子供の頃、近所に朝鮮人家族が住んでいた。

お父さんは廃品回収業をしていて、

外国人訛りの日本語を喋った。

 

子供たちは自分と同世代。

だから、一緒によく遊んだ。

彼らと遊ぶのは楽しかった。

 

そのうち、一家は町の中心部に引っ越して行った。

淋しかったけど、訪ねては行かなかった。

自転車を持ってなかったので、

行くとしたら歩くしかなく、歩くには遠すぎた。

 

当然ながら、一家とは疎遠になった。

子供たちとはおなじ小学校に通っていたが、

生徒数が多かったこともあってか、

滅多に顔を合わすこともなかった。

 

小学校では、朝鮮人の悪口を陰でいう生徒がいた。

その生徒は、朝鮮人にひどい目にあったとかではなく、

ただ陰口をたたいているだけだった。

 

その生徒の家族の、あるいは周囲の誰かが言っていることを、

真似しているのかも知れない。

そう推理する能力はまだなかったが、

いずれにしても、その生徒の気持ちが理解できなかった。

 

中学1年のおなじクラスに、

明らかに朝鮮系とわかる苗字の生徒がいた。

ある日、日本史の授業で、

その生徒の苗字についてとやかく言ったらダメだぞ、

と普段おだやかな先生が、キツイ調子で言った。

先生がなぜそんなことを言うのか、

それも理解できなかった。

理解できるまでに、その先まだかなりの日数が必要だった。

 

とにかく、この日本という国も、

いろんな民族の血が混ざりあって出来ていて、

言ってみれば、この国の住民みんなが混血であるのに、

というか、人類みんなアフリカ出身なのに、

いま現在のわずかな差異で差別するなんて、

自分には考えられないことである。

 

とはいえ、朝鮮がとくに好きなわけではない。

もちろん嫌いでもないが、

北にも南にも1度も行ったことはないし、

これからも行くつもりはない。

特定の食べ物を別にして、

その他のことにはまるで興味が湧かないのである。

 

初めて朝鮮の特定の食べ物にハマったのは、

30代も終わる頃のことだが、

すでに閉店した、広島は南大門のユッケである。

値段的には贅沢と言えたけど、

生肉の旨さに魅了されて、足繁く通った。

 

その南大門での、いつまでも忘れられない恥ずかしい思い出。

ある夕方、隣の席にどこかで見たことのある紳士が座っていて、

1度、目が合ったのだけど、

誰かわからないので会釈もせずに店を出たら、

しばらくして、自分が講師をしていた、

中学の校長先生であることに気づいたのだった。

 

その後、友人の韓国土産にもらった本場キムチの、

和製のものとはあまりにレベルの違う旨さに驚かされたし、

いまはネットでたまたま情報を得た、

コチュジャンがなくてはならない存在になっている。

 

いずれにしても朝鮮に関して、自分が興味が湧くのは食だけである。

とはいえ、その方面をみずからすすんで開拓しようという意志は、

まるでないのだけど。

 

朝鮮人を差別する人たちに関しては、話にならないし、

話にならない人たちとおなじ土俵に上がるにはパワーがいる。

自分に、もうそのパワーはない。

いや、もともとなかったかも。