読書計画、というほどのものではないが、
次にあれを読み、その次にあれを、そしてあれを、
といった程度の心づもりはいつもしている。
しかし、当然ながら、漠然としたイメージ通りに、
事がはこぶものでもない。
今年になって、ブルース・チャトウィンの、
『ソングライン』『黒ヶ丘の上で』を読み、
その流れで、あと2つほどチャトウィンを読んで、
ジャック・ロンドンへ、というつもりだった。
ところが、ふと思いたってブログを始めたことで、
読書まで手がまわらなくなり、
心づもりも宙に浮いた形になってしまった。
そして今、読書タイムが何とか確保できるようになり、
読書欲も復活したのだが、
YouTube大学の講義を受けて、
『サピエンス全史』のあちこちを再読していたら、
ハラリ氏の近作『21Lessons』を読みたくなって、
すぐにネットで注文してしまった。
元の心づもりは白紙にはなってないが、
そちらを読むと、またどういう状況になるかわからない。
ま、それはそれとして、
やはり、大江健三郎氏のように、
3年とか5年とかの期間、1人の作家に絞って、
すべての著書、主な研究書を読み込んでいく、
という大きな柱を打ち立ててないから、
そのときどきの風まかせになってしまう。
したがって、いくら読書しても、
得るのは、断片的知識だけということに。
そしてその知識も、片っ端から風に運ばれていってしまう。
大江氏のようにしたいとずっと思ってきたが、
結局自分にはできなかった。
『人間滅亡の唄』は、もう読み終えた。
「解説」で秋山駿氏が、
〈人間の生存の本当の急所は、(中略)
「ほんとうに幸福な姿は淋しさに似ているのかもしれない」
という辺にあるのかも知れない〉
と述べているが、その通りだと思う。
しかし、幸福な姿だけでなく、人間のどんな姿にも、
生のはかなさがもたらす淋しさが宿っている、と思う。