毎週、合唱練習に行っています。今年は日本の歌。といっても、歌詞にドイツ語が入っているものもあります。
歌の言葉は日本語だから簡単というわけでなく、声を出す上での発音はなかなか難しい。ハ行の言葉は、よほど意識しないとア行になってしまうことは、合唱をした人なら思い当たることでしょう。
合唱は第9を歌いたいがために、数年前に何十年かぶりに再開しました。歌を日常的に歌うわけではないのですが、合唱練習のひとときが心地よいので通っています。
そして、先生の指導から音楽とはどうあるべきかというのを毎回、教わっているので、自己流でピアノを弾いている身としてはレンッスンに通っているかのような充実した時間ともなっています。
音楽を作り上げていく過程が、昔のやり方は味気なかったような気がしています。新曲をするとき、現在、階名唱はしません。パートごとに別の部屋で練習することもありません。少しずつ、口伝えのように歌っていきます。歌詞にひきづられて音がとれなかったり、旋律が途切れてしまう時は母音だけで、歌う練習をします。
なんとなく音を覚えてから表現を考えるのではなく、最初から歌詞の意図に従った歌い方をするよう指導されます。ついつい、強弱記号に翻弄されて歌いがちですが、それより歌詞の意味を大事にするよう言われます。
そう、強弱記号は後からついてくるものなのです。機械的に弱くしたり、強くしたりしては音楽は作れないことが最近になってわかってきました。なんだか、音楽の授業でフォルテだから強く、ピアノだから弱くしてと指導したのは、ある意味間違っていたように感じます。そして、よく言われるのはピアニシモでふやふやになってはいけない、エネルギーをもって芯のある音を出しなさい。
ピアノもそうですが、ピアニシモでしっかりした音を出すことは難しいし、エネルギーがいります。歌詞の中で大事なことは叫んだりしないで、そっと大切に伝えるでしょうと…。
歌は心をこめて歌うだけのものではないというのも教わりました。感情をむき出しにする時もあれば、淡々と語る時もある。語る時に大げさな抑揚をつけたらおかしい。感情を入れるときは、音を減衰させるのですが、語る時は音を持続して鳴らさないといけないと、先生が見本を見せてくれ、なるほどなと思いました。
表面的に楽譜を見て音を出していくのではなくその曲にこめられた音楽的なメッセージを読み解いて表現していくのが大事なんですね。プロに習う意味はこんなところにあるのでしょうね。