臨海学校のことを書いたので、

ついでにその翌夏の林間学校のことも書いておこうと思ったら、

ほとんど忘れてしまっている。

臨海学校のことは結構覚えているのに、不思議だ。

 

ま、しかし、せっかくその気になったのに、

何も書かないというのも面白くない。

ささやかな記憶を、書きとどめておくとしようか。

 

場所は三瓶。貸し切りの広電バスで赴いた。

当時、高速はなく、とんでもない長旅。

三次から赤名峠を抜けた。

夏らしい、陽射しの強い日。

赤名峠の道幅の狭い峠道が、舗装されてなくて、

先行するバスが巻き上げる土埃が、

行く手を阻むように立ち籠めた。

 

次に覚えているのは、野外写生のシーン。

手前に大きな池があり、

その向こうに青あおとした深い森。

ただそれだけ。

どちらも、だらーっと横に広がって、

左右とも、そのまま画面からはみ出している。

知性と生命力を欠いた、だらしない絵。

そして、まだ時間があるのに、

早ばやとその絵の完成を放棄した自分。

 

野外写生が嫌いだった。

スケッチブックをかかえて外に出ると、

不思議と絵を描く気が起きない。

広い空間の中で、集中力が生じてこない。

田園にしろ都市にしろ、

ひたすらボケーッと風景を眺めていたくなる。

 

しかし、授業だと白紙で提出するわけにはいかない。

だから適当に描く。

すると、ギリギリ合格点はくれる。

それで十分だった。

 

美大受験生になってからもおなじ。

少しも成長しない。

適当に描いたら、今度は先生に怒られた。

 

あとひとつ記憶にあるのは、

日本海を初めて見たときのこと。

最終日、帰広する際に、

自分のような日本海を知らない生徒のために、

その雄姿を見せてあげようという親心か、

バスは遠まわりし、海沿いの国道に出て、

浜田を経由した。

 

日本海は、瀬戸内海しか知らない自分には、

じつに荒々しく、強い印象を残した。

 

それが記憶にあるすべてだ。

その後、浪人生のとき、予備校のスケッチ旅行で、

やはり三瓶に行ったが、

そちらも記憶は、曖昧模糊もいいところ。

 

山陰にはもう一度、両親と出雲に行っている。

出雲大社と日御碕灯台だけが目的の、

日帰りの旅だったが、

おなじく、あらかた忘れてしまっている。

 

島根県には結局3回(津和野にちょこっと立ち寄ったことがあって、

それを入れると4回)だけ、

鳥取県には、いまだに立ち入ったことがない。

広島との間に横たわる中国山地は、

自分にとって、実際以上に高い壁で、

山陰を遠い存在に押しやっている。

 

子供の頃、冬場、中国新聞の夕刊に載る、

中国地方のスキー場の積雪情報を毎日見ていた。

大山だけが、いつもケタ違いの積雪量で、

いったいどんなところだろうと、

不思議に思ったものだ。

そして山陰で、大山だけは、

いつか行ってみたいと思い続けてきたが、

結局、その機会は訪れなかった。