御訪問ありがとうございます。
堺市 和泉市 光明池のフェイシャルエステサロン『フロンティア』
エステティシャン&エステスクール講師の山口述子です。
本日は、私が自宅でフェイシャルサロンを開業した経緯について、お話しさせていただきます。
私は、結婚を機に勤めていた職場を退職し、夫の希望もあり 専業主婦になりました。
とろこが最初の子供を妊娠した事が分かった数日後、夫が心因的な病気で会社に行けなくなってしまったのです
幸せな結婚生活を夢見ていたはずが、まさかの夫の「出社拒否」という事態を受け入れられず、当時25歳だった私には、その理由が全く理解できませんでした。
「どうして・・・」私の頭の中にはマークしかなく、その原因を探るべく夫と話し合おうとしても、彼は布団の中に潜り込むばかりで、その日を境に私と口もきかなくなってしまいました。
そして何日も経過した頃に、彼から ようやく出た言葉は 「子供の為になんか頑張れない・・・」でした あ~れ~!?
夫は・・・私一人を養うのが精一杯だったのです トホホ
結婚して、子供が出来、家族が増えて、私は一家の主である夫に従って生きていく・・・
それが、私の中で幸せな結婚ストーリーとして思い描いていたのですが、結婚してわずか数か月で ものの見事に覆されたのです。←しかも子供が出来てから(笑)
夫に人生を依存して生きていこうと思っていた 自分の浅はかさを思い知る事になりました 。
この事態を、実家の親にも言えず、家に引きこもった夫と 何も解決策が見い出せないまま2ヶ月が過ぎた頃、ようやく実家の母に相談をしました。
母の答えは「そんな人とは絶対これから生活していけない!子供は産まずに 離婚して帰って来なさい!!」と言うものでした。
私にはショックな言葉でしたが、母は私に苦労させまいと そう言ったのだと思います。
その時、私は究極の選択を迫られたのです。
子供を産んで夫を頼らず自分で育てる覚悟で結婚生活を続けるか?
子供を産んで夫と別れシングルマザーとして生きていくか?
子供を産まずに夫と別れ独身に戻るか?
随分悩んだのですが、私には初めて自分のお腹に宿った我が子を産まない選択なんて、とても出来ませんでした。
あとは、夫と別れるか・別れないか?ですが・・・(笑)
子供を産むのなら、「別れない選択」をしようと決めました。
夫がどう言おうと、子供の父親は彼しかいないのですから。
でも、その時から「この夫を頼って生きては いけないんだ・・・」と思ったのです。 ←ようやく自立心が芽生えた訳です。
結局、夫は最初の子が生まれるまで会社へは行けず、その後、何とか会社に復帰したものの、二人目の子の妊娠が分かった時も再び4ヶ月ほど出勤できませんでした。
この子達を大学まで入れて、社会人になるまで育てていけるのだろうか?
自分たち家族の「明るく幸せな未来」なんて想像できませんでした。
いつまた夫が会社に行かなくなるかも知れない不安を 日々感じながら専業主婦でいるよりは、自分も働かなくてはと思い 色々仕事を探すのですが、ネックはいつも子供でした。
仮に保育所に子供を預けて働いても、子供が病気になった時に預けられる人がいない・・・
私も彼も実家は県外で、親戚はおろか、友人もいないこの地で、夫婦共働きで子供を育てていく事の難しさを痛感したのです。
孤立無援 ・・・そんな思いでいました。
次に考えたのは、「家でできる仕事はないのか?」 という事でした。
自宅で子供を育てながら、それなりの収入を得られるお仕事です。
それまでは、内職も色々とやってみましたが、再び夫が働けなくなった時に 私が生活を支えるだけの収入を得るには遠く及ばないものばかりでした。
「もっと高収入を得られるお仕事を探さないと・・・」
そう思っていた時に出会ったのが、ヤマノの「自宅エステ開業スクール」の折込チラシだったのです。
その時、「この仕事以外にはない!」と思いました。
だから続けてこれたのだと思います。
他に選択肢がないという事は、続けるしかないのです(笑)
つまり、この仕事で生活出来るだけの収入を得られるまで頑張るしかないという事。
それが開業当初にお客様が掴めなくても諦めずに仕事を続けてこれた原動力だったと思います。
私が頑張れたのは、二人の子供たちのお蔭です。母は強しですね
開業当初は、エステティシャンとしてもサロン経営者としても未熟な事が多く、お客様が増えない日々が続きました。
しかし、私なりに様々な勉強を続けるうちに開業して3年が過ぎた頃から徐々にリピーターのお客様だけで常に予約が埋まるようになりました。
気付けば子供も大学を卒業して社会人として自活しています。
そして何よりも定年退職を迎えるまで無事に夫を支えてこれた事に心より安堵しています。
夫のお蔭で、たくましく自立させて頂きました(笑)
私はこの仕事を通して、これまで多くのお客様に支えられ、仕事面でも私生活の面でも随分と助けて頂きました。
心豊かな素晴らしいお客様との出逢いで、子供二人を大学まで行かせる事ができ、私達家族4人は幸せに暮らしてこれたと深く感謝しております。
そしてこの仕事は、私に多くの才能を開花させてくれました。
子供を育てるために始めたエステの仕事が、今では私の天職だと思えるようになりました。
『美と癒しのお仕事』は、どんなに時代が変わっても人からは必要とされるのだと実感しています。
そしてお客様と肌と心で触れ合える、深い絆で繋がれる とても素敵なお仕事です。
これからの私のビジョンは、私に多くの幸せを与えてくれたエステティシャンのお仕事をしていきたい方達の応援をしていく事だと思っています。
小さな自宅サロンでも、結果の出る技術を身につけて、継続できるサロン経営をきちんと学べば、ちゃんとお仕事として成り立ちます!
お仕事って、自分が頑張った分だけ きちんと応えてくれるものですよ♪
貴女も『美と癒しのお仕事』を始めてみませんか?
<講師経歴>
1992年5月 全日本エステ指導育成協会 エステティシャン上級ライセンス取得
1993年1月 自宅の一室でフェイシャルサロンを開業
2000年12月 全日本エステ指導育成協会 インストラクターライセンス取得
2001年1月 ヤマノエステスクール 光明池教室を開校
2006年3月 日本エステティック業協会(AEA)インターナショナルライセンス取得
2007年4月 全日本エステ指導育成協会 支部助講師に昇格
2017年4月 日本エステティック協会 認定エステティシャンライセンス取得
2017年9月 日本エステティック業協会 認定講師資格取得
2020年4月 個人のフェイシャルサロン開業スクール フロンティアを開校
結果の出せる技術と、お客様それぞれのニーズに応じた接客術で その集客の90%が広告媒体を使わず、顧客からの口コミによるものという実力派エステティシャン。
個人サロンならではの「貴女専属エステティシャン」を強みとして、顧客からの厚い信頼を得る。
サロンリピート歴10年以上という顧客が、全顧客の約半数に及ぶ。(2013年現在)
開業20年でのエステ施術人数は2万人を超える。
現在は、エステティシャン業務だけでなく、エステスクールの講師業とレンタルサロンの経営も行っている。