『それを言ったのは、誰?』ごく自然に起こる刷り込みに気づく問い。 | ゆうこ/彩り豊かな世界を生きる

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思い込みや常識・観念の刷り込みって

自分の使っている言葉にも

現れているものです。

 

 

昨日、

わたしが言ったことに

対してもらった問い。

 

 

それを言ったのは誰?

その言葉を使ったのは誰?

 

 

最初は、

え・・・私が今、話しているし

わたしの口から声出てるよね??と

一瞬キョトンとした(笑)

 

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そもそも、

その言葉を最初にわたしが使うように

なったきっかけや

そうする必要があると

その観念を教えたのは誰?

 

 

と言うことだったんです。

 

 

それで振り返ってみて

「えっ!!滝汗」っと驚愕した。

 

 

自分の中ですでに

もう終えたと思っていること。

 

 

過去の出来事から、

未だにわたしの中に刷り込まれていた

言葉や観念だったんですね。

 

 

何度かブログに

『思いと言葉を一致させる』って

内容を書いて来ているけど・・・。

 

自分でも気をつけていた

つもりだったけど。

 

 

こうやって

ごくごく自然に

自分以外のところからやって来た

観念が刷り込まれているって

気づいてびっくり。

 



でも、

こういうの持ったままになってる人って

意外と居るんじゃないかなって思う。



育った家がそうだったから。とか、

親がそうしてたから。とか、

最初に習った人がそう言ったから。とかね。



 

そして、

自分の言葉でないことは、

わたしの「何か」が載っていない言葉は、

人には伝わるものなのですね。

 

 

 

自分に対して

「これまで通り」はもう通用しないと

感じていて。

 

 

言い換えると、
 

自分の心に沿わない物事への

違和感を見過ごすことが

どうにもできなくなっている。

 

 

そして、

違和感を無視しないこと、

自分の思いやありようを

大切にすることへの

自分への許可ができて来ていると

感じているここ最近なんです。

 

 

そこからの

この一連の出来事。

 

 

自分以外の誰かの言葉を

持ったまま気がつかなかったんですね。

 

 

カバンに入れたままになって

忘れていた

結構重かった何かに気づいた!

 

・・・みたいな感じ(笑)

 

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思いと言葉を一致させる時に、

 

・そこが一致しているか。

・適切な言葉を使っているか。

 

も大切だけれど。

 

 

・自分自身からの言葉なのか。

・他人の言葉であってもその観念が

 自分のありようと繋がっているのか。

 

 

こう言う点でも確認して

心に沿う自分と現実を創りたいなと

思いました。

 

 

 

魂を磨く日々^^

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