四 障害と福祉の問題を考える実践
1『バリアフリーで、安心して暮らせるまちに』「ちば県民だより」9月号(282号)の実践
 県がいろいろな努力をしているのだということを県民に知らせるという文章です。健常者にとっては意識されない何気ない歩道の落差や溝、階段などが障害者にはバリアとなっている現状とそれへの対処について書かれています。ノンステップバスや車椅子でも移動しやすいスロープや点字ブロックについても書かれています。高齢者や障害者にとってのバリアをどうしていくのかをいろいろな側面から、多様に考えるのには適しています。「バリア」と言う言葉が子どもたちには理解しにくいものでした。「バリアは自分たちを守ってくれる為にある」「バリアがあれば安全になる」「『バリア』と言えば、助かる」というゲームの世界の言葉が子どもたちに浸透し、話し合いの後のまとめの作文でもバリアフリーは悪いと考える子が何人も出てきました。大人が使う概念が子どもと大きく違ってしまっていることに唖然とする実践になりました。身体が不自由な人、高齢者との日常的な接触が少ない為に、具体的な例で考えることが難しいのも事実です。体験の量と質が今後問われます。「バリアフリー」と言う用語について、子どもたちも理解を示すようになりました。教材として扱った意義はありました。
「私は、バリアは守ってくれると思っていました。でも、高齢者の人とか、障害者の人にとっては、バリアは良くないということが分かりました。小室の駅とか、他の駅も同じかもしれないと思いますけど、駅には点字ブロックが途中までしかなかったりして、目が余り見えない人はかわいそうだなと思いました」(tn)
「目が悪い人とかは、点字ブロックを使っているんだな。病気の人とかは、エレベーターとかいろんなものを使っているんだ。駅の所に点字ブロックがあるから、目が悪い人がいたら気をつけようと思いました」(ym)
「県では歩道の幅を拡げたり、段差をなくしたり、点字ブロックを取り付けたりする仕事は人の為になるなと思いました。小室駅で点字ブロックがありました。エレベーターやエスカレーターもありました」(sa)
「歩道に段差があったり、駅や公共施設にエレベーターがなかったりすると、目が見えない人は、大変だと思う。こけないのか心配だ」(km)
「歳をとっている人は、段差や溝などに引っかかったり、こけちゃうとかわいそうだなと思いました。でも、歳をとっている人は、段差とかが登れなかったらかわいそうだなと思いました」(kk)

2「天声人語」9月4日(テレビの字幕)の実践
 親切過ぎる社会・お節介社会についての天声人語に対する読者の反応を扱ったコラム記事=天声人語の文章です。意見の集中した「テレビのワイドショー」などで使われる字幕について考えてもらいたいと思いました。夏休み中にこうしたワイドショーなどを見た子が多いと思い、聴覚障害者のことについて具体的に考えることができると思いました。バックミュージックが重なっている部分については、強い意識を持たず、聴覚障害者にとって字幕がありがたいのだということについて考えてもらうことで、多様な思考が展開できると考えました。子どもたちの多くが、ひとり読みの時に、「不親切は大歓迎」という言葉に何故不親切が良いのと反応していました。大人がよく使う皮肉な言い回しへの子どもの反論です。
 子どもたちの語彙は大きな開きがあります。個人差が大きいのです。大人は、定義を明確にしながら論議進めていることを子どもたちは学んでいきます。新聞を読み、本を読みいろいろなことを考える中で、段々と語彙を獲得していくことが必要です。聴覚障害者にとって字幕が身近な家族との共通の話題に入れるという幸せをもたらすということについて読み進める中で、多くの子どもたちが真意を理解していきました。自分たちにとって多少邪魔な字幕について別の視点から考えることができました。
