「一つの花」をひとり読みして思ったこと

教師は、ついいろいろと教えたくなるものです。戦争のことを教えなければ・戦争で苦しむのは庶民や弱 い立場の人だと言うことを教えなければとなります。そのために、事前に戦争の被害についてのことを教え なければと考えがちです。それで、「一つの花」を読む意義は薄れると思います。作品を直接読んだ時の感 情・問題意識が戦争のことにいけば、それに関するものを探して読んでいくはずです。私は、そうした子ど もの主体的力を育てたいと思います。それでも。一つの作品から、結果を求めがちになります。これは間違 いだということを意識しながら、子どもたちに感じて欲しいことが何かを考え、それを実現するためにどう するかを考えていきます。考えが先か、感じさせるが先かを考えることも重要です。感じなければ、真剣に 考えません。そんなものです。 淡々とした「描写」(語り)で提示される空襲の厳しさを先ず読ませ考えさせたい。これにはかなり困難 が伴うでしょう。深追いは禁物です。お菓子や主食の米が庶民の生活から消えた状況について具体的に感じ させたい。子どもたちに自分事として文学を読んで欲しいからです。「おまんじゅう」は今の子どもには魅 力はないでしょう。私の様な戦後直ぐの世代では重要でした(~そだ-村の村長さんが死んだそうだ。葬式まんじゅう - でっかいそうだ~なんて歌を歌ってましたから)。キャラメルも今の子には遠いでしょう。幼いゆみ子が「一 つだけちょうだい」と言った時の悲しさを親の立場で考えるのは、困難です。10 才の子が大人になれませ ん。虚構をの文学作品ですが、心情理解には無理があります。困っただろうなということが、おぼろげに感 じられたら最高です。「一つの花」で人物の心情を考えるとなると、幼いゆみ子・お母さん・お父さんとな ります。終わりの部分は、4 年生の子どもを通り越した高学年から中学生くらいです。年齢的に離れた人に 同化するのは困難です。このことは教師として自覚しておくべきです。でも、そのことが要求されているこ とに、この作品の問題があると思います。汽車で出征していく場面が研究授業の場面になるだろうと思いま すが、困難だいう意識は忘れて欲しくないです。コスモスがあった場所、それに気づき摘んできてゆみ子の 渡すお父さんの人柄を具体化しクローズアップすることで、意味を考えさせたいところです。駅に着くまで におにぎりをあげてしまい、ゆみ子をぐずらないようにしていたお母さんの配慮が背景にあります。この辺 を総合化することで、文学を読む力が鍛えられるだろうと思います。心情理解は後からついてくるでしょう。 明るい 10 年後の世界をどうみるか、ここは難しい所です。私は、この部分が好きではありません。「ゆみ子 は、お父さんの顔をおぼえていません。自分にお父さんがあったことも、あるいは知らないのかもしれませ ん」も表現に引っかかってしまします。ここを軽く扱えば、どうにかなると思います。この表現に対する批 判ができる子がいたら、賞賛したいです。

 ★以前受け持った4年生の子がが別れの場面をどう考え、書いたか 

『一つの花を見つめて行った』YT「ゆみ子が泣いてしまった。それでお父さんがコスモスの花を持っ てきて、泣き止ませた。そして、だまって行ってしまった。ゆみ子を見ないで、一つの花を見つめて行って しまった事がぎ問と残った。私が思うには、この一つの花で最後なのに、ゆみ子の泣き顔を見なく、さよな らができた。なので、『一つの花ありがとう』という感じで、見つめて行った事が分かります。それに、そ の一輪のコスモスは、プラットホームのはしっぽにゴミすて場のようなところにさいてあった。なので、『す てられたように育つな。元気に強く生きれ』というように。だから、一つの花、コスモスを見つめながら乗 って行った。まとめて言えば、この一つの花に、思い出、父の思いがこめられている。なので、題名が一つ の花となった」 『一つの花を見つめたお父さん』MT「わたしは、なぜゆみ子を見なかったかというと、ゆみ子を見 ていると、また悲しくなってしまうからだと思う。他に、一つの喜びは、コスモスだからだと思う。お父さ んが『喜びなんて一つだってもらえないかもしれない』と言ったけど、ゆみ子にしては、それが喜びかもし れないから。そんなに喜んでくれて、お父さんも嬉しかったのかもしれないから。それに、お父さんの方も、 ゆみ子やお母さんと別れるのが悲しいのだから、汽車に乗る時は、にっこりわらったけど、本当は悲しいか ら、ゆみ子やお母さんに悲しい顔を見せたくなかったからと思う。だから、ゆみ子のお父さんは、花だけを 見つめて行ったと思う」 

