降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

今日は江尻宿と清水湊を巡るだけで午前中いっぱいかかってしまった。この際、ゆっくりじっくりと東海道を旅していこうと思います。府中宿は静岡市街地なので今回は飛ばして、丸子宿へと進んでいきましょう。

 

【2026年4月22日:第二日目】 江尻宿~清水湊~丸子宿~宇津ノ谷峠

 

吐月峰柴屋寺

まず向かったのは丸子宿中心部の西外れから少し山に入った所、泉ヶ谷の吐月峰柴屋寺である。名前はなんとなく知っていたけれど、訪れるのは初めて。

拝観料を払いにいきます。庭園なども見ることができますから、自宅の作庭の参考にしたい。

 

堂内に上がると、さっそくお寺の方(女性)の説明が始まる。

柴屋寺は永正元年(1504)に連歌師の宗長が庵を結んだことが始まりだった。柴屋寺の竹林は京都嵯峨の竹を移植したと伝えられ、その竹林の山から十五夜の晩には月が吐き出されるように昇ってくるという。吐月峰の由来である。

お寺の方は言う「ことわざでも有名になった宗長の歌があります。」

もののふの やばせの船は早くとも 急がば廻れ 瀬田の長橋

 

「月を眺めるのは、あの石の上からです」と指さした。(写真には写ってない)

 

宗長像の前に敷いた座布団を指して「ここに座ると丸子富士が見えますから、この角度でないとダメですよ。」

 

四畳半の茶室に入った。躙口(にじりぐち)はないのですか、と尋ねたら「躙口が考案される前に造られた茶室ですから」とのこと。丸柱はこぶしの木だそうで。

 

宗長の作庭した借景庭園を見る。今から五百年以上前の庭園で、感慨深いものがある。

お寺の方は「私がいると写真の邪魔ですね」と言いながら廊下に消えていった。

 

お寺の中も外も、京都のような喧騒がないのがいい。適度な近さの会話ができるもの好ましかった。もちろん、お寺の名前も洒落てます。

 

大鈩不動尊

次は柴屋寺から一本奥の谷筋に入って大鈩(おおだたら)不動尊へ行ってみた。狭い谷筋の参道では毎月28日に丸子朝市が催されて賑わうという。

一本道の奥まった所、滝の瀬の上に不動尊がある。

今日は不動尊は御開帳していなかった。沢の両側にはたくさんの石造物が並んでいた。

 

丁子屋のとろろ汁も気になったけれど、今日はこのまま宇津ノ谷峠に向かっていく。

 

宇津ノ谷峠の道

では宇津ノ谷峠の新旧の道を歩きます。ここには奈良時代から平成に至るまで、6本の道とトンネルがある。20数年前に駿府マラソンを走った翌日に、その6本を行ったり来たり走ったことがある。もっと以前に旧東海道の山越えをした時は夜8時頃だった。

まず奈良・平安時代の道である「蔦の細道」を越えていきます。

特に古道の趣もないけれど、在原業平云々の説明板があった。

 

山道を登りつつ振り返ると、名も知らぬ山が見えた。

 

峠に着くと尾根道との十字路になっていて、片方は満観峰と書いてある。今年の初めに登った山であるが、そんな所につながっているのかと思った。

 

岡部側に下っていくと耕作地と作業小屋があった。人の気配はない。

 

道は石畳になってくる。いつの時代に敷かれたのかは知らないけれど。旧東海道がこのコースを使わなかったのにも理由があるのだろうか。

石垣も積んである。

 

大きな石畳の急坂を下りきれば、蔦の細道も終わりとなってくる。

下りきった。丸子方面は危険箇所があるため通行止めと書いてあるが、危険箇所は見当たらなかった。適切な管理をされることが望ましい。

 

伊勢物語のこの歌だが、うつとうつつを重ね合わせたところが風流なのである。「人」というのは慕う人のことなのだろう。

 

林道をさらに下っていくと公園になってきて、朽ちた建物内に古い写真が展示してあった。歴史を感じさせる絵図なのに、惜しい。

 

次は旧東海道を丸子側へ越えていく。すぐに髭題目があった。

旧東海道の割には荒れ気味だったけど、宇津ノ谷峠に到着です。

20時に越えていった時の疲労感と切迫感を思い出した。静岡市内のホテルに到着したのは21時前だった。その日は80kmを走ってきた。

 

反対側へ下っていくと馬頭観音が微笑んでいる。

 

旧東海道の峠道も下り切ると、宇津ノ谷集落の家並みが見渡せる。ここではまだ集落へ下らずに、トラバースして明治のトンネルへ向かった。

 

明治のトンネルのポータルはすぐに現れた。笹子隧道天城山隧道を彷彿とさせる雰囲気である。煉瓦積みとなっている。照明が灯るのは18時まで。

 

いかにも有形文化財という趣ありです。声が響かないのはレンガのせいか。

幻想的な世界が広がる。

 

積み方をよく見ると下半分の垂直部分はイギリス積みで、上半分のアーチ部分は長手積み(馬目地)になっている。イギリス積みは鉛直荷重や土圧に強く、長手積みはアーチ形状を施工しやすいという利点がある。そもそも当初は木枠の壁面だっが、カンデラによる火災が発生してレンガで改修したという経緯がある。

 

まもなく出口です。

 

最後に大正のトンネルをくぐり抜けて宇津ノ谷集落へ向かおう。いきなり車とバイクが通り抜けてきた。ここは今も車両通行可です。コンクリート巻立てなので、さほどの風情はない。

 

あっさりと大正時代を経由して、宇津ノ谷集落を下っていきます。板壁と瓦屋根の、適度に統一された家並みが続く。40戸ほどある。

ここはもう旧東海道だから、道もきれいに整備されていた。井戸端会議の風景もみられた。

 

軒先が無人販売所になっている。

 

道の駅宇津ノ谷峠が近づいてくると、あと2本の新道の上を渡っていく。まず国道1号東行きの昭和のトンネル。昭和34年開通。

    

続けざまに西行きの平成のトンネル。渋滞緩和のために、平成7年に開通した。

    

 

まとめてみるとこういうことですが、理解するためには現地へ行って全部通過しないと無理かと思います。今日は岡部宿も散策する予定だったが、江尻宿と宇津ノ谷峠で時間切れとなりました。また次のチャンスもあることでしょう。

 

明日は天竜川流域のダム群です。山奥まで行きます。

つづく