遷宮を迎える伊勢神宮・外宮は、鰹木9本(奇数)、千木・外削ぎで男神の様式の神明造。

皇御國、豊葦原瑞穂の國、敷島の大和の國、神州日本の神事・相撲、大相撲名古屋場所が開催された。





土俵まわり
以下、転載

「吊り屋根(つりやね)」
 昭和27年(1952)9月場所から、それまであった四本柱(しほんばしら)を取り払い、屋根だけ残したものです。


吊り屋根
 伊勢神宮の神明造りと同じ屋根の骨組みは、アルミ軽合金でできています。外装は欅(けやき)、檜(ひのき)、杉材を使い、縦横各10メートル、高さ8.6メートルとなっています。

紋章や重要部分は純金メッキを使用し、総重量は6トンあります。

 約40メートルの天井から2本のワイヤーロープで吊しています。ワイヤーの太さは22ミリです。1本で約30トンを支えることができるので、60トンは大丈夫といわれています。

 相撲以外の催(もよお)しの時は、上下装置で天井の一番上まで吊り上げています。それにかかる時間は12分です。


「水引幕(みずひきまく)」
 吊り屋根の下に張り巡らされている紫色の幕のことです。幅120センチで相撲協会の「桜」の紋章が白く染め抜かれています。

水引幕  
 その語源は、東西の力士が精力を尽くして勝負を争うと熱気がほとばしるため、水を表わす幕を張って土俵を沈めたところから「水引幕」といったと伝えられています。

 また「水は不浄の塵(ちり)をはらい、その元は清浄なり。(中略)天地人の3つを清めるというにして即ち北より巻始め、北の柱で巻き止める。」とされて、水引幕は、北の黒房から東の青房、西の白房と張って、黒房に戻ります。これは太陽の運行と四季の移り変わりを表わしています。

 水引幕の中央を絞(しぼ)り上げているのは、「揚巻(あげまき)」と呼ばれる小さな房です。房の色は四房(しぶさ)と同じく、方位によって四色の色房が使われています。


「四房(しぶさ)」
 吊り屋根の四隅を飾る四色の房のことです。それぞれの色が四季と天の四神獣(しじんじゅう)を表わし、五穀豊穰(ごこくほうじょう)を祈念(きねん)しているともいわれています。
◯正面東側(東北) 青房 東方の守護神 青龍神(せいりゅうしん=青い龍)春
◯向正面東側(東南)赤房 南方の守護神 朱雀神(すざくしん=赤い鳥) 夏
◯向正面西側(西南)白房 西方の守護神 白虎神(びゃっこしん=白い虎) 秋
◯正面西側(西北) 黒房 北方の守護神 玄武神(げんぶしん=黒い亀)  冬


四房(しぶさ)
 この天の四神獣は、土俵を守る意味で四隅に祀(まつ)られて、高松塚古墳(昭和47年(1971)に奈良県明日香村で発掘された飛鳥時代の古墳)の壁画にも描かれています。

 四色の房は、絹の刺繍糸(ししゅういと)を撚(よ)り合わせて作ります。1本の長さは230センチ、太さは70センチ、重さ25キログラムです。土俵から房の先までは305センチの高さになっています。


「四本柱(しほんばしら)」
 吊り屋根ができる以前は、四本柱といって土俵の四隅に柱が立ち、その上に屋根が置かれていました。柱には四色の布がそれぞれ巻いてあり、その色は四季と天の四神獣(しじんじゅう)を表わし、五穀豊穰(ごこくほうじょう)を祈念(きねん)しているともいわれています。
◯正面東側(東北) 青柱 東方の守護神 青龍神(せいりゅうしん=青い龍)春
◯向正面東側(東南)赤柱 南方の守護神 朱雀神(すざくしん=赤い鳥) 夏
◯向正面西側(西南)白柱 西方の守護神 白虎神(びゃっこしん=白い虎) 秋
◯正面西側(西北) 黒柱 北方の守護神 玄武神(げんぶしん=黒い亀)  冬

 この天の四神獣は、土俵を守る意味で四隅に祀(まつ)られて、高松塚古墳(昭和47年(1971)に奈良県明日香村で発掘された飛鳥時代の古墳)の壁画にも描かれています。

 昭和5年(1930)3月場所までは、勝負検査役(現在の審判委員)は四本柱を背にして土俵上にいました。

 昭和27(1952)年9月場所、取組を観客に見やすくするために四本柱は取り払われ、吊り屋根にし、四房に代わりました。
それに伴って柱に吊してあった塩と力紙は土俵下に降ろされました。


「水・紙・塩」
○水
 力士が口をすすぎ身を清めるための水で、全力で戦う水杯に通じています。「力水」「化粧水」「清めの水」ともいい、十両以上の取組でないと使用できません。江戸時代の朱塗りの大杯に代わって昭和16年1月場所より柄杓(ひしゃく)が使用されるようになりました。東方は赤房、西方は白房の土俵下に手桶を備えています。

○紙
 力士が口元をぬぐったり、体を清めるために使います。半紙を半分に切ったもので水桶の上に備えています。「力紙」「化粧紙」ともいい、1場所で2000枚用意されています。

○塩
 土俵の邪気を払い清め、神に祈る意味でまく塩は「清めの塩」といわれ、竹製のザルに入れ、東西にそれぞれ置かれています。1日45キログラム、15日間で約650キログラム以上の塩が用意されています。

(転載ここまで)



手刀は感謝の儀式
以下、転載

勝負の後、力士は互いに一礼し、勝ち力士は行司の勝ち名乗りを受ける。

懸賞金があれば「手刀」を切ってこれをいただく。

手刀というように右手で3度空を切る動作だが、これは土俵を守る三神に感謝する意味がある。

その三神とは天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣神(たかむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)のこと。手刀は左、右、中と切るのが正しい作法である。

