山岡のひとり読みです。

 『ちいちゃんのかげおくり』あまん きみこ

                                        二〇一二年一二月一二日 児童言語研究会 山岡 寛樹


 「かげおくり」って遊びをちいちゃんに教えてくれたのは、お父さんでした。
(やりもらい=利益を得たのはちいちゃん。「って」は「という」より軽い。お父さんが、ちいちゃんに影送り(遊び)を教えた)
 出征する前の日、お父さんは、ちいちゃん、お兄ちゃん、お母さんをつれて、先祖のはかまいりに行きました。その帰り道、青い空を見上げたお父さんが、つぶやきました。

(出征前日(戦時中)に墓参りに行った帰り。青い空=明るいイメージと出征というイメージが結びつかない。違和感=暗示。「連れて」父が主体。つぶやいた=思い出した。何となく言う。思い出がほしいまではいかない。家族揃う事の終わりの暗示)

「かげおくりのよくできそうな空だなあ。」
「えっ、かげおくり。」
(興味を持った。題は「ちいちゃんの」=一人だ)

と、お兄ちゃんがきき返しました。
(言葉の確認。やろうとは言ってないので知らない。複合動詞に違和感を生じる)
「かげおくりって、なあに。」

(ちいちゃんは知らない)
と、ちいちゃんもたずねました。
(親に小さい子が「尋ねる」のだろうか。変な感じがする。何故「ちいちゃんも聞きました」でないのか)

「十、数える間、かげぼうしをじっと見つめるのさ。十、と言ったら、空を見上げる。すると、かげぼうしがそっくり空にうつって見える。」
と、お父さんがせつ明しました。

(影法師=漢字にすると仏教性が出てくるー読み込みすぎ。簡潔な父の説明)
「父さんや母さんが子どものときに、よく遊んだものさ。」
(ぶっきらぼう・ぞんざいな感じもする。今の親なら「遊んだんだよ」だろう)
「ね。今、みんなでやってみましょうよ。」
と、お母さんが横から言いました。
横から=口出し。お母さんは乗り気。明るい気分にしたいという思い。ここまでを淡々と、あまり暗くしない読みとしたい)

ちいちゃんとお兄ちゃんを中にして、四人は手をつなぎました。そして、みんなで、かげぼうしに目を落としました。
(優しい家族像が浮かぶ。仲良しの家族がばらばらになる。原因は戦争。慣用句)
「まばたきしちゃ、だめよ。」
と、お母さんが注意しました。
(ちょっときつい表現だ)
「まばたきしないよ。」
かげおくり1
ちいちゃんとお兄ちゃんが、やくそくしました。
(漢字語・遊びのレベルから離れた感じ)
「ひとうつ、ふたあつ、みいっつ。」
と、お父さんが数えだしました。

(唐突な感じでお父さんは数え出す。父の優しさがあまり感じられない。後の幻想の時は「低い」がある)
「ようっつ、いつうつ、むうっつ。」
と、お母さんの声も重なりました。

(お父さんの声に重なる=愛・家族。後の幻想の時は「高い」がある)
「ななあつ、やあっつ、ここのうつ。」
(長音を平仮名書きし、時間の長さ・ゆっくり感を強調)
ちいちゃんとお兄ちゃんも、いっしよに数えだしました。
(可愛らしい。後の幻想の時は「笑いそうな」がある)
「とお。」
目の動きといっしよに、白い四つのかげぼうしが、すうっと空に上がりました。
(「かげ」と「ほうし」が別の行になっている=音読では要注意。いい表現だ。ちいちゃん・お兄ちゃんの実感にぴったりだ)
「すごい。」
と、お兄ちゃんが言いました。
(ちいちゃんの幼さを強めるために兄を常に先にしている)
「すごうい。」
と、ちいちゃんも言いました。
「今日の記ねん写真だな。」
と、お父さんが言いました。

