昨日のマエケンに続き、今日も野球の話を。
野球場がうるさくなったのは、
カープが初優勝した1975年かその前年あたりからだ。
「カケフコール」や「コージコール」を、
大勢のファンが同時に叫んで、
それまでにない盛り上がりをみせるようになった。
その頃ジャイアンツは、
まだ関谷応援団長が通路を走りまわって、
観客に拍手するようにうながしていたから、
タイガースやカープのほうが、
応援に関しては、その時点では先を行っていた。
その後、鳴り物が持ち込まれる時代に移りゆくわけだが、
それはさておき、球場がうるさくなるにつれて、
当然ながら野次は、過去のものとなっていく。
それが面白くなかった。
オールドファンにとって、
野次のないプロ野球なんて、ありえないことである。
球場が静かな時代には、
どの球場にも野次の名人がいて、
彼らの声は遠くまで届き、
試合中、何度も多くの観客を笑わせた。
球場に足を運ぶ楽しみのかなりの部分を、
野次が占めていた。
しかし、大阪の野次はエゲツなさすぎて、楽しめなかった。
大学時代に研修旅行で奈良に滞在していたとき、
休日に森ノ宮まで電車に乗って、
日生球場に近鉄とロッテのデーゲームを観に行ったのだが、
当時のロッテの金田正一監督に向けて、
これでもかこれでもかと浴びせられる野次は、
人間性を疑うようなものも多数ふくまれていた。
たった1度の観戦で、大阪全体が同様である、
と言う気はもちろんない。
ただそのとき、ライトスタンドの自分の耳に届いた野次は、
そんなふうだった。
首都圏で2軍の秋季リーグ、「コスモスリーグ」が行われていたとき、
武蔵浦和のロッテ浦和球場にカープが来たので観に行った。
すると、狭い1塁側スタンドに、野次の名人がいた。
自分よりやや年上の団塊世代の人という印象で、
ユーモアにあふれ、一線をわきまえた人だったから、
スタンドは何度も爆笑につつまれた。
久しぶりに、そういう楽しい場に身を置いて、
やはり野球観戦はこうだよなあ、と思った。
それが、愉快な野次を聞いた最後だった。
いまはもう、プロ野球観戦をする気にはなれない。
プロ野球自体への情熱が低下しているせいもあるが、
うるさいうるさいスタジアムは、とうの昔に、
とおいとおい存在になってしまっている。