しらじらしい、長崎幸太郎という「おみこし」
あまりに、しらじらしいシュプレヒコールである。いつのまにか山梨県の自民党の「顔」にまつりあげられた長崎幸太郎氏かつてあれほど、厚顔無恥なふるまいを繰り返し、山梨県の保守を弱体化してきた、この御仁を今またかつぎあげることになった我が山梨県の自民党。ただただ、自前の候補を立てたい!というちっぽけなプライドを満たしたいだけの、内輪の論法の結果であり、全幅の信頼を寄せられるだけの大義もなければ、この山梨県の未来を託せるだけの期待感も感じられない。こんなかたちで、本当に山梨県政をしょって立てると思っているとしたら想像以上に、我が山梨県の自民党は、おめでたいとしか言いようがない。県民不在。コップの中の論理。ここに極まれりである。しかしながら、賢明な山梨県民はわかっている。良質な保守は、知っている。長崎幸太郎という御仁の資質に、致命的な欠格があることを。