もともと江戸時代からある作法だが、これを広く世に広めたのが元大関の名寄岩。

昭和25年春場所の12日目、若ノ花戦で懸賞がかかり、この一番に勝った名寄岩が丁寧に手刀を切って懸賞を受け取ると館内は大歓声。

真摯な土俵態度に誰もが感銘を受けた。

それまで手形を切る力士はあまりいなかったが、それ以来、力士の間で徐々に広まり、昭和41年には相撲協会が「懸賞は手刀を切って受け取ること」と正式に通達し、土俵作法の決まりごとになった。

(転載ここまで)



『古事記』を紐解く(上巻1)  天地初発之時と天之御中主神
天地初発之時と天之御中主神
以下、転載

 『古事記』の本文は次のように始まる。

     天地初発之時、於二高天原一成神名、天之御中主神

                            ※一、二は返り点

【神名・語句解説】

このわずかな原文に対する訓みだけでも研究者によって異なっている。代表的なものだけでも以下ように9説あって、定まっていないのである。

①あめつちの はじめてひらくるとき たかまのはらに なりいづるかみを
あまのみなかぬしのかみとまをす        (寛永本『古事記』)
  

(転載ここまで)




天御中主大神



古事記





おおす新聞 2673(25)-07-09 22:11 配信





「皇尊弥栄 皇御國弥栄」神事・相撲!大相撲名古屋場所 大相撲ふれ太鼓(於)大須 25/07/06
http://amba.to/12jlUvL 






(追記)

平成27年 大相撲名古屋場所(7月12日~7月26日)

公益財団法人 日本相撲協会は、日の丸を掲げる場所を変え、そしてツイッター画像での満員御礼の日の丸を排除、更に中日新聞社の社旗を二つ克明に写し投稿。

日の丸排除は、日本相撲協会、中日新聞社、NHK、愛知県等の意思、背景によって行われたのだろうか?

名古屋場所を愛知県体育館で開催して50周年にして、日の丸を排除した事実。

愛知県体育館50周年(昨年9月)を記念して、愛知県体育館の正面玄関の壁に支那国旗(支那は、日本国領土・尖閣諸島を簒奪せんと画策中。南シナ海を侵略中。チベット・ウイグル・南モンゴルで虐殺・拷問・弾圧・民族浄化を執行中)、毛沢東(人類史上トップクラスの約8000万人を死に至らしめたとされる共産主義者)の写真が掲載されている「ピンポン外交記念モニュメント」を愛知県は設置、本年5月19日に除幕式が行われたが、これに合せて日の丸を排除したのだろうか?

日本のメディアが報道しない支那(china)の事実

http://amba.to/OLElKL




平成27年7月12日から7月26日までの大相撲名古屋場所から、日本相撲協会公式ツイッター満員御礼のツイート画像から、同場所、全15日中、10日間、日の丸が排除された。

今までは、土俵上の神明造りの上に日の丸を横に掲げていたのが、神明造りから離れたところで縦に日の丸を掲げるようになった。

当然、NHKの実況では日の丸は全く映ることすらなくなった。

この大相撲名古屋場所までは日の丸は高らかとツイッター画像で写っていた。

NHKでは、なるべく写らない様にしようと思っても、神明造りの上に掲げてあるので、写りこんでしまうようになっていた。

この大相撲名古屋場所では、日の丸排除の後、中日新聞社の社旗を写し出し始めた。

この大相撲名古屋場所から満員御礼のツイート画像から日の丸を排除したことに疑義を呈し指摘した。

仮に指摘しなかったなら、そのまま日の丸排斥、中日新聞社の社旗を二つ写した満員御礼のツイート画像のままだったろうとも推測される。

日本相撲協会内で日の丸排除の力学がどの様に働いたのだろうか。

神事(祭事)を起源とし、我が国固有の国技と日本相撲協会が自らがいうところの相撲をして、自らが日本国国旗「日の丸」を排除する行為に対して違和感を感じ、明らかな排日的な意図を感じる。

日の丸排除のかかる事象から推測できるのは、日本相撲協会内に排日の考えを持った人がいるのだろうというところだろうか。

以下に平成27年大相撲名古屋場所で、日本相撲協会が満員御礼のツイート画像で日の丸を排除した日、日の丸を写した日を記す。

ツイッター内で検索→「@sumokyokai 満員御礼」
https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=%40sumokyokai%20%20%E6%BA%80%E5%93%A1%E5%BE%A1%E7%A4%BC&src=typd

画像詳細が確認でます。
平成27年 大相撲名古屋場所 満員御礼ツイート画像
7月12日 日の丸なし
7月13日 日の丸なし
7月14日 日の丸なし 中日新聞社の社旗少し写る×1 
7月15日 日の丸なし 中日新聞社の社旗少し写る×1
7月16日 日の丸なし 中日新聞社の社旗少し写る×1
7月17日 日の丸なし 中日新聞社の社旗×2
7月18日 日の丸なし 中日新聞社の社旗×2
7月19日 日の丸(斜めに写す) 中日新聞社の社旗×1
7月20日 日の丸なし 中日新聞社の社旗×2
7月21日 日の丸なし 中日新聞社の社旗×2
7月22日 日の丸なし 中日新聞社の社旗×2
7月23日 日の丸写す
7月24日 日の丸写す
7月25日 日の丸写す
7月26日 日の丸写す


平成27年 大相撲名古屋場所時
日本相撲協会理事長 北の湖 敏満(第55代横綱 北の湖)

(追記ここまで)




第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)


大須は尊皇の街 萬世一系乃皇統護持

古事記1300年 大須観音展



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