こむずかしい本と格闘すること、

そして、何かについて、

あるいはふと思ったことなどを文章にすること。

 

あとどのくらい生きながらえるかわからないが、

何はさておき、この2つを生活の中心に据える。

そうしたい。

いや、先日引用した三島由紀夫の考えに従えば、

そうしたい、ではなくて、そうすべきだ!

今日あらためてそう思う。

 

 

〈おお、自然よ。僕を君にお返しする。/僕のひもじさも、

渇きもみんな添えて。〉

 

 

ランボーの「忍耐」(金子光晴訳)の一節。

この心境には、とっくになっている。

 

「忍耐」は、自分が初めて買った個人全集、

『ランボー全集』(雪華社1970年刊)に載っていて、

何度も読んできた。

 

『ランボー全集』は、定価2,300円。

当時、予備校の近くにタカキベーカリーの支店があって、

併設の食堂で、70円か80円のイタリアン(当時広島ではナポリタンではなかった)

を昼食にすることが多かった浪人生の身には、恐るべき高額。

どうして捻出したのか覚えていない。

買ったのは、溝本積善館か金正堂か丸善か?

 

ランボーのことは、高校生のとき、

早熟の同級生に教えてもらったように記憶している。

 

 

〈重大なことはランボーの名が僕の精神のなかに

しっかと刻みつけられたことだ。〉

 

 

ヘンリー・ミラー「ランボー論」

(『ヘンリー・ミラー全集12』新潮社1967年刊所収)

 

当時、ランボーの本は入手できなかったと思うが、

36歳で初めてランボーを知り、

それから数年のあいだ作品を読まなかったにもかかわらず、

なぜかそのような事態が生じたヘンリー・ミラー同様に、

自分にもそのような事態が生じたのだった。

 

いつも思うこと。

結局は青春時代に帰っていく。

当然ながらランボーの世界にも。