80年代の半ば過ぎから90年代の終わりまで、

映画をよく観た。

当時隆盛のレンタルビデオ店だけでなく、

映画館にもしばしば足を運んだ。

 

若い頃はほとんど観てないので、

映画の世界を新鮮に感じた。

だから、言ってみれば舞い上がってしまって、

休みの日は、開店時刻にレンタルビデオ店を訪れ、

当日返却のビデオを5本もレンタルするなど、

いま思うと無謀なことを、平気でしていた。

 

そんな按配だったから、

肝心の内容は、観たハシから忘れてしまう映画が多かった。

もったいないことをしたものだ。

いまだと、そう言える。

 

その時代のエピソードは、もちろんいくつもある。

大島渚監督の遺作となった「御法度」を、

もしかしたらそうなるかもと思い、

気合を入れて観たこと。

黒澤明監督の遺作「まあだだよ」を、

封切り日に観に行くと、

満員で入れてもらえなかったこと。

北野武監督の「HANA-BI」は入れてもらえたけど、

立ち見客がいっぱいいて、大盛況だったこと。

などなど、書き出したらキリがない。

 

しかし、ゼロ年代になって、

読むべき本をあまりに読んでないので、

何とかしたい、と思うようになった。

 

とはいえ、映画をそれまでのようなペースで観て、

納得いくだけ本も読むのは、時間的に不可能もいいところ。

結局、思いきって映画を切り捨てることにした。

そして、夏目漱石を読み始めた。

 

漱石作品はひととおり目を通したが、

自分としては『吾輩は猫である』が、

ダントツで気に入っている。

ただ全体的にみると、漱石は自分好みの作家ではなかった。

弟子の、内田“まあだだよ”百閒や、天下の大秀才芥川のほうが、

よほど相性がよかった。

 

しかしそれにしても、世の知識人は、

本も映画も音楽も美術も政治も経済も、

ありとあらゆることに目を配って日々暮らしている。

まったくもって恐れ入るばかりだ。

自分は知識人になりたいと思ったこともあったが、

しょせん、恐れを知らぬ高望みだった。