1991年に生まれた君へ | momoのブログ

1991年に生まれた君へ

なかなかよかったのでメモがてら。






 朝日新聞 5面 夕刊 2011 1/18  作家 重松清





 東西冷戦とバブル景気が終わって、君は生まれた。

昭和も1980年代もすでに終わって、失われた10年が始まろうとしていた。


君が生まれた年は湾岸戦争とともに幕を開け、

戦争じたいは2ケ月足らずで停戦になっても、

そのときにあらわになった新しい対立の構図はいまもつづいている。



    ◇



 1991年に生まれた君は、今年成人になる。

「ろくなことがなかった20年間だった」と嘆く声が聞こえてきそうな気がする。



いや、それは、ろくな世の中をつくってこなかったおとなを責める声だろうか。

「皆さんの未来は希望に満ちあふれています」などと言われると、

嘘(うそ)つけ、と舌打ちしたくなるかもしれない。



 でも、そもそも希望とは与えられるものなのか。


自分の外で光り輝いているものなのか。

さらにいえば、希望とは未来にあるものなのか?



 そうではない。希望はいまの自分の中にある。

君の胸の奥には、希望をたくわえる器が生まれたときから備わっているんだ、と僕は思う。



 順風満帆の未来を照らす希望は、「夢」「期待」「理想」と置き換えられる。


それももちろん大切なのだが、僕がここで話したいのは、逆境に陥ったときに初めてその存在に気づく、

いまを乗り切るための希望について――。




 自分の希望の器は、思っていたより華奢(きゃしゃ)だったかもしれない。意外とじょうぶかもしれない。

器に中身が十分満ちているかもしれないし、あまりの少なさに愕然(がくぜん)とするかもしれない。

いずれにしても、それは逆境の中でこそ試され、鍛えられる。



 去年の出来事でいえば、小惑星探査機「はやぶさ」の帰還やチリの鉱山事故の救出劇は、

ともに希望を捨てなかったドラマである。そこには夢よりも切実な祈りがあり、

理想とはかけ離れた厳しい現実と向き合う勇気があった。しかもそれは、信じて待つだけの期待とも違う。

「はやぶさ」の地上スタッフは帰還に向けて最大限の努力をしたし、炭鉱の作業員は、

ダイエットも含めてなし得るすべてをやって救出カプセルを迎えた。


「人事を尽くして天命を待つ」――その原動力を、僕は希望と呼びたいのだ。




 もちろん、人事を尽くした努力は必ずしも報われるわけではない。

がっかりすることや失望してしまうことのほうが現実にはむしろ多いだろう。それでも、絶望はするな。

希望の器がまだ割れずにいるのなら、だいじょうぶ。失望をバネに、また希望のストックを増やしていけばいい。



    ◇




 1991年に僕は父親になった。成人を迎える「君」の中には、僕の子どももいる。

だから、父親の一人として、僕は「たくさん失望しても、絶望だけはするなよ」と言いつづける。



甘いかな。うっとうしいかな。


でも、希望について語るときにはとことんまで愚直でありたい。



僕の考える希望の最も根源的な定義は「生き延びるための底力」――それ以外にはないのだから。





 高村光太郎の「道程」を知っているだろうか。

卒業式や成人式でおなじみの、〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉で始まる、

わずか9行の短い詩だ。


 いかにも胸を張って堂々と歩いていそうな〈僕〉なのだが、じつはこの詩には原形がある。

100行を超える長編詩の最後の部分だけが、いまの「道程」になったのだ。


 削られた箇所には、こんな言葉がある。


〈どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない〉

〈何といふ曲りくねり/迷ひまよつた道だらう〉


 たとえ曲がりくねった歩みでも、迷いどおしの足取りでも、歩きつづけることに意味がある。

希望とは目的地ではなく、歩くことそのものの中にあるのだ。先は長い。

休んでも、歩くのをやめるわけにはいかない。希望の大きなかたまりを一つ拾って器が満杯になるなら

話は早い。でも、たった一つの希望でしか満たされない世の中というのは、なんだか怖くないだろうか?


 小さな希望でいい。その代わり、感動やよろこびや涙や微笑(ほほえ)みなどに姿を変えているはずの希望のかけらを、たくさん。さまざまな色や形のものを、こまめに。


 ときには小説や映画やマンガが役に立つかもしれない。日常生活の中で希望のかけらを見つけることもあるだろう。おとなはその見つけ方が子どもよりもうまいはずだ。うまくなくては困る。子どもが見過ごしたものを「ほら、ここにも」と教えて、希望とは坂の上ではなく足元にあるんだと伝えて……おとなの仲間入りをする君もそうであってほしい、と願っている。



    ◇



 最後に、一冊の本を紹介する。1999年に米コロンバイン高校で起きた銃乱射事件で生き残った生徒が書いた『コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー』(太田出版、品切れ中)という本だ。

 著者ブルックス・ブラウンは、13人を射殺した犯人2人の親友で、自らも共犯を疑われ、

犯人たちの孤独や同級生の苦しみや社会の欺瞞(ぎまん)を、いやというほど見せつけられた。

 しかし、ブルックスは〈ぼくはあきらめてはいない〉と言う。二度とこんな事件が起きないように訴えつづけ、

罪と罰について考えつづける。



 〈ぼくらは、世界に対して無力さを感じることに負けてはいけない〉



 生まれてから今日まで〈世界に対して無力さを感じること〉が霧のようにまとわりついていたはずの1991年生まれの君に、この本の最後の言葉を伝えたい。




 〈希望を捨ててはだめなんだ〉




――事件の3年後、21歳になったブルックスは、そんな言葉で長い手記を締めくくっていたのだった。



    ◇





 しげまつ・きよし 1963年、岡山県生まれ。『ナイフ』『エイジ』『ビタミンF』など、子どもと家族が抱える問題を先駆的に小説にしてきた。中学校でのいじめ自殺事件を題材にした『十字架』で吉川英治文学賞を受賞。小説以外にもルポルタージュや社会批評、書評など幅広く活躍している。







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とうとうGDPでも中国に抜かれた。

右肩下がりの世界しか見てこなかったボクらの世代は
どこか未来に対して後ろ向きなイメージを持っている。

今社会を支えている世代や、バブルに踊った世代、現役を退いた団塊の世代に
少なからず恨みをもち、終わらない争いの世界に無力さを感じる事も多い。


たとえ”迷い迷った道”になっても
自分たちの中にある希望を失わずに生きていきたいね。




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