『お父さんが一輪の花を見つめて行ったわけ』KH「お父さんが一輪の花を見つめて行ったわけは、ゆ み子との最後の別れになるだろうと思って、一つの花を見つめて行ったと思う。お父さん、ゆみ子にとって は、二人の思い出の花だと思います。そして、お父さんは、ゆみ子が持っている花を大事にして欲しい。そ んな気持ちで行ってしまったと思います。そして、ゆみ子がうれしそうに持っているコスモスの花。お父さ んのやさしさがこもっているそんな一輪だけの花を見つめながら、ゆみ子たちにお別れを言ったと思います」

 『お父さんがゆみ子を見なかったわけ』SA「お父さんが何も言わずに、ゆみ子を見ないでコスモスを見て汽車の乗り場まで行ったわけは◎戦争に行くのは死にに行くのと同じだから、もう会えなくなるかもし れないゆみ子の顔を見ると、行くのがつらくなってしまうからゆみ子の顔を見なかったと思う。そうじゃな かったら、お父さんが『一つだけのお花、大事にするんだよう』と言ったから、その一輪の花はずっとゆみ 子のそばにいられるから、お父さんは(いいな……)と思いながら、その一輪のコスモスの花を見て、ゆみ 子の顔を見なかったと思う。思ったこと 教科書には『ゆみ子のにぎっている一つの花を見つめながら』と 書いてあるけど、にぎっている一つの花を見れば、ゆみ子の顔も目に入ってしまうと思う。そうじゃなかっ たら、ゆみ子と別れるのが悲しいと思う」

 『一輪の花を見ていたお父さん』SK「わたしは、なぜゆみ子のことを見ないで一輪のコスモスを見て いたのかなと思いました。お父さんは、ゆみ子のことを見ると別れにくくなるから、一輪のコスモスを見て いたのかなもしれない。それか、一輪のコスモスでお父さんのことを思い出してもらいたいからだと思う。 でも、お母さんも、ゆみ子も見ないでいたのだから、コスモスに大切な思いを込めていたのだと思う。ゆみ 子のお父さんはやさしいお父さんだと思うから、知らん顔をして行くなんてことをしないはずです。お父さ んは戦争に行くことも、ゆみ子と別れるのも本当はいやだった。一輪のコスモスは、お父さんが最後にあげ る『一つだけのもの』になるかもしれない」

 『一つの花を見ていた』MM「どうしてゆみ子見ないで、一つの花を見て汽車に乗ったのか。たぶん、 『にっこり笑う』と書いてあったから、ゆみ子に一つだけの喜びを味あわせてあげたんだと思う。それに、 ゆみ子の泣き顔を見たくなかったので、コスモスの花をとってきて、ゆみ子を喜ばせて、泣き顔でなくなっ たから、汽車に乗ったと思う。ゆみ子を喜ばせたコスモスの花を見て、行ってしまったと思う」 

『何も言わずに行ってしまったこと』WJ「何も言わなかったのは、花をあげて話したりすると、ゆみ子 やお母さんを悲しめるから、何も言わなかったと思う。あと、ゆみ子が『一つだけ、一つだけ』と、言って 騒ぐからだと思う。だから、ゆみ子が喜んで、お父さんを見ないで、喜んでいたのだから、何も言わないで 汽車に乗っていたと思う。お父さんが汽車に乗る時、お母さんや知っているのかと思う。知っていたのなら、 何で何も言わなかったのかと思う」

 『一輪のコスモス』HY「なんでゆみ子のことを見ないで、一輪のコスモスを見て行ってしまったのか な。いろいろ考えてみました。私は、一輪の花を見た思い出だと思いました。一輪の花を見ていたゆみ子は キャッキャと足をばたばたさせて喜んでいる。ゆみ子はコスモスを生まれて初めて見たんだなというところ から、私は思い出だと思いました。ゆみ子の顔がにこにこしている様子もコスモスが表わしているように思 ったかもしれない」 

