5 「盲導犬ロボット産声」(朝日新聞10月9日)
 『盲導犬の訓練』の学習後に、「盲導犬ロボット産声」の記事があったので、一緒に読みました。目的地を言うとカーナビと同じように地理情報システムを駆使して誘導する仕組みになっているのです。歩道や白線はそのシステムで分かります。具体的な障害物の確認はビデオカメラです。歩行者の不規則な動きにまだ対応してないのですが、足元の影をセンサーで確認して規則性を高めれば実用化のめどが立つという記事です。子どもたちの評価は、厳しい訓練を経て育成される盲導犬の方が良いという意見が大勢でした。
「ぼくの夢は、ロボットを作る夢です。そして、この盲導犬ロボットを見て、もっとロボットを作ってみたくなってきました。何で作りたいと思った理由は、ゴン(うちの犬)の遊び道具です。みんないないけど、ロボットがあればいいです。ワン!」(bb)
「盲導犬の変わりをする犬ロボットがいるなんてすごいな。四年に追いつくなんて初めて知りました。でも、盲導犬の方が良いと思いました。ロボットは反応が鈍いけど、犬は素早いし、助けるのも早いから、犬の方が良いのかなと思いました。犬やロボットは人間にとって大切なんだと思いました」(fk)
「盲導犬ロボットを作っても、盲導犬の方がやっぱり、事故とか起きた時に、動き回りやすいし、目で回りを見えて、助けられて良いな。あと四年経ったらどうなるかな」(mn)
「盲導犬みたいなロボットを作れたのはすごいけど、いつか本当の盲導犬みたいに動きが速くてちゃんと訓練を受けている犬みたいな盲導犬ロボットを造れたらいいな」(tk)
「盲導犬のロボットがあるからすごいな。盲導犬は厳しい訓練をして盲導犬になったのに、ロボットは覚えさして動くから、盲導犬は大変なのにな。でも、盲導犬のロボットも早くなると思います」(yt)
「盲導犬ロボットを発明したのは良いけれど、盲導犬の方が頭が良い。盲導犬は人の為に死ぬ犬もいるけど、普通の盲導犬の方が良い」(tj)
「盲導犬ロボットは、盲導犬の代わりをするのはすごいな。十年前から作り始めて、やっと作れたのは、すごく考えて作ったんだな。盲導犬ロボットは本当に役立ってくれるのかな。すごい物を作っていい人だな」(sd)
「盲導犬のロボットがいたなんて、初めて知った。ボディだけで一億八千万円なんてすごいな。障害物の時だけはビデオカメラで見てすごいな」(峰添)
「盲導犬ロボットを作って盲導犬の代わりになるできると言っても、本当に大変な時良いのは本物の盲導犬だと思います。なぜかというと、川の堤防が壊れて水が出てきてしまったら、ロボットは水で壊れてしまうけれど、本物の盲導犬なら、泳いで助けてくれる思いました」(tt)
「盲導犬の代わりになるロボットは犬を苦しませなくて良いと思うけど、犬の方が気持ちもちょっとは分かるし、ロボットは目の不自由な人のスピードにも合わせられないし、ロボットは盲導犬と違って生きていないから、ぼくは盲導犬の方がいいな」(it)

五 「障害」についてのいろいろな文を読み考えを進めたことについて
 新聞記事を通して、よく考えています。私はテーマを決めてそちらに誘導するような授業をしません。最初の読みを大切に扱いながら、子どもたちが自分の力で文章を読んでいくことを重視した授業をします。全力で文章に当たり、それをもとに集団での話し合いをしていくという授業形態です。子どもたちが自由に思考し、情報を鵜呑みにしない読みをしたことを高く評価します。私の考えた視点と別の視点で子どもたちが思考を展開していると、とても嬉しく感じます。個々の部分に子どもたち独自の思考の展開があり、良かったと思います。多少難しいと考えられたことでも、子どもたちは思考を押し進めていきました。困難さを理由に何もしないより、多少難しいことでもチャレンジして良かったと思います。生の記事を小学生に与えることについての批判もあるでしょうが、小学生でも内容如何で考えていくことができるという実例を示すことができたと思っています。
 「障害」についての読みは一つの記事で完結するものではありません。重なり合って理解が進むのです。総合的な単元構成をする意図もここにあります。小学校の三年生という抽象的な思考段階にさしかかりつつある子どもたちにとって、『バリアフリー』『薬害で目が見えなくなった少女』『テレビの字幕』『盲導犬の訓練』という四つの物を結びつけながら考えるのは大変なことでした。それでも、そうしたものを関連づけながら、思考させていくということは大切な活動です。『身体の不自由な人のことを考えて』というテーマでまとめを書いてもらいました。「友達の意見や考えで、良かったことを思い出して書くのも良い」「印刷された友達の作文などを参考にして」「プリントに書き込んだことを利用するのも良い」と板書してヒントにしました。
