酒はよく飲んだ。
といっても、連日、朝まで飲むほどの体力はなかったし、
もともと胃腸も丈夫ではなかった。
そして、20代の終わりまで酒の旨さがわからなかったので、
それまで飲む機会も少なかった。
だから、トータルすれば、
酒豪といえる人たちの酒量にははるかに及ばないだろう。
及ばないから、肝臓病とは無縁だったのかも知れない。
しかし、50代になって胃潰瘍になった。
明らかに酒が大きく関与している。
さいわい飲み薬だけで治ったが、
血を吐いたときは、マジメな話、もうこれまでかと思った。
おととし発症した胃癌も、酒がひとつの原因かも知れない。
胃癌の診断が下ってから、酒は飲んでいない。
ドクターストップがかかっているからだが、
酒も飲む習慣がなくなると、飲みたくはならない。
スーパーで居並ぶ酒瓶を目の当たりにしても、
心が動くことはない。
酒も好みは十人十色だから、
あれが旨いこれが旨いといっても始まらない。
自分の好きな酒を、愛飲すればいいだけだ。
もちろん、自分なりに情報は仕入れる。
気になった酒は、機会を見つけて飲んでみる。
気に入れば世界は広がる。
その昔、埴谷雄高を読んでいて、
彼が毎晩飲むというトカイワインを知った。
初めて飲んだのは、渋谷のロシア料理店だったか、
世界が確実に広がった。
ゼロ年代のはじめまで、酒はおもに酒屋で買った。
それ以後買わなくなったのは、
近くの酒屋が次つぎに店じまいしたからだ。
レジで店番の人と話をするのが好きだったので、
残念というほかない。
1年ほど国分寺に住んでいたとき、
近くの酒屋は、いつも綺麗なお姉さんが店番をしていた。
あまりにタイプのひとだったので、
そのひととだけはどうしても話すことができず、
結局、1度も話さないままに、
名古屋に引っ越すことになってしまった。
千葉に越してきて、
某テーマパークの建設現場でバイトしたことがあるのだが、
そこで知り合った大先輩の左官屋さんと、
仕事帰り、最寄りの駅で出会ったときのこと。
スタスタとホームのキオスクに向かった左官屋さんは、
缶コーヒーを買ってきて、
飲みなよ、と言うと、1缶くれたのである。
困った。
下戸の左官屋さんは、仕事終わりにコーヒーでいいのかも知れない。
しかし、こちらは、1日の長い労働から解放されて、
まず飲みたいのは、ビールか缶チュウハイである。
その酒飲みの気持ちが、左官屋さんにはわからなかったのだろうが、
あとで飲みます、というわけにもいかない。
あんな不味い缶コーヒーもなかった。
そのあと飲んだビールも、ちっとも旨くなかった。
酒にまつわるエピソードはいくつもある。
機会があればまた書きたい。