旧東海道吉原宿で左富士と鈴川富士塚を堪能した後は、蒲原宿です。
駿河国を少しずつ西へ進んで行きます。
蒲原宿
JR新蒲原駅前のイオンタウンに停めて歩き始めた。蒲原宿は東西に1kmほどで、コンパクトにまとまった宿場だ。特に大きな見どころもないけれど、明るくて静かな町並みが続いている。
まずイオンタウン沿いに東へ進んでJRをアンダーパスして、東木戸跡に出た。
この道が東海道です。向こうが三条大橋。昔の旅人にとって、それはどんなに遠い目的地だったことか。今なら2時間10分で着いてしまう。
突如として現れた、巨大な4本の導水管。これは日本軽金属(株)蒲原製造所の自社発電用設備とのことだ。取水元はなんと、山梨県の雨畑ダムだというから驚きです。どこかの知事が言ってたことと相反してますね。
こうやって工場内の発電所へ送られていく。
さて、街道をゆきます。左手には木屋江戸資料館がある。敷地の奥に三階建ての蔵が建っていた。私有地の庭みたいで入りづらい。
まっすぐに伸びる街道の家並み。
右手には佐藤家住宅。塗り家造りで、黒漆喰となまこ壁が美しい。
小さな水路に沿って左折すると、蒲原宿の碑があった。
「雪の夜かぁ」と家内が言うので、夜の雪と読むのだと教えた。
広重の五拾三次の中でも三本の指に入る名作です。
昔は蒲原にもこんな風景があったのだろうか。
街道に戻ると、旅籠和泉屋・お休み処がある。天保年間の建物で、安政の大地震でも倒壊を免れたそうだ。
その先の左手には磯辺家がある。明治42年の建築で、総欅(けやき)造という豪華なもの。二階の窓ガラスは100年前の手作りで、映る景色が波打っている。
次は右側に、旧五十嵐歯科医院。大正3年の建築で擬洋風建築の繊細なデザインだ。
先生も名医として知られていて、当時宮内大臣だった某伯爵も患者だったという。その頃はもう東海道線が走っていたから、特別車両で通院したのだろうか。
医院の斜向かいには志田邸が建っている。醤油醸造の商家だったが、安政2年に建て直した。蔀戸も見られる。今はバックパッカーズホテル燕之宿としても営業している。
こんなサインも見受けられます。
西の鍵の手から和歌宮神社へ入っていく。狛犬は明治45年造立で、だいぶ損傷してます。
蒲原宿歩きはここまでです。西木戸跡から裏道を抜けてイオンタウンへ戻った。駐車場からは、雲の中に浮かぶ富士山が望まれた。歩行距離3.0km、1時間。
由比宿
次は隣りの由比です。話はそれるが、私が東海道五十三次に興味を抱いたのは小学校4年生の頃だった。お茶漬けのパックに入ったオマケの浮世絵を眺めて、なにか夢を見ていた気がする。
由比本陣公園の先に建つ洋風建築は、清水銀行由比本町支店で大正14年の建築。4本のイオニア式柱頭が重厚なパラペットを支えている。
しかし今目指しているのはここではありません。向かいにある、さくらえびの井筒屋さんです。
開店待ちして番号札を取って、待つこと30分。さくらえびのかき揚げがメインの、由比定食。たいへんおいしく頂きました。(今日は水揚げがなかったそうだ)
腹を満たしたので街道に出ます。名物の菓子舗などもある。
正雪紺屋は江戸初期から続く染物屋で、由井正雪の生家でもある。400年以上も代々続いているというのがすごい。
まだお腹がこなれてないので、美術鑑賞をしていきます。街道の宿場を通過する時はいつも時間に追われていて、こういう場所に入る機会がなかった。静岡市東海道広重美術館です。
この企画展を見るのを今回は楽しみにしていた。(桜えびを食べることも)
たっぷりと鑑賞することができました。撮影不可につき写真はなし。
見事な板壁の建物がある。御七里役所跡という史跡と繋がっているようなので、役宅だったのかと思ったら醸造元だった。
その先で振り向いたら、枡形跡だった。うっかりすると見過ごしそうだ。
古びた味わいの建物脇に、ポツンと一里塚跡がある。何も残っていない。
そしてまもなく東の外れ、神沢川酒造場がある。煙突に書かれた銘柄はなんだろう。
その名は、正雪でした。大切そうに抱えて出てきた人がいた。
宿場の東方面の探訪を終えて、今度は西方面へ。食事をした井筒屋を過ぎると、由比川橋となる。
橋のたもとのお堂には石仏がたくさん祀られていた。川守地蔵など。
桜えびだけではなくて、しらすという選択肢もある。
二重三重の化粧垂木の木口が印象的な建物。
レトロ感溢れる2棟の建物があって、ここが入口のはずだ。
カネボシ食品の右横に、浜石岳の標識を見つけた。今年の一月に、ここから浜石岳に登ったのでした。もう懐かしい感じがする。今日はここを折り返し地点とする。歩行距離:5.0km
この路地が登山道です。
興津宿
今日の最後は興津宿で、ここでは清見寺だけ拝観していきます。今までは街道から見上げるだけで通り過ぎていた。とても気になる存在だった。参道は跨線橋になっている。
ちょうど静岡方面行きがやってきた。
清見寺は7世紀後半の白鳳年間に、東北の蝦夷に備えて関所を設けたのが始まりである。鎌倉時代の再興を経て、足利尊氏の庇護も受けた。家康が幼少の頃は、清見寺和尚により教育を受けたということだ。なので江戸時代は安泰だった。
岩手出身でこの寺に入ったという奥方の説明を受けてから、拝観していきます。
生き抜いてきた時代が、随所に染み込んでいる感じがする。
庭園は江戸時代初め、山本道斉による作庭。家康もこよなく愛した。
屋外には五百羅漢がある。天明8年に造像された。草に埋もれかかった景観が、古を偲ばせるかのようである。
故人の俤を、探せば必ず見つかるという。
駐車場へ戻るときに見つけた消火栓。
これにて駿河国の第一日目終了です。
街道の旅は明日も続きます。

















