(思い出として残せると考えた)
「大きな記ねん写真だこと。」
と、お母さんが言いました。

(本当は辛いのに、明るく応じる母の心情の理解は小学生には無理だろう。次の母のつぶやきと関係させると近づけるかもしれない。時間が空いているのが難点だ)
 次の日、お父さんは、白いたすきをかたからななめにかけ、日の丸のはたに送られて、列車に乗リました
(一般的な出征風景。音を使わず、映像だけ。「旗に送られて」主体となる人がいない。送りたくないとも考えられる。あくまで父は淡々と「乗りました」だ)
体の弱いお父さんまで、いくさに行かなければならないなんて。

お母さんぽつんと言ったのが、ちいちゃんの耳には聞こえました。
(「体の弱い~まで」父の死の暗示。「なんて」に怒りがある。ぽつんと言った言葉が「ちいちゃんの耳には聞こえ」たのだ)
ちいちゃんとお兄ちゃんは、かげおくりをして遊ぶようになりました。

ばんざいをしたかげおくり。かた手をあげたかげおくり。足を開いたかげおくり。いろいろなかげを空に送リました。
(何も分からない。幼さが目につく。お父さんに教えてもらった影送りで無邪気に工夫を凝らして遊んでいる。  かげおくり2
けれどいくさがはげしくなって、かげおくりなどできなくなりました。この町の空にも、しょういだんやばくだんをつんだひこうきが、とんでくるようになりました。そうです広い空は、楽しい所ではなく、とてもこわい所にかわりました。
(「など」で強調。戦争は、子どもおも巻き込む)
(病弱者の出征+空襲の激化=戦争の激しさ・末期)
(「そうですで」強調し、「変わってしまったのです」と書かずに淡々と書いている。「広い空は楽し所」だったのだ=影遊びが出来るから)
 

 夏のはじめある夜、空しゅうけいほうのサイレンでちいちゃんたちは目がさめました
(事件の発端。空襲警報のサイレン。起こされたのではない。あまりの激しさに自然と起きたのだ)
「さあ、いそいで。」
お母さんの声。
(短い一言で、母の緊張感が伝わる)
 外に出ると、もう、赤い火が、あちこちに上がっていました。
(激しく燃える紅蓮の炎が迫って来る)
 お母さんは、ちいちゃんとお兄ちゃんを両手につないで、走リました。
(母の焦り)
 風の強い日でした。
(危険な状況=強い風+あちこちの火事。後からの状況説明だ)
「こっちに火が回るぞ。」
「川の方ににげるんだ。」

(周囲の切迫した状況が、たった二つの声から伝わる。ちいちゃんの恐怖を考えさせたい)

だれかがさけんでいます。
 風があつくなってきました。ほのおのうず追いかけてきます。お母さんは、ちいちゃんをだき上げて走リました。
(体感的な恐怖。熱さ=炎が迫ってきている。小さな我が子を抱き上げる母の焦り)

「お兄ちゃん、はぐれちゃだめよ。」

(「付いてきなさい」でなく「はぐれる」という語の重み。兄への注意)
 お兄ちゃんが転びました。足から血が出ています。ひどいけがです。
(足のけが=ちいちゃんより兄をと考える母。切羽詰まった思い)
お母さんは、お兄ちゃんをおんぶしました。
「さあ、ちいちゃん、母さんとしっかり走るのよ。」
(とにかく急いでこの場から逃れなければならない。混乱状態を想像させたい兄が転んだのも押されたからかもしれない)
けれど、たくさんの人に追いぬかれたりぶつかったりーー、ちいちゃんは、お母さんとはぐれました

(「はぐれました」意志のようで嫌だな。「~てしまう」が良いのにな)
「お母ちゃん、お母ちゃん。」
ちいちゃんはさけびました。

(叫ぶしかない。「泣き」が入らないほど怖い)
 そのとき、知らないおじさんが言いました。
(優しいおじさんの登場。とりあえず紅蓮の炎から逃れる事だ)
「お母ちゃんは、後から来るよ。」
救われる可能性1
 そのおじさんは、ちいちゃんをだいて走ってくれました
(やりもらい。受益者=ちいちゃん。これで助かった)
 暗い橋の下に、たくさんの人が集まっていました。
(明かりはない。家が燃えて家の炎の明かりのみ。河原なら燃える物はない。大きな川の畔だろう)

