ファッションにまつわる最初の記憶は、

小学校に上がる前にさかのぼる。

 

近所の同世代の男児らが、

寒くなるとどんな上着を着ていたか、

具体的には記憶にないのだが、

それがジャンパーのような洋服であったことは間違いない。

 

自分は、冬はずっとチャンチャンコを着せられていて、

それが嫌で嫌でしょうがなかった。

彼らとおなじような洋服が着たかったが、

母親に訴えはしなかった。

訴えてもどうにもならないことに、うすうす気づいていた。

 

その後いつまでチャンチャンコを着ていたのか定かでないが、

学校に行く時も行かない時も、母親の選んだ服を着ていた。

そちらに関しても、カッコ良くはなかったが、

チャンチャンコ以外は気にならなかった。

 

次に服装が気になったのは、やはり思春期である。

高校時代にVANが流行っていて、

学生服の下にボタンダウンのシャツを着ている生徒が結構いた。

自分も着たかったが、高くて、買えるはずもなかった。

 

クラスメイトにはVANの靴下のコレクターもいた。

私立高校だから、金持ちの息子がたくさんいたが、

彼もその1人だった。

ぜいたくじゃのう、とからかわれると、

ワシの唯一の趣味じゃけえ、と彼は答えていた。

 

憧れのボタンダウンのシャツは、大学に入って買った。

仕送りをやりくりして、お金を浮かせた。

厚手のエドウィンのジーンズも手に入れた。

 

しかし、指をくわえていた時期の反動のひとときが過ぎると、

ファッションへの関心はたちまち薄れた。

 

実際、わが人生を振り返ってみれば、

ファッションに関心がある時期とない時期が、

交互に訪れている。

 

ある時期は、基本的に気持ちがうわついている。

理想としては、他人の目を気にせず、

好きな格好をしていたい。

タルホ先生のように、着物を着たいとは思わないが、

暑さ・寒さをしのげる服なら何でも構わない。

 

ここ何年か、買うのはユニクロかGUばかりといってもいいが、

それでも自分には上等すぎている。

 

今年になって、着なくなった服を旧職場の青年たちにあげたり、

衣装ケースを5個処分したりしたが、

まだまだ服は、夏用も冬用も有り余っている。

残りの人生を考えると、新しい服を買う必要などまったくない。

というか蔵書同様に、

もっともっと絞り込んだほうがいいだろう。