こんばんはー。
先日のブログの続きになります。
母を退院させる事ができ、実家に久しぶりに父母、兄2人揃いました。
私は入院以来、たった2週間の入院なのに変わり果ててしまった母を、ようやくみんなに会わせる事ができたので、安堵してたと思います。
親戚の法事でも、多忙で全員揃う事なんてなかったので、非常に珍しい状況で母を迎えました。
自宅には、
訪問医療の担当医の先生と看護師さん
訪問看護師さん
薬剤師さん
ケアマネジャーさん
リース会社の担当さん
が待機して母を万全の体制で迎えます。
しばらく私は会っていなかった、同じ県内に住む長兄も、
すでに母の余命を知っているので、毎日顔見せに来るからと涙を流して語りかけていました。
次兄はごく近所ですので、子供達を連れて毎日来ると言っています。
長兄は不動産業界
次兄は建築設計業界
で働いていますが、2人共コロナにより在宅勤務中で自由がきくようです。
私は、母の退院日まで前会社在籍で調理人。
(コロナの為、本社へ1年出向中)
私はコロナで本業が暇になっている為、不動産業へ出向していたのですが、
実は母の退院翌日より本社への転籍が決まっていたので、不動産業にて働く事になっていました。
退院翌日より、本社不動産業勤務になり、いきなり休むわけにもいかないので、日中は兄2人に母の付き添い介護を交代でお願いし、
父には、母の最後まで休暇を取ってもらう事になりました。
私は緊張の本社勤務と、末期癌の母との介護生活が同時に始まりました。
小学生の頃から家から脱走を繰り返していた私。
最終学歴、かろうじて中卒。
人生、わからないものだなぁーとつくづく思いました。
ちなみに、私が小学生の頃自宅に居れなかった原因は、母の退院に涙を流して語りかけていた長兄による私への虐待です。
私が小学4年の時、すでに高校2年位だったと思いますが、毎日毎回長兄にボコボコにされていました。
おはよう御座います…
と朝声をかければ、気を失うまで殴られる。
挨拶しないと…
気を失うまで殴られる。
先に寝ると殴られる。
後に寝ると殴られる。
母が止めると、母もボコボコに殴られる。
父が止めると、父もボコボコに殴られる。
毎日がカオス過ぎて、リアル家なき子となりました。
当時は殴られる位なら野宿していた方が快適でしたので、
TVで取り上げられているような、東横キッズ達の気持ちは、少しだけわかるような気がします…。
又話が又脱線しかけましたが、
母が退院して数日すると、もう家族を認識出来ない時間が増えてきました。
食事はすでに自力で取れず、チューブで直接胃に流し込まれ、点滴を24時間入れ続けています。
排泄は、オムツと膀胱まで管が入り直接排出されるのを、在宅看護師さんが代えてくれました。
体重はみるみる減っていきます。
本来なら、尋常じゃ無い痛みがあるようなのですが、奇跡的に脳に有るうちの一つの癌が痛覚を少し麻痺させているらしく、モルヒネのような強力な鎮痛剤を必要としなかったのが幸いでした。
2人の兄は、日中母を見にきてくれますし、私も慣れない業務を必死で覚えながら、夜中は母の脇で、父と交代で点滴を外さないように見守ります。
そんな中、2人の兄が自分達の家に帰った後、
そろそろ病院の支払いを準備しとこうか?と、父と話になり、父名義の銀行通帳をさがしました。
細かい支払いはその都度私がしてましたが、そろそろ大きい支払いが出てくるので、父名義の通帳の残高をチェックしました。
子供の頃から外食は一切しない異常な程倹約家の母でしたし、
兄達の学費は20年以上前に終わっている。
父は2年前だから74才?でもずっと働いていましたし、年金は2人共もらっていたので、少なくても2〜3千万はあるだろうと通帳を見てみた所、
何故か残金数十万しかありません。
あれー?通帳間違えたかなーと郵便通帳を開きます。
ちょー長くなってしまいましたが、
うまくまとめられないので、また後日続き書きたいと思います
お付き合いいただき、ありがとうございます