ちいちゃんの目に、お母さんらしい人が見えました。
「お母ちゃん。」
(「らしく」見えただけでも、叫んでしまうほどちいちゃんは母に会いたかった)
と、ちいちゃんがさけぶと、おじさんは、
「見つかったかい、よかった、よかった。」
と下ろしてくれました。

(あくまでも優しいおじさんだった。しかし確認までは出来無い状況。厳しさ。慌ただしさ)
 でも、その人は、お母さんではありませんでした。
(残念だ)
 ちいちゃんは、ひとりぼっちになりました。ちいちゃんは、たくさんの人たちの中でねむりました。
(大勢いるのに、ひとりぼっち=お母さんとお兄ちゃんには会えない事を表しているか)

 朝になりました。町の様子は、すっかりかわっています。あちこち、けむりがのこっています。どこがうちなのかーー。
(焼け野原。くすぶり。自分のうちも分からない。増す不安)
「ちいちゃんじゃないの。」
という声。ふり向くと、はす向かいのうちのおばさんが立っています。
救われる可能性2
「お母ちゃんは。お兄ちゃんは。」
と、おばさんがたずねました。ちいちゃんは、なくのをやっとこらえて言いました。
(けなげ。知っている人に会えて安心したはずなのに)

「おうちのとこ。」
「そう、おうちにもどっているのね。おばちゃん、今から帰るところよ。いっしよに行きましょうか。」
おばさんは、ちいちゃんの手をつないでくれました

(はす向かいのおばちゃんに家まで連れて行ってもらう。ちいちゃんに寄り添う視点)
二人は歩きだしました。
 家は、やけ落ちてなくなっていました。

(焼夷弾で完全に焼かれた。延焼)
「ここがお兄ちゃんとあたしの部屋。」
(焼け跡で寂しく回想している。寂しい)
 ちいちゃんがしゃがんでいると、おばさんがやって来て言いました。
「お母ちゃんたち、ここに帰ってくるの。」
(家の所であうのが常識的)
ちいちゃんは、深くうなずきました。
(確信している。おばちゃんの家族はどうなったのか不明)
「じゃあ、だいじょうぶね。あのね、おばちゃんは、今から、おばちゃんのお父さんのうちに行くからね。」

(おばさんは実家に行く)

 ちいちゃんは、また深くうなずきました。
(ちいちゃんには判断のしようもない)
 その夜、ちいちゃんは、ざつのうの中に入れてあるほしいいを、少し食べました。そして、こわれかかった暗いぼう空ごうの中で、ねむりました。
(季語=夏。お湯か水で戻すものだが、そのまま齧る。食欲はほとんど無いだろう。壊れかけた防空壕で、一人で寝たのだ。怖かっただろう。かわいそう)

「お母ちゃんとお兄ちゃんは、きっと帰ってくるよ。」

(自分に言い聞かせている。自分を励ましている)
 くもった朝が来て、昼がすぎ、また、暗い夜が来ました。ちいちゃんは、ざつのうの中のほしいいを、また少しかじりました。そして、こわれかかったぼう空ごうの中でねむりました。
(暗いイメージ。ちいちゃんの行く末を暗示。ほしいいをまた少し齧った)

明るい光が顔に当たって、目がさめました。

(ここの時間経過が不明。「夏の初めのある夜」=空襲・母との別離。「夏の初めのある朝」=命が空に消える。ちいちゃんの死。数日のようだ。急に明るくなる。ちいちゃんの死の場面なのに明るくしているのは何故。ファンタジーの始まり)
「まぶしいな。」

