角田耕一郎(愛称:つんちゃん)という男 | アースフレンズ東京Z代表 アースフレンズ代表 山野勝行のブログ

こんにちは。

2020年もあっという間の年末、大晦日です。

 

コロナ渦中であり、今年もこれまた色々な課題が降りかかってきた1年でした。

いつまでも、毎日がアドベンチャー企業です(笑)

 

コートの成績はなかなか大変な状況ですが、

バスケットライブ視聴者数 リーグ4位

ファンクラブ数、半年で昨年の1,288名を大きく超えて、1,600名突破

EC売上、リーグの月間1位を3回以上獲得

新規のスポンサー様も30社近く参戦

など、コートの成績だけではわからない、

大きな期待と応援をいただいています。

 

シーズン途中の数字なので、最後どうなるかわかりませんが、

上半期の結果として、ただただ、みなさまに感謝をお伝えしたいです。

 

ファン・FC会員・スポンサー企業・パートナー企業・地域のみなさま・行政のみなさまはじめ、全てのみなさまのサポートのお陰です。本当にありがとうございます。

また、選手・コートスタッフ・フロントスタッフ・Ume、Toshiki、マーシャさんなど演出チームのみなさん・Zgirls&next・ボランティアスタッフ・全ての関係者の多大なる尽力の賜物です。

心より感謝です!!

 

 

さて、今年を振り返って、

自分にとって一番大きな出来事が起こりました。

プライベートも含めて、人生でも、最大級の大きな出来事でした。

 

角田耕一郎(愛称:つんちゃん)

が2年近いガンとの闘病生活の末、今年の10月11日に亡くなったのです。

享年45歳

早すぎる。本当に早すぎる。。。

 

角田耕一郎という男が

この地球上に生を受けて、素晴らしい人間だったということ、

自分やチームにとってかけがえのない存在だったということを、

最後お伝えして、今年を締めくくりたいです。

 

彼との出会いは、高校1年生の4月

入学したクラスが一緒というご縁でした。

部活は別でした(つんちゃんはバレーボール部、自分はハンドボール部)が、

1年、2年と同じクラスで、球技大会もバスケットを一緒に選んだり、文化祭で面白いことにチャレンジしたり、多くの時間を過ごしました。

いつも「やらかしてた」のが自分で、そのフォロー&後始末をつんちゃんがやってくれてました(笑)

つんちゃんは、とにかく布袋が大好きで、しょっちゅう聞いていたのが忘れられません。

 

大学は別々でしたが、キャンパスがたまたま同じ駅ということもあり、一緒の時間が続きました。

大学2年生の夏に、自分が交通事故に遭って数日間意識不明の重傷だったのですが、目覚めた時にすぐにお見舞いに来てくれたのもつんちゃんでした。

自分が管だらけの状態でベットの上で横たわっているのを見て、つんちゃん自身が具合が悪くなり、なぜか俺の横のベットに寝て、二人で入院するという、よくわからない状況はありましたが(笑)

 

書いたらキリがないくらい、本当に色々なことをしでかしてきました(笑)

社会人になってもその関係は続き、一緒にいる時間が、人生で一番多い友達でした。

 

簡潔に言って、

唯一無二の親友

ってやつです。

 

 

アースフレンズ東京Zというプロチームが発足する以前、

2009年にアースフレンズという、アマチュアのサークル団体みたいなチームを作った時も、

一番最初に話しました。

 

俺、バスケ界を変える!

って。

 

多分、つんちゃんは、

また始まった!(笑)

って感じだったんだろうなと思います。

 

チームミッションは、

世界に挑む!

日本代表がオリンピックでメダルを獲得することに貢献する

世界で活躍する日本人選手を輩出する

 

その当時から、今もずっとミッションは一緒

 

つんちゃん、俺、世界に挑むわ!

俺たちは、やればできる!

誰でも行動すれば、必ず道は拓ける。

全ては意志

証明し続けよう。

やればできる、人生、逆転できるんだってことを!

 

みたいなことを熱く語り合ってました。

そこから、一緒にやり始めて、

誰もが楽しめる、わいわいバスケ練習会を開始。

それをスクールチームに発展させて、気付けば、あれよあれよと人が増えていきました。

将来のプロ化を見据えて、まずはアマチュア日本一だ!と狙いを定め、

アースフレンズというクラブチームも結成しました。

 

3年で日本一!

