昼前に千葉駅に着いた。

ホームの階段を上ると、

閑散、というほどではないが、

いつも混雑する改札口周辺の人数(ひとかず)は少なめ。

マスクをしない人も減っている印象。

 

改札を出て、ペリエ入口の貼り紙を見ると、

食料品・ドラッグストアなどの店舗を除いて全館臨時休業。

ハンズでモレスキンのノートを購入しよう、

ついでにコロンビアの店も覗いてみよう、

という考えは、やはり甘すぎた。

 

用事を済ませて、そごう地下へ。

千葉駅に降りると、その一角にある崎陽軒にたいてい立ち寄る。

そして、シウマイかシウマイ弁当か、

あるいは両方を手にして帰途につく。

 

一時、弁当が売り切れという状況に何度か遭遇して、

店員に、もっとたくさん常備してほしいとお願いしたことがあるが、

最近は買いそびれたことはない。

お願いが聞き入れられたのか、

崎陽軒が独自に学習したのか、

幸運がたまたま続いただけなのか。

 

シウマイは20歳の時にはじめて食べて、

その旨さに感動して以来の大好物。

上京後しばらくして横浜市の辺境に移り住むと、

横浜駅で売っていたシウマイ弁当を、

ふところに余裕のある時は買い求めた。

以後も、買える状況にあれば、よく買って夕食にした。

 

シウマイを知るのが遅かったのは、

そもそもわが家と、わがふるさとの田舎町に、

中華料理という文化がなかったからだ。

 

大正生まれの母親は、日本料理しかつくれなかったし、

シウマイの説明をした時も、

どんな食べものか、想像もつかないようだった。

 

田舎町には、ラーメン屋もなかった。

ときおり夜鳴きそばの屋台がまわってくるだけで、

ラーメンといえば、九州ラーメンの棒状の乾麺だけだった。

どちらも不味いとは思わなかったが、

母親のつくるうどんの足もとにも及ばなかった。

 

そんな状況だから、餃子にしても、

初めて食べたのがいつだったのか覚えてないが、

とにかく子供の頃は未知なる存在だった。

 

それはさておき、そごうの地下でも臨時休業の店が見受けられた。

仕入れ先の都合でお休みします。

そういった意味の掲示をしている店が多かった。

売り場全体に活気がなくはなかったが、

空虚な印象もぬぐえなかった。

 

果たして元の活気は戻るのだろうか。

戻ってほしいと願うが、

依然、不気味な気配が漂い続けている。