カープ九里亜蓮投手がFA宣言した。

 

1991年生まれの33歳。

彼も言っているとおり、

メジャー挑戦するにはラストチャンスだろう。

 

彼の長所は、

いまだかつて大きな怪我をしたことのない、

そして登板間隔が短くても問題ない、

鉄腕であることと、

多彩な変化球だろう。

 

しかし彼の場合、

そういった長所はあるにしても、

高齢にくわえ、

ストレートが遅い。

メジャーサイドがどう評価するのか、

僕は大いに関心がある。

 

僕は海を渡れると思っている。

鈴木球団本部長は、

破談したらそのとき対応を考える、

と言っているけど、

九里投手の投球スタイルは、

僕はギリ通用すると思うのだ。

 

彼はプロに入って大きく成長した。

最初は敗戦処理レベルで、

終わりそうな印象だった。

 

初年度の時点で、

やがてローテーション投手となり、

最多勝まで獲得し、

開幕投手を任せられるまでになるとは、

誰も思わなかっただろう。

 

僕は彼を尊敬している。

彼のプロ野球選手としての歩みは、

賞賛してもしきれない。

 

 

千葉県立美術館で、

「浅井忠、あちこちに行く

 ーーむすばれる人、つながる時代ーー」

という展覧会が開催中のようだ。

期間は2024.10.30〜2025.1.19。

 

観に行こうと思う。

10代の頃よりずっと心酔してきた、

浅井忠の絵をまとめて観れるのは、

おそらく最後だろうし、

県立美術館はさいわい駅から遠くない。

 

浅井忠(あさい・ちゅう/1856〜1907)は、

父親が佐倉藩士。

江戸の藩屋敷で生まれ、

7歳から16歳まで佐倉の藩校で学んだ。

 

千葉にゆかりのある画家ということで、

県立美術館は研究対象にしているそうだ。

 

「あちこちに行く」というタイトルは、

浅井忠はフランスにも留学し、

京都でも教鞭を執っているからだろう。

 

彼が素晴らしい風景画を残した、

フォンテーヌブローの近くの、

グレーの村に行ってみたかった。

 

しかしパリに半月滞在したとき、

シャルトルと、

モン・サン=ミッシェルを優先し、

そちらに足を伸ばしたせいで、

行けなくなってしまった。

 

ついに浅井忠ともお別れ。

彼の画集は持っているし、

ネットでも彼の絵は観れるけど、

半世紀以上つき合ってきた彼は、

その展覧会が終わると、

遠いところに行ってしまう。

 

そんなふうに思えてきた。

 

それも運命なのだろう、

と思いつつニーチェの本をひらくと、

次のような言葉があった。

 

〈人生に別れをつげるときは、オデュッセウスが

 ナウシカアと別れたときのようにあるべきだ、

 ーー恋々とするよりは祝福を与えながら。〉

 (『善悪の彼岸 道徳の系譜』〈ニーチェ全集11〉/

 信太正三訳/ちくま学芸文庫/1993)

 

自分の人生に対しても、

誰に対しても、

僕も恋々として別れるつもりはない。

別れはつねに朗らかでありたい。

 

おなじページに次の言葉もあった。

 

〈男性の成熟とは、ーー子供のころ遊戯のおりにみせた

 真剣さをふたたび取りもどしたこと。〉

 

この言葉は初めて読んだときから、

心に残っているけど、

その純度100%の真剣さを取りもどすことは、

どう考えても不可能に思える。

 

口で言うのは簡単だけど。

 

なのでニーチェは、

男性に成熟なんてあり得ない。

最後まで中途半端。

僕にはそう言っているように、

受けとれるのだ。