を旗印に始めたものの、1年目、2年目はなかなか結果が出ず。

神奈川県の1、2回戦負けが続く状況でした。

それが、3年目の夏の大会前に、黒田電気様からのNBDL権利譲渡の話が舞い込んできて、

そこからまさかの神奈川県優勝、NBDL参入決定となったのは今でも鮮明に当時からのファンの皆さんの記憶にもあるだろうと思います。

秋から始まる、秋の神奈川県大会、冬の関東大会も優勝。

今は育成部長の卓が指揮してくれました。

全国大会にも初参戦し、ベスト16に進出しました!

3年で日本一はなりませんでしたが、1、2年目の状況から一変し、大躍進を遂げたのです。

 

つんちゃんと一緒によく夢を語り合っていたなぁ。

絶対に世界でアースフレンズの名前を轟かせようって。

 

その後、プロチームである、

アースフレンズ東京Zの運営が始まりました。

つんちゃんは当時勤めていた会社で、組合の幹部をやっていたこともあり、

株式会社GWCへの合流は一旦無しとなって、ボランティアとして支えていくとなりました。

 

その後は、ボランティアとして、親友として、

常に最高の相談相手として、支えてくれました。

 

Bリーグ参入、大資本が続々とチーム経営に参入してくる中、

唯一のベンチャー企業として、

個人オーナーである自分が生き残れた、影の大功労者でした。

 

ここまでのBリーグクラブの成長率は半端ない。

大企業がガンガン資本投下してくる中、うちは資本ではなく、売上成長で勝負しないといけない。

そこを生き残ってこれたのは、多くの仲間のおかげです。

自分が何のスキルもコネもない、普通の人間なので、周りのみんなの力あるからこそ、やれているんです。

そんな仲間の一人として、つんちゃんはシステム系の仕事をしていたので、会社の仕組みとか、ほとんど彼のアドバイスで構築していました。

 

そして、2019年春に、つんちゃんがうちに合流してくれることとなりました。

いよいよ、一緒にやれる。

毎日、共にチャレンジができる。

大きな期待と喜びに包まれました。

 

ところが、入社早々、大腸ガンが発見されたという。。。

入社後のつんちゃんは、闘病と仕事を常に同時に行うという不安定な状況でしたし、不安も大きかったはずです。

本当に大変だったと思います。

でも、そういうところは一切見せずに、絶対に克服する!って頑張ってました。

入院が長くなった時も、絶対に治すからと、強い気持ちで闘ってました。

 

時として、神様は残酷だなと、改めて思います。

努力したことが絶対に叶うわけではないのは理解しているけど、

でも、やっぱり。。。

 

人生で一番大切な親友だったので、

正直、心の整理がつかない状態がずっと続きました。

特にこの1年は自分もバランスの悪い状態があったと思います。

でも、もう年末。

 

で、先日決めたんです。

整理なんてつかなくていい

つかないものは、そのままにしておけばいいと。

時間が解決する。

 

つんちゃんは、つんちゃん。

いつまでも心の中に存在している。

それでいいと。

 

病気になってからも、

つんちゃんはよく言ってくれてました。

 

こうやって夢に挑んでいける。

アスフレに入って、本当に良かったと。

今までの大企業に比べたら、本当に何もないけど(笑)、

でも、心から取り組みたいことを仕事にできている。

幸せだよって。

山野がチームを作って、死ぬほど頑張っているのを間近で見続けてきたから、

このチームが大きな夢を叶えるために、全力を尽くしたい!

 

あー、思い返すと、泣けてくる。

最後まで気遣いして、自分のフォローしてくれちゃって!(笑)

 

つんちゃん、安らかに眠ってください。

俺はこの地球で君の分までやり遂げます。

夢を現実にします。

たくさんの土産話持って行くから、末長く待っててね。

あと、100年はかかるよ(笑)

 

天国から見守ってください。

本当にありがとう。

 

明日から2021年が始まります。

自分にとって、本当に新たな1年になると感じています。

色々な想いを持って、引き続き、全力で挑んでいきます。

 

人生、何でもチャレンジ!

まずはやってみよう!!

 

みなさま、良いお年をお迎えください。

 

角田耕一郎(愛称:つんちゃん)

君は自分にとって最高の友です!!

 

 

*2020年9月末、亡くなる2週間前くらいの写真です。

*お線香をあげてくださる方はご連絡ください。可能な範囲でご実家をおつなぎします。