 バラエティ番組だけではなく、台風情報・アメリカでの「9・11同時多発テロ」などニュースでも字幕を使ったテレビの放映が増えています。今後とも、報道内容と字幕についても論議する必要があるるでしょう。戦争報道に関する字幕は難しく、ニュースに関する基礎知識が必要になる部分も多いので、学習したことを総合的に考えに使える子になって欲しいと思います。大人としては、世界で起きていることを時々話題にすることで、子どもたちの素朴な疑問に答えることも必要です。アメリカとイギリスの軍隊がアフガニスタンを夜中に爆撃し、爆撃と同時に食料品などの援助物資も投下したことを捨てニュースで知った子どもは、「そんな食料品は食べない」「毒が入っているかもしれないから、信用できない」「開くと爆発するんじゃないかと思う」「イスラムの人は、食べてはいけない物があるから、食べないと思う」などと発言しました。三年生の子どもたちでも、いろいろな国際情勢について気になっているのです。こうした会話が日常的になされ、情報を集団で話し合っていくという作業が大切なのです。難しいといって「蓋」をして済ませていられる時代ではありません。
☆テレビの字幕についての感想・意見
「画面が見にくいし、下に出てくる字の幅を取りすぎだ。でも耳の不自由な人にとっては字幕は良いんだな」(ma)
「僕にとっては、邪魔だなあと思っていたけど、耳の不自由な人には便利だなあと思いました。字が出てきて読めるから」(mt)
「字幕は僕にはちょっと嫌だけど、耳が聞こえない人には大切なんだと思いました。でも、字幕を消したら、耳が悪い人がかわいそうだなあと思いました。だから、字幕を消したら耳が悪い人がかわいそうだな」(km)
「英語とか、分からないから、下に日本語とか書いてあるから役に立つなあと思いました。耳の不自由な人には役に立つなと思いました」(yd)
「耳の悪い人には役立つ。/耳が聞こえないけど字幕を見ればよく分かる。一緒に笑える」(st)
「画面が見にくいけど、ずっと見ていると面白かった/耳で声は聞こえるけど、字幕があると便利」(ht)

3 「ひと 薬害・SJS患者として薬害根絶を訴える 野内良美さん」の実践
 風邪薬などに今でも入っている「コスモシン」の薬害によって失明してしまった野内さんが、十三歳の誕生日に薬害根絶のリレートークで訴えたことを紹介している記事です。障害が自分の生活と無関係ではないということに気づいて欲しいと考え、読んでもらいました。障害を負ってしまっても、前向きに生きているということを感じ取った子も何人かいました。こうした視点で野内さんを見ることのできた子は立派だと思います。
 薬害問題は大変に難しい問題です。自分とそう年の変わらない女の子の生き方を見て、薬害についても考えることができるのであれば、それはそれとして大きな進歩だと思います。病気を治す為の薬が、新たな病気を引き起こすという矛盾について子どもたちはしっかりと考えていくことができました。障害が自分とは無縁ではないという意識を育てるという面では、うまくいきませんでした。障害はまだまだ遠い存在のようです。
 狂牛病のこととも教室内で話題になりました。心配を煽るのではなく、いろいろな情報について知りながら考える習慣だけはつけていきたいと思います。
「肺炎を治す為にコスモシンを飲んだら、今度はスティーブンスジョンソン症候群になって、それも、普通の薬局で売っている物なんだから、なぜ薬局でもらった薬でなるんだ。悲しそうだと思いました」(tt)
「普通の薬を飲んだだけで目が見えなくなったりして危ないし、野内さんも目が見えなくなってかわいそう。もっと安全な薬を作って欲しい」(ht)
「野内さんは肺炎になってしまって、薬を飲んだら治ったけど、目が悪くなってしまってかわいそうだと思いました。目が悪くなってしまったから治そうとしている。年間三百人くらいの人が野内さんと一緒になっているから、その人がかわいそう」(yd)
「野内さんは五歳から目がみえなくなってしまってかわいそうと、思った。でも、野内さんの写っている所を見て、目が見えなくても笑顔で頑張っている感じがしました。肺炎を治すコスモシンを飲んでスティーブンスジョンソン症候群になったから、目が見えなくなってしまったことが分かりました」(st)
「野内さんは目が見えなくても、頑張って明るく生きているんだな。明るく生きる野内さんはすごいな。野内さんはあきらめないんだな。野内さんは素敵な人なんだな」(hk)
「野内良美さんって四歳の時に病気にかかったんだ。かわいそうだと思いました。でも、今の良美さんってすごく笑顔です。だから、前向きなんだと思いました」(ty)
「野内さんは、四歳まで確かにあった記憶が消えてしまった。この四歳の頃に肺炎と言われて、コスモシンを飲んだ。それでスティーブンスジョンソンとなり、視力をほとんど奪われてしまった。でも、明るく生きていてすごいんだな」(tk)