「的を射る」か「的を得る」なのかと言う記事が、
また載っていたのですが、そのコメント欄に、
三省堂が「的を得る」は誤用ではないと謝罪し、
新しい辞書(7版)に載せているのに、誤用扱いは、
間違いだと言うクレームが入っていました…。

ちなみに、私も記事にしていたので、
一応調べてみる事にしました。

 ”慣用句のクイズ(全12問)なのですが…”

で、「クレーム」と言っている事でお分かりの様に、
私はこの判断を「間違い」だと思っています。

で、皆様はこの話に興味はお有りでしょうか?…(笑)。

現状は去年(2018)の2月に調べた方によると、
TV当の報道各社で「的を得る」を認める会社はゼロ、
新聞や出版関係は資料が古いので何とも言えませんが、
2015年のデータでは「直さない」と答える会社はゼロで、
辞書関係も、認めたのは「三省堂国語辞典・第7版」だけ、
と言う結果だった様です。

つまり、この問題で「動いた」のは「三省堂さん」だけです。
(TBSでは「的を得る」も認める方向だった様ですが…。)

×「的を得る」○「的を射る」の流れは変わらない様です…。


で、「的を得る」賛成派の主張は次の様なものです。

 元来、「得る」には可能や成功の意味が含まれ、
 「的」も要点や核心を意味する比喩として慣用されていたため、
 「的を得る」という言葉を「弓の標的を入手する」と言う、
 意味にしか解釈できないとする見解は合理的ではない。

この部分の解釈は、色々と在るので後に回します。

 文化庁の調査でも、
 40年近くに渡って「的を得る誤用説」が流布した後の、
 2012年ですら四割以上の人が「的を得る」を用いるとしており、
 「かなり独特な表現ではあるが日本語話者ならば、
 意味の了解は可能であり、コミュニケーションに問題は生じない」、
 との見解があると思われる。

こちらは「正誤」とは無関係の話ですよね…。
誤用で在ろうが無かろうが「皆が使っているから認める」と言う、
言語の特殊事例のお話でしかありません…。

私が問題にしているのは「正しいかどうか」であって、
「使っても良いかどうか」ではありませんので…。
(出来れば正規な表現を使いたいのでね…。)


さて、やっと本題に入りますが、まだ読みます?…(笑)。

では、まず意味のおさらいから…。
 「核心をついた指摘や話題に即した応答などをする」

「的を射る」の場合なら「射る」のだから「弓」だと判り、
更に「射る」と言う表現には何かに刺さると言う意味が、
付与されている訳なので、「弓で矢を放って的に当てた」と、
この四文字で解る訳ですね。
これが「的中」と言う事なので、比喩表現として成立します。

ここは問題無いですよね…。
ちょっと想像すれば場面として思い浮かびますしね…。

で、「的を得る」の第一義は「弓の標的(的)を入手する」で、
何故か否定されましたが、本来はこちらの意味です。

納得しない人には「では、この内容を別の書き方で書いて」と、
書かせてみれば直ぐに判りますよね…
単語を変えずに、端的に表現する方法は他には在りません。

で、「的」が比喩だとすれば「目的を発見した」位になって、
これが第二義になるのでしょうかね…。

一体何処まで繰り返せば「要点や核心を成功させる」に、
変化させられるのか教えて欲しいくらいですよね…(笑)。

「慣用句」は本来「解り易く伝える」為のものなので、
こんな誰も(急には)思いつかない様な例をつかって、
意味を説明しようとするのは「オカシイ」ですよね…。

「言い間違い」が「一般化」したと考える方が自然です。

多分、「論文か表明」を出した方も、「これが正しい」と、
考えている訳では無く、「的を得る」が「間違い」とする説に、
「そうでは無い可能性」が在ると考えたのではないかと、
想像しているのですが、それにしても「特殊な例」過ぎて、
「信ずるに値する」とは考えられません…。

この説を唱える人に「的を得る」の意味について、
質問したらなんと答えるのか聞いてみたいところですよね。

もし「核心をついた指摘」と答えてくれれば、
それはそれで「笑えます」よね…(笑)。