昨日、たまたま三島由紀夫の文章を引用したので、

今日もひとつと思って他の著書をあたったのだけど、

自分の今日の感覚にピッタリくるものが見当たらない。

 

しかし、宝物はあきらめかけたころ、

見つけようという欲望が消えかけたころに、

往々にして発見される。

 

最後に開いた、中村光夫VS三島由紀夫『対談・人間と文学』

(講談社文芸文庫2003年刊) に、忘れていた三島の名言があった。

 

 

〈ことばというものは終わらせる機能しかない。

はじめる機能などありはしない。表現されたときに何かが終わっちゃう。

その覚悟がなかったら芸術家は表現しなければいい。〉(P.238)

 

 

三島の姿を実際に見たことはない。

もう少し早く生まれていれば、

東大全共闘との対話に駆けつけることもできたかも知れないし、

何らかのかたちで、謦咳に接したかも知れない。

彼にはいろいろと学んだので、とても残念に思う。

 

彼の自決は、人生でいちばんの衝撃をもたらした。

そのニュースを聞いたとき、まだ19歳だった自分は、

もっと生きて、もっと教えてよ、

と反射的に思った。

 

その後、彼の著書を何冊も買って、

自分なりに勉強していったのだが、

ただ自分は、三島の何から何まで受け入れたわけではない。

自分は柄谷行人の次の言葉を、心から尊重する者である。

 

 

〈左翼にならないようなエリートなんてありえないのです。〉

 

(『柄谷行人インタヴューズ2002-2013』講談社文芸文庫2014年刊

P.104〜105)

 

 

中村光夫は鎌倉で何度か見かけたことがある。

いつも遠い地平を眺めているような視線、そしておだやかな表情、

それが印象的だった。