学生時代から、本棚はずっと、
事務用のリーズナブルなものを使ってきた。
1架時代が長かったが、しだいに増えて、
ここ何年かは、11架に余すところなく本を並べていた。
しかし身の回りをコンパクトにする必要が生じ、
人生頂点の11架時代も終わりを迎えた。
とりあえず6架を処分することにした。
本は古書店に引き取ってもらい、
本棚のほうは、旧職場の同僚に、再利用してもらうことにした。
本は先日、本棚は今日片付いた。
本と本棚がそれだけ無くなると、じつに気分がよろしい。
大学に受かって上京したとき、
広島から持ってきた本は、
平積みにして、机の高さに届かなかった。
そこまで減らしたい気もする。
実際、肌身離さず持っていたい本は、
そのくらいまで絞れるかも知れない。
大学のとき、サッカー部の同学年メンバーに、
極めつけの読書家がいた。
仲良くなって、1度彼の家に泊まりに行った。
井の頭線の、たしか新代田が最寄りの駅で、
駅に近い住宅街に彼の自宅はあった。
その住宅街の景色を乱さない、
中流家庭風の家の中に入って驚いた。
板敷きの6畳くらいの彼の部屋から、
本があふれて廊下にはみ出していた。
あまりに本が多いので、
たくさんの本が床に平積みされていたが、
大事な本はガラス扉の付いた、
値段の高そうな本箱に納められていた。
そんな立派な本箱を実際に見るのは初めてだった。
本にホコリが積もらなくていいな、と素直に思った。
しかし、と同時に、
こんな贅沢な本箱がある暮らしは自分には合ってない、
とも思った。
後者の思いが、自分の生涯をつらぬいた。
自分は、事務用の本棚がふさわしい暮らしを生涯し続けた。
根っからの下層階級、と言えるかも知れない。
読書家の彼は、
文学青年くずれなんて最低だよ、
オレは敗北者にはなりたくない、
とそのとき言った。
有能なのにもったいないと思った。
思ったことを口にすると、
オレは高校生のとき、文芸評論を1篇書いた。
ツテがあったので、さる高名な評論家に読んでもらったところ、
絶賛してくれた。
オレはそれで充分だった。
オレの文学の道はそれで終わった。
という話をしてくれた。
彼はサッカーにおいてもプレー・理論ともに長けていたし、
恐ろしくハイクオリティな人だった。
しかし、いわゆる大志をいだくタイプではなかった。
結局彼は、彼らしく堅実な道を選んだ。
大学を出ると、銀行員になった。