私が成人式に出てから42年、当時もいろいろ問題はあったけど、いまみたいな荒れ方はしていなかったような気がします。

毎年ニュースで「荒れる成人式」なんて報道されると、

「俺もむかしはワルだったんだぜ~」

なんて人が出てくるものですが・・・

 

 

じつは私もツッパッていました!

 

↑こういったツッパリではありませんが、私なりに精一杯ツッパリました。

 

その当時お付合いしていた女性がいて、彼女はある県の郊外に住んでいました。

いまでは東京のベッドタウンですが、当時は「田舎」でした。

高校卒業して就職し、せっせと貯金をしていました。

その目的は晴れ着を買うためです。

当時はレンタルという言葉は浸透していなく、貸衣装と呼ばれ、バブルの時代では「下」に見られていました。

当時で車が買えるほどの貯金をして、「妹もいるので親に心配かけたくない」と、言っていました。

私は「それっておかしいよ! 七五三じゃないんだから、晴れ着を着なくたって成人式に出られるし」

彼女は「あなたはわかっていない。近所の人たちが見てるの」と、語気を強めました。

「だったら俺はスーツを着ないで成人式に出る。スーツを着ないで、いまの成人式の矛盾を訴えてやる!」と、宣言しました。

宣言したものの一生に一度の成人式をセーター・ジーンズというのも納得できず、自分の親のこともあるし・・・

そもそも成人式とは何だ? 大人になるための誓いの日であるべきじゃないか。

ならば俺は働くことによって社会に貢献し、その態度を成人式で示そう。

 

いま考えると青臭く感じますが、当時はそれを本気で考えていました。

それで出した答えは、会社の制服で式に参加し、↑の意志を示してきました。

これが私の人生最大のツッパリでした。

 

 

あれから42年、「大人の七五三」化は進んだように思いますが、レンタルが当たり前のようになり合理的な世の中になったものだと感じます。

私自身も「子供の成長を祝う親心」というものが理解できるようになりましたが、最近の「荒れる成人式」を見ると、どうしても42年前のことが蘇ります。

荒れる若者を見て、良くも悪くも成人する意志と社会への怒りを感じ、それに共感する部分はあります。

しかしその表現は間違っている!

衣装や態度で怒りをぶつけるのではなく、成人することの意味を考えてみろ!

と、言ってしまうのは昭和のジジィなのか・・・

皆様の成人式はいかがでしたでしょうか。