東京ほどではないものの、今年はいつもより少し早めに咲きはじめた桜。
『土御門ウォーキング』 の当日、2013年 3月31日、まさに満開となりました。
 
阿波市市場町の日開谷川(ひがいだにがわ)堤防、この日の桜のトンネル。
有志の市民が植えたそうです:
 
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空気もまだひんやりとした朝8時過ぎには 『御所の郷』 の駐車場で、準備開始。
ここは公営ではなく株式会社の運営。ご協力、ありがとうございます。
 
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特にウォーキングについては 「三か寺ウォーク」 で経験豊富な 「どなり街づくり・いいん会」 の皆さんに全面的に頼りました。
横断幕も新調くださっています。
 
徳島新聞でも事前にご紹介くださいました:イメージ 13
 
土御門上皇しのび散策 土成の住民団体企画、31日参加募る  
「徳島新聞」 2013/3/12   
鎌倉期の承久(じょうきゅう)の乱(1221年)の後、四国に配流(はいる)された土御門(つちみかど)上皇(1196~1231年) 最期の地とされる阿波市土成町で31日、町内の住民らでつくる 「どなり街づくり・いいん会」 と 「どなり古事記研究会」 が 「土御門ウオーキング」 を初めて開く。町内に点在する上皇ゆかりの地を巡ってもらい、地域活性化につなげようと準備を進めている。
どなり街づくり・いいん会は、町内の四国霊場札所3カ寺を巡るウオーキングイベントを毎年11月ごろ開き、町のにぎわいづくりに一役買ってきた。札所と並ぶもう一つの町の歴史文化遺産・土御門上皇伝説に着目し、「歴史ロマン香る町・土成」をアピールする。
後鳥羽上皇の第一皇子の土御門上皇は4歳で即位。承久の乱の後は土佐、阿波と移り、現在の奥御所神社(土成町宮川内)近くで最期を迎えたと伝わる。
「御所屋敷」の地名が残る土成町は、崩御までの5年間、上皇の行宮(あんぐう) (旅先などで造営した仮の宮殿)があったとされ、伝説が残る場所が数多く点在する。
ウオーキングコースは、土成町吉田の土成保健センターを発着点とする約10キロ。記念碑が立つ行宮跡地の公園や上皇が御祭神となっている御所神社をはじめ、上皇ゆかりのスポットなど7カ所を約3時間(休憩を除く)かけて歩く。
参加費は100円。事前に電話で申し込む。定員50人に達し次第、募集を締め切る。
小学生以下は保護者の同伴が必要。当日は歩きやすい服装で弁当、飲み物などを持参する。
問い合わせ、申し込みは同いいん会 <電090(3182)8105>。

【写真説明】
土御門上皇ゆかりの地を巡るウオーキングイベントの準備を進める住民=阿波市土成町吉田の上皇行宮跡
 
記事の写真の“住民”は、美女軍団と打ち合わせ中の鉄谷(てつや)代表でした。
鉄谷さんのご自宅住所は土成町字風呂屋敷
行宮址(御所)の北側に、風呂のお屋敷があった名残りでしょうか。
 
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新聞記事のおかげもあって、事前の受付で予定の50人を越えてキャンセル待ちに突入。
なんとか許容範囲いっぱい、ということで、78人 の参加(スタッフを除く)ということになりました。
 
想像以上に車が多くて、別の場所への移動をお願いしたり、出発前にトイレに、という方は私の寺の庫裏へご案内するなどの“想定外”のことがあったりしましたが、皆さんにご理解ご協力いただいてなんとかクリア。
 
9時過ぎには全員そろって、開会式。
チェックポイントでの解説など、演出全般をしてくださった 渡井 亨 さん がスタートが司会をつとめてくださいました。
 
私からご挨拶、鉄谷さんから注意事項などをお伝えしたあと、約10人のスタッフから自己紹介。
特に昨年、『土御門上皇マップ』 をデザインされた “ののちゃん” こと 上野 昇 さん に盛大な拍手!
あのマップができてからすべてが動き始めたのですから。
 