 自分の考えを大切にし、友達の良い部分をどんどん取り入れることを奨励すると共に、自由に思考が転回できることを目指しました。説明文を総合的な視点から読み、考えることを常に意識しています。説明文を読むこと、情報を得ることは、それを元にして自分自身の思考を展開することです。情報を正確に読み取るということが主な目的になっているのではありません。今まで考えていなかったことや、もやもやとした疑問に対しての思考の展開を動機づけることができたらと常々思っています。文章の難しさはもちろん気になりますが、その難しさが読ませないということにつながるのは間違いだと思います。「IT革命」が言われ、「情報化社会」が叫ばれる中で、子どもたちは常に大人と同じ生の情報に晒されています。その中で、自らの思考を展開し、解決の方法を模索していく努力が求められています。子ども用の分かりやすい解説が少ない中で、少しでも分かりやすく、考えさせるべき内容を含んだ文を読み、話し合いにかける努力を続けていくべきだと考えます。
 小学校の三年生なりにいろいろな文字情報を自分で読みながら、考えを進めていくことができます。話し合いを通して何ができるのか? 子どもたちの発達の「最近接領域」、少し背伸びすれば実現可能な部分としてふさわしかったかどうかを考えています。説明文の読みを中心に障害のことを考えました。後日の新聞に、耳が聞こえなくても、豊かな世界に生きているということ、「かわいそう」と思われる「対象」ではないことを考えてもらいたいという障害をもつ女優の言葉が新聞に出ていました。それぞれの人がその人として輝かしく生きていくということが大切なのです。そうした考えで、身の回りの友達や人々を見ることができたらいいなと思います。ほんの少しの教材や新聞記事を読んだだけでは終わりません。一生考え続けていくべき課題でもあるのです。

六 まとめの作文
 本稿を終わるに当たって、子どもたちのまとめの作文の一部を紹介して終えます。
「この前新聞を読みました。それは『バリアフリー』というのでした。バリアは身体の不自由な人が困ってしまいます。でも、バリアフリーはお年寄りや身体の不自由な人が楽に生きることができるという新聞でした。次は、『目が見えなくなった女の子』でした。その女の人、野内さんが肺炎という病気になり、薬を飲み肺炎は治ったけど、スティーブンスジョンソン症候群という病気になって目が見えなくなってしまいました。今度は耳が聞こえない人のための字幕という新聞でした。ぼくは、最初は『字幕というのは何なんだ。ただのじゃまじゃないか』と思っていたんだけど、耳の自由が奪われた人は、字幕があると家族と一緒に笑いながらテレビを見られるというのを知って、ぼくはどんな番組にも字幕をつければいいんじゃないかと思いました。次に、『盲導犬の訓練』です。盲導犬は目が見えない人に町中を安全に歩けるように働く犬です」(tk)
「お年寄りや身体の不自由な人が段差があってこけてしまうバリアをなくして、バリアフリーをたくさん作って、エレベーターやスロープや点字ブロックをたくさん作っていった方が良いと思います。そうすれば、お年寄りや身体の不自由な人が気軽に外に行けると思います。あと、目が不自由な人を守る動物がいます。それは盲導犬です。盲導犬は厳しい訓練を乗り越えて、目の不自由な人を、階段や電柱から守ります。それができるように、たくさん訓練をします」(tt)
「身体が不自由な人の気持ちは、目が見えるようになりたいとか、動けるようになって遊びたいとか、いろいろあるんだろうな。ぼくの身体が不自由だったら、動けるようになって遊びたいと思います。身体の不自由な人は、きっと何かをやりたいと思っていると思います。バリアフリーはぼくにはできないけど、ボランティアはできるから、盲導犬になる犬を苦しい思いをさせないようにして、すこしでも役立ちたいです」(ir)
 自分が考えていなかった領域への思考をこの授業を通して子どもたちはしていきました。障害を自分の問題として考えるのはなかなかむずかしいものがありますが、障害者の気持ちを自分なりに想像していこうとする子どもたちの思考を拓くことができたことは、複数の新聞記事を読ませる授業を組んだからだと思います。自分が担任した学級の子どもたちと、今の問題をいろいろな側面から考えるために新聞記事を読み合う授業を続けていきたいと思います。テレビなどについても話題にしながら、多面的に考えることのできる子どもたちの育成のために今後ともがんばりたいと思います。