『一輪のコスモス』FM「ぼくは、一輪のコスモスをゆみ子に渡したのは、ゆみ子の泣き顔を見たくな いから、お母さんに『おにぎりを食べさせてやってくれ』と言ったから、最後に会うかもしれないから、泣 き顔を見たくはなくて、ぎゃくに、うれしい、楽しい、そんな顔を見たかったから。一輪のコスモスをゆみ 子に渡してさよならと言うかというように渡していたよう。でもコスモスは、ゆみ子にとっては、とてもう れしかった様に見える。また、コスモスがさよならプレゼントになっているように思う」 

『コスモスの花をみつめながら』ST「なんでゆみ子を見てかないで、コスモスを見て行ったかは、最 後にコスモスをゆみ子にあげたから、コスモスもゆみ子も同然だと思っているからだと思う。それが最後の おくり物としてゆみ子に渡して、死ぬ覚悟で最後のおくり物をしたと思う。ゆみ子のお父さんは体が弱いの に戦争に連れて行かれて、ぼくは、かわいそうだと思う。コスモスが忘れ去られても、ゆみ子は喜んでくれ たから、コスモスを見て戦争に行ったと思う。とてもこの場面は、かわいそうなお話だと思った」 

『お父さんがコスモスを見て行った』BK「ぼくは、お父さんがコスモスを見て行ったのは、多分次の 通りだと思う。ぼくだったら、ゆみ子を見ながら行くけど、お父さんはゆみ子の花を見て行った。ぼくは、多分、あの時喜びなんて一つだってもらえないと言ったが、あの花で喜ばせた。一つだけの花でも喜べたの だから、山ほどの花でも喜ぶはずだ。そんなことを思ってたんだと思う。それか、戦争に行くのは、死にに 行くようなものだから、自分のこと最後の思い出にしたくてあのゆみ子を喜ばせた花も思い出の中に残した かったんだと思う」 

★戦後の部分に触れている例 

『一つだけの喜び』TK「ゆみ子は、お父さんのにぎっていたコスモスをもらって、とてもうれしか ったと思う。お父さんもゆみ子に喜んでもらえてうれしかったんだね。一輪のコスモスのために、ゆみ子の 一生を変えたんだ。だから、ゆみ子を、明るい、親孝行な子になったんだね。あのコスモスがなかったら、 ゆみ子は、暗く、いん気で無口な子になってしまったんだね……。なんでかというと、喜びなんて一つも味 わえない子は、自分の自由がなくて、いかにも大変そうで、暗い感じがするけど。自由もあって苦しみあり 悲しみもあり、また、たくさんの喜びがある。それまでのゆみ子には、喜びなんて一つも無かったから、お ねだりすることしか知らなかった。かわいそうに! でもお父さんは、一輪のコスモスにどんな思いをよせ ていたのだろう。私は、おそれくだけど『あのコスモスの花一輪で、ゆみ子のかけがえのない一生が変わる のだろうか。そして、ゆみ子はどんな子に育つのだろうか。一つだけの喜びなんて今まで無かったあの子に ……。そして、私は、もう長くは生きられぬだろう。それなのに、ゆみ子はどう思っているのか……』と思 って、あの一輪の花見つめながら行ってしまったのだろう。戦争の事がのっている物語ってそういうパター ンだもの。今までの『おこりじぞう』や『ゆみ子とつばめのおはか』とか読んだけど、こんな本読んだの初 めて。でも、今西先生の本って、自分たちで考えるような本が多いんですね。『ゆみ子とつばめのおはか』 は、そういうシーンがないです。『一つだけの喜び』は、今までに心いっぱいにならなかったゆみ子の喜び が、お父さんからもらった一輪のコスモスが、何とも言いようのない喜びなんてになったと思います。そし て、ゆみ子はとても良い女の子になりました。そうこれは当分です。だって、今のゆみ子の様子を見ると、 そう思えるんです。私は、こんな生活をしたことはないから、分からないけれど、大体のゆみ子の気持ちが 伝わってくるような気がしました」

