映画を観るにあたって、この本を参考にした。
辻邦生著『私の映画手帖』(文藝春秋88年刊)。
装丁は、スーパースター菊地信義だが、
カバーと帯のデザインに関連性が乏しいのは、
時代的に致し方ないだろう。
この本は本当に参考になった。
辻邦生がもともと好きだったのでこの本に頼ることにしたのだが、
まさに未知のワンダフル・ワールドがこの中にあった。
たくさんの作品・監督をこの本で知った。
毎日のようにページをめくって、楽しく知識を吸収した。
そして、紹介されている作品を1つひとつ観ていった。
しかし、いま久しぶりにこの本を開いてみると、
光り輝いていたワンダフル・ワールドは、
その輝きを失くしたどころか、
すっかり廃墟となった街のような印象を受けるのである。
自分が、20年近くも映画の世界から遠ざかっていることが、
おそらく大きな理由だと思われる。
言ってみれば自分は、映画の世界にノスタルジーも感じない、
隔絶した地の果てのようなところまで来てしまっている…。
いずれにせよ、この本に採り上げられている、
キューブリックやタルコフスキーやアンゲロプロスらの世界は、
自分にとっては、とうの昔に閉じられた世界で、
そこへ戻ることは、もはやあり得ない、
と強く感じたのである。
〈一作ごとに野心的な主題と仕かけを考える点で、
キューブリックは純粋の芸術家、映画哲学者と呼んでいい人だ。〉P.119
〈タルコフスキーほど深く激しく言うべきことを言っている芸術家は
稀ではないか。〉P.304〜305
〈どの時代にも、芸術創造には、時代特有の困難がつきまとう。
現代も、その点、例外ではないが、
その困難さが、実に奇妙な具合にまわりくどくなっている。
それは一口に言うと、すべての困難さがなくなったために生じた困難さ、
とでも言うべきものだ。(中略)/
テオ・アンゲロプロスの『シテール島への船出』は、
人生の半ばにさしかかった一人の映画監督が、
人生的にも芸術的にも、こうした奇妙な困難さに逢着した物語、
と言うことができるかもしれない。〉P.345〜346
といった引き込まれるようなくだりに接してもである。
しかし、すべては人生の流れの中の出来事。
素直に受けとめるだけだ。