洗濯機を買い替えた。
これまで使っていたのは、
92年に買った老いぼれ品。
とはいえ、まだ十分に役目を果たしてくれるスグレモノだが、
思うところあって、新品にすることにした。
振り返ってみれば、老いぼれ洗濯機は、
国分寺-名古屋-千葉-千葉と、
3都市4軒で28年間活躍してくれた優秀なアシスタント、
というより家族の一員になりきっていた存在。
感謝の一語である。
洗濯といえば、わが実家に洗濯機のない時代を、
かすかに覚えている。
どちらもずいぶんとくたびれていた、
大きなタライと洗濯板が、
勝手口付近の土間に、いつも置かれていた。
わが家は、目の前に水量豊かな川が流れていて、
洗った洗濯物は、その川ですすいだ。
土手の石段を下りたところに、
桟橋のような、すすぐための木製の足場がつくられていて、
近所の奥さんたちも、みんな洗濯物をかかえてやってきた。
そのすすぎ場は、同時に数名が作業することができたから、
立派な井戸端会議場でもあった。
洗濯機を買っても、すすぎだけは川でする奥さんも多かった。
しかし、時代は移りゆく。
やがてどの家庭にも洗濯機が行き渡るようになると、
すすぎにくるメンバーが徐々に欠けていった。
そのすすぎ場は、台風や集中豪雨の際の奔流で何度も流され、
そのたびに新設されたのだが、
いつしか流されたままになった。
洗濯機の普及が、恰好の井戸端会議場をひとつ奪った。
奥さんたちの連帯感が、そのぶん弱くなった。