 『一輪のコスモスを見つめて行くゆみ子のお父さん』IA「わたしは、ゆみ子を見つめながらだと、涙が 出てしまうと思う。コスモスにも、自分のあげた一つの物……。一つの花に心がこもっていると思う。お父 さんは戦争に行っても、コスモスが心に残っていると思う。多分、死ぬまで……。そして、自分がどれだけ ゆみ子に対するやさしい言葉をかけてあげられたか、振り返ると思う。一輪のコスモスの花をあげたのが、 やさしくしてあげられた最後だから、一輪のコスモスに、ぼく(ゆみ子のお父さん)の分までゆみ子にやさ しくしてあげて……。と言っていたのかな。コスモスはその後何倍にも増え、ゆみ子を花いっぱいの楽しい 生活にしてあげます。それをお父さんが知れば、とても喜ぶと思う。なぜなら、コスモスがゆみ子のお父さ んが見れなかった分の顔を見てくれるから、それに最後の『一つ』の花がそれだから、花いっぱいの楽しい 生活にしてあげているから」

 ※こういう読みをする子が居るので、十年後の部分は有っても良いと思う。

 『一輪のコスモス』NY「お父さんはあんなに喜んでくれたんだから、ゆみ子がコスモスの花をお父さ んの代わりだと思って大事にしてくれると思ったからだと思います。それで、お父さんは、ゆみ子を見ずに、 コスモスの花を見つめながら戦場に行ったんだと思います。そして、お父さんも、ゆみ子のことを思い出す 時、『一つだけ……』ということばを言っているゆみ子の思い出や、それといっしょに、コスモスの花も思 い出すと思います。だってあのコスモスの花が、お父さんから、ゆみ子にあげる最後の喜びだからです。ゆ み子が大きくなった時は、お父さんのことをおぼえていない。でも。とんとんぶきの家は、コスモスの花で - 7 - いっぱい。そのコスモスの中で、お父さんが、ゆみ子のことをちゃあんと見ているんだと思います。コスモ スの中で、お父さんは、ちゃんと生きてると思います」 

『ゆみ子のことを見ないでコスモスを見ていたわけ』KK「ゆみ子のお父さんは、プラットホームの はしの方へ行ってコスモスを見つけていた。そのコスモスを、ゆみ子のお父さんは、ゆみ子にあげたかった からあわてて、お父さんは、『一つだけの花大事にするんだよう』と言った。でも、ゆみ子のお父さんは、 自分が戦争に行って、絶対に帰ってこないということが分かっているから、ゆみ子が大きければ、『形見に してね』と行ったと思う。お父さんは、ゆみ子に一輪のコスモスをあげたら、ゆみ子はキャッキャと足をば たつかせて喜んだ。お父さんは、ゆみ子の喜んだ顔を見て、だまって汽車に乗って、ゆみ子がにぎっている コスモスの花を見つめて、ゆみ子のお父さんは、こう思っていると思う。(ゆみ子、お父さんを覆えてなく ても、花の好きな子になるんだよ)と思っていて、ゆみ子を見ないで、ゆみ子のにぎっている一つの一輪の 花を見て行った、と思う」 

『お父さんはゆみ子のことを見ないでコスモスを見つめて行った』 MH「お父さんは、一輪の花を 見つめながら、前の事を思い出していたと思う。ゆみ子はお父さんの顔を覚えていなかった。本当は、戦争 なんて無ければ良かった。だけど、ゆみ子にはお父さんがいないと思っているらしい。本当は、お母さんが 『お父さんは戦争に行ったきり、帰ってこないんだよ』と言っても良いと思う。でも、お母さんは、そんな こと言ったらかわいそうだから言わないのかもしれない。何か言って、汽車に乗って行くと、ちょっとさび しいからだと思う。それと同じで、ゆみ子を見つめて行くと、さみしいからだと思う。本当に、ゆみ子は、 お父さんがいないと思っているのかな。だって、他の家にはお父さんがいるかもしれない。だったら、ゆみ 子も『お父さんは』て聞くかもしれない」

教師の読みを押しつける気はありません。子どもたちがそれぞれに必死に考えることができ、自分の思いを綴ることができていれば良いという考えで、授業を進めてきました。子どもたちの感想・意見文を打ち直してみて、自分の実践のあらも見えますが、良く考えていたな…と懐かしく・うれしくなりました。