<86>浅井昭衛会長死去
●浅井会長が、令和5年10月16日未明に死去されました。

 浅井会長が言っていた
「もう広宣流布は、ギリギリの最終段階」(総幹部会H26年7月)
「二〇年代こそ、広宣流布の決戦場。このとき大聖人様は広宣流布あそばす」(総幹部会H29年10月)
等々の発言、
浅井会長が過去数十年にもわたって発言してきた「顕正会の広宣流布」。
その発言の責任を取ることなく、死去してしまいました。

「顕正会の広宣流布」は、浅井会長の創作。永遠に実現しません。
 ですから
「○○年までに必ず達成」と断言したきた浅井会長の指導、
何一つ実現しませんでした

大聖人様御遺命の広宣流布は、「日蓮正宗の広宣流布」です。
謗法の顕正会がいくら広まっても、「本物の広宣流布」ではないのです。

私が、顕正会員であった頃、
「浅井会長が存命中に、広宣流布は必ず成る」と信じて疑わず、
その確信で活動し人生を生きていました。
大変な間違いを犯していました。

ありがたい事に12年前、本物の富士大石寺である日蓮正宗に帰伏、入信させて頂き、
以来、浅井会長のたび重なるウソの発言に気付き、浅井会長の邪義を捨て、
成仏への仏道修行をさせて頂いております。

顕正会は、ますます浅井昭衛氏への崇拝を強めていくでしょう。

全て浅井会長が作り上げてきた顕正会。その浅井会長は亡くなりました。
しかしその臨終の相、ほとんどの顕正会員は、見る事が出来ませんでした

・臨終の相について、寄せられたコメントを転載します。
●多くの顕正会員は、同様の思いではないでしょうか。

(以下)―――
「浅井先生の臨終はみごとであった」(※)
先生の臨終の相は、外部どころか一般会員も拝観することができないようです。
告別式は隊長・区長・支区部長以上に参列資格があり、その一週間後に追悼大法会という式典を開くそうで、その後三日に渡って一般焼香。
「臨終みごと」であったなら、せめて会員にはお別れの唱題をと思いますが、
いかが思われますか。


臨終の相は、証拠の無い城衛代表理事の一方的な話で終わっています
会員には見せることが出来ない臨終の相だったことがうかがい知れます。

圧倒的なリーダーを失った顕正会、
徐々に減衰し、残った顕正会は、
創価学会や立正佼成会(邪宗日蓮宗から派生した)のように成っていくかのでしょうか。
もっとも、今の顕正会は、すでに創価学会とあまり変わりませんが・・・。
現顕正会員の方、もう顕正会が謗法であることに気付いて下さい。

「過去・現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣・万民、
始めは事なきやうにて終(つい)にほろ(亡)びざるは候はず」
(聖人御難事)
と大聖人様は仰せです。
(※)
16日午後8時本部会館で急遽開かれた幹部会で城衛代表理事から、
「浅井先生が今日の未明、ご逝去されたことを発表。先生はご家族にも体調不良をしらせることはなかったが、総幹部会のあとから、具合がわるくなり、治療、療養されていた。今朝、なんの苦しみもなく、やすらかに臨終をお迎えになられた。そのお顔はご金言のごとく、色白く柔らかく、くびはすわらず手は組めないほどだった。」
といった内容の話があったそうです。

この話が事実であれば、それなりの会場を準備して数日に渡ってお通夜を行い、少しでも多くの顕正会員がその「臨終の相」を拝観できるようにするのが本当でしょう。
浅井会長の臨終の相を見せる事が出来ないのは、その相が悪相であった事がうかがい知れます。
城衛君の「ご金言のごとく・・・」との話は、定型化されたよく使う話。すなわち作り話であることは明白です。

慧妙紙が浅井昭衛臨終の相を次のように報じています。
『浅井会長の遺体は、半眼半口どころか、目も口もしっかり閉じており、その顔には粉っぽい白い死に化粧が施されていた。そして、きつく横一文字に結ばれ、紫色に変色したクチビルには、赤い口紅が塗られたものの、その下の地色が浮かび出て、ドギツイ赤紫色となっていた。しかも、クチビルの処々に黒ずんだ箇所も見えた-。これは、遠目にはそれほど悪い相には見えないように処理が施されていたものの、至近距離で観察すれば明らかにわかる悪臨終の相である、
日蓮大聖人は、
「悲しいかな、師匠は悪道に堕ちて
多くの苦しのびがたければ、
弟子はとどまりゐて
師匠の臨終を讃歎し、
地獄の苦を増長せしむる」
(妙法尼御前御返事)
と仰せです。』

唯一成仏の叶うのは、日蓮正宗の信仰でしかありません。
広宣流布を願うのは日蓮正宗でしかありません。
1日も早く、
本物の富士大石寺である日蓮正宗に帰伏して下さい。
お待ちしています。

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