 ちいちゃんは、暑いような寒いような気がしました。ひどくのどがかわいています。いつの間にか大陽は、高く上がっていました。
(眩しい・暑いか寒いか分からない・のどが渇いている気づかぬうちに昼近く)
 そのとき、
「かげおくりのよくできそうな空だなあ。」
(象徴とは捉えにくい。次のお父さんの声が空から降ってくるための準備・繋ぎ)
というお父さんの声が、青い空からふってきました
(ちいちゃんの夢の世界ともとれる)
「ね。今、みんなでやってみましょうよ。」
(あの時の声だ。降ってくると言う比喩を考えさせるのは難しい)
というお母さんの声も、青い空からふってきました。
(お母さんの声まで降ってきた。あの日と同じだ。影送りを教えてもらった日)
 ちいちゃんは、ふらふらする足ふみしめて立ち上がると、たった一つのかげぼうしを見つめながら、数えだしました。
(夢ではなさそうだ。全力を振り絞った。たった一つの影=本当に寂しい。可哀想)
かげおくり3 1と対比すべき所だ)
「ひとうつ、ふたあつ、みいっつ。」
いつの聞にか、お父さんのひくい声が、重なって聞こえだしました。
(ちいちゃんの声にお父さんの低い声が重なった。視点はちいちゃん)
「ようっつ、いつうつ、むうっつ。」
お母さんの高い声も、それに重なって聞こえだしました。
(お母さんの高い声も重なった。視点は、ちいちゃん)
「ななあつ、やあっつ、ここのうつ。」
お兄ちゃんのわらいそうな声も、重なってきました。
(楽しかった思い出が一気に広がる。寂しかった影送りが、あの時の影送りになった。ちいちゃんは、きっと嬉しいだろう)

「とお。」
(「良かったね」と言いたくなるところだが、変だぞとの思いも湧く)
ちいちゃんが空を見上げると、青い空に、くっきりと白いかげが四つ
(一つのはずの影が四つになっている。それも「くっきりと」)
「お父ちゃん。」
ちいちゃんはよびました。
「お母ちゃん、お兄ちゃん。」

 そのとき、体がすうっとすきとおって、空にすいこまれていくのが分かりました。

(「お父ちゃん」「お母ちゃん、お兄ちゃん」と呼んだ時、「体がすうっとすきとおって」=ちいちゃんが感じたとも客観的事実ともとれる。「空にすいこまれていくのが分かりました」=ちいちゃんが感じた事。どちらも死を暗示している)
 一面の空の色。ちいちゃんは、空色の花畑の中に立っていました。見回しても、見回しても、花畑
(広々とした空色の花畑。美しい世界=死の世界。こう描いていいのかな? ちいちゃんの実感)

「きっと、ここ、空の上よ。」
(空の上だと確信している。自己確認とも取れる)
と、ちいちゃんは思いました。
「ああ、あたし、おなかがすいて軽くなったから、ういたのね。」
(空腹で軽くなったから浮いたと思っているちいちゃん幼さ)
 そのとき、向こうから、お父さんとお母さんとお兄ちゃんが、わらいながら歩いてくるのが見えました。
(非現実の世界。「笑いながら」=幸せ。そう言えるのか?)
なあんだ。みんな、こんな所にいたから、来なかったのね。」
(あえなかった理由の根拠づけ。来なかった場所は、家。壊れかけの防空壕。ちいちゃんが死んだ場所)
ちいちゃんは、きらきらわらいだしました。わらいながら花畑の中を走りだしました
(明るい笑い方だ。日の光に満ちている。みんなの所へ行った。死。死を美化している気がして気になる)
 夏のはじめのある朝、こうして、小さな女の子の命が、空に消えました。
(ちいちゃんの死だが、一般化している。同じような小さな子どもの死が表現されているという人もいるが、そこまで言う必要があるのだろうか? 死を明るく扱っているように感じる。空の花畑のシーンに少し違和感を感じる)
 それから何十年。町には、前よりもいっぱい家がたっています。ちいちゃんが一人でかげおりをした所は、小さな公園になっています。
 青い空の下、今日も、お兄ちゃんやちいちやんぐらいの子どもたちが、きらきらわらい声を上げて、遊んでいます。

(後日談だ。子どもたちがきらきら笑いながら遊んでいる場所に戦争の跡が密かに残っている。悲しい過去が隠されているというのは、苦しい事実だ。そこに気づくいて欲しいと思いながらもそこまでは言わない。身の回りへの暖かな視線や、事実を知っておくべきだという認識は育てたい)