大学の入学手続きをする際、

母親も一緒に上京した。

息子に入学金などの大金を持たせるのが不安だったのか、

息子の通うことになる大学をひと目見ておきたかったのか、

理由はわからない。

とにかく母親は、48年前の春、息子と行動を共にした。

 

三鷹の親戚の家に泊まり、

新居となる、草加のアパートにも足を向けた。

アパートに着くと、近くの商店街で布団を買ってくれた。

それから机と椅子も。

 

布団の値段は覚えていない。

机は5,000円、椅子は4,000円だった。

椅子はさておき、机は別の美大に進んだ友人も使っていた、

安価な普及品だった。

 

机を買うときの母親の発言を覚えている。

ちゃんとした家を構えたとき、

立派なのを買えばいいし、

いまは、とりあえず、こんなので十分。

そんな意味のことを言った。

 

そのときは自分もその通りだと思った。

しかし、とりあえず、は怖い。

何においても、とりあえずのつもりが、

いつのまにか強い意味を持ち、

動かしがたいものになる。

 

実際、その机は、48年経ったいまも、

わが居間兼食堂兼書斎に、堂々と鎮座している。

椅子も、背もたれを支えるパイプが壊れなかったら、

今なお使っているに違いない。

 

そのようなことは、他にも何度か経験した。

だから、とりあえず、の怖さは、

重々承知しているつもりである。

 

しかし最近、ふと忘れてしまう一件があった。

蔵書を処分するにあたり、

気になる箇所をノートに書き写し、

本は古書店に、あるいは資源ゴミに、

ということは前回も書いたが、

適当なノートがないので、買うことにしたのである。

 

第1候補は、ブルース・チャトウィンが愛用していたという、

モレスキンのノートだった。

しかし、千葉駅のハンズで実物を見てみると、

モノはいいけど値段がちと高い。

で、とりあえず(!)、うんと安いロディアのB5サイズを購入した。

 

帰宅してさっそく使い始めてみると、

ロディアも長く売れ続けているメーカーなので、使い勝手がいい。

買って1ヶ月が経ち、

いま現在は、もうずっとこのノートでいいかな、

と思うくらい気に入っていて、

しかも、なんとなんと、

残りページが少なくなってきたので、

おなじノートをネットで注文までしたのである。

 

なので、チャトウィンを読んで憧れ、

いちばん欲しくなっていたモレスキンのノートは、

もしかしたら、1度も使わないまま、

というケースだって、充分にあり得るようになったのである。

要するに、とりあえず、の怖さを忘れたために、

かくなる事態が生じたのだった。

 

しかし、モレスキンのノートを使わないままというのは、

自分としては、やはり有り得ないこと。

1度は活用してみたい。

 

今度、ハンズに行ったら、

もう一度実物を手にとって、

気に入ったタイプを選ぶことにする。