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そして、いきなりのサプライズ。
今回一緒に歩いてくださるシンガー・ソングライターの 大村和生 (おおむらかずき) さん の歌で始まります。
 
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大村さんの歌にみんなハートを温められてから、さあ、スタート。
 
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第一チェックポイントは広域農道の坂を登って 「椎が丸古墳」 の丘へ。
「桜農村公園」と名付けられた広場の満開の桜に迎えられて、 ①『御所神社』 へ。
 
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全員ではないですが(入りきらず申し訳なかったです)、拝殿に登って参拝。
スタッフを代表して私、さらに参拝者代表の方から玉串を奉奠させていただきました。
 
そして 宮司・稲垣英子さん から力強いお話をいただきました。
今回のウォーキングの趣旨をしっかり受け止めてくださっていて、「参加された皆さんは土御門帝と深い縁で結ばれている」、と。
 
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今回の“難所”のひとつ、神社の急な石段をそろりそろり。
地元の学生が足腰を鍛えるトレーニング場です。

このような高台に古墳があるのは、ふもとの暮らしを見守っていてほしいという願いもあるのでしょう。
大雨による水害や津波に襲われる心配がないように、ということも当然ながらあったとして。

そして、死者は山へ帰る・・・。
磐座(いわくら)のある御神体山への信仰は、ここから始まったのではないかと想像しています。
 
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みんな無事に降りることができました。
途中、畑の春野菜や飼われている牛の話題などをしながら、第2ポイントへ。
 
 
②『平井水大師』
こちらを所有・管理されている 三木睦夫さん(元総理のご親類、ということは忌部のご一族ですね)から、井戸のご由緒や歴史的な変遷などをお話いただきました。
 
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こちらの水掛け不動さんは修行中なので片目を閉じてウィンクしているというのは存じませんでした。
キュートですね~
 
今回のポイントで唯ひとつ弘法大師に関係するところなので、お願いして本堂に向かってご宝号 「南無大師遍照金剛」 を有志で唱和。
一回一回、心を込めて先導くださいました。
 
 
次に向かったのは ③『小笠原長房の墓』 です。
畑のなかの畦のようなところにとり残されたようにポツンと立つ、変形した五輪塔に、皆さん「え~、これが?」
解説は 上野 昇 さん
三好長慶の研究会で勉強されているので、戦国時代に阿波で繰り広げられた“大河ドラマ”を語ってくださいました。
 
ちなみに、はじめに歌ってくださった大村さんのお母様は小田原市の小笠原さんなのだとか。
深~いご縁があったのかもしれませんね。
 
 
続く4番目の目的地は ④『若宮神社・古宮』 です。
県道“鳴池(なるいけ)線”を越えて、吉野町へ。
 
中野成美さんと氏子総代の 佃 正己さん から神社の由来をお話しいただきました。
祀っておられる土御門上皇のことや、付近に広がっていたという 『西光屋敷』 のことなど、詳しくご紹介くださいました。
 
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それにしても、会場についてみればちゃんとマイクとスピーカの準備がばっちり整っているのに感激。
渡井さんのフットワーク、おそるべし。
 
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皆さん熱心に聞き入っておられます。
「クイズラリー」 を兼ねていることも、皆さんが興味を持ってくださる一助になったでしょう。
 
そしていよいよ、『土御門上皇 行宮跡』 へ。
 
しかしここで問題が発生。
ここまでの遅れで、⑥『山皇子神社』 の解説をお願いした宮司さんの午後のご都合に障るたけ、行宮跡においでいただくことになったのです。
 
となると昼食を当初予定の『山皇子神社』 でとろうとすると1時過ぎに・・・。
といって、お弁当を食べたあとで今回いちばんの試練だと思っていた1時間以上かかる行程に突入するのはどうでしょう。う~ん・・・
 
(2) に続く