村雨の露もまだひぬまきの葉に
霧たちのぼる秋の夕ぐれ 寂蓮法師
(小倉百人一首・寂蓮法師俗名藤原定長。藤原俊成の養子となるが、俊成に定家が生まれたため、30余歳で出家。歌は多く残している)
ここ数日の間、嵯峨嵐山一帯は、朝から晴れていた空がいつの間にか雲に覆われにわか雨と雷。
自然の気まぐれか、いたずらか。
雨上がりの山々は煙立つ。大きな山も、小さな山も煙立つ。
ある時には山々の霧立つ様子に寂しさが募る。
ある時はじっと眺めていると、その勢いのよさに
寂しさまでも一緒に持っていかれるような清気を感じる。
置き土産のような湿った空気に纏われる
秋晴れの待たれる
日中30℃は下らない日々
晴れては曇る世の変転
曇ったまま、更に曇る世界
晴れては曇る持て余す心
山山に霧が立ち
消えていくように
こころのもやもやも
いつか消えていくのか
消し去れるのか
2年半もコロナに振り回されている中で
大切な歳月を失くしていく
こころは持ちようよ、という健康志向の声も
効果を持たないのは自分の性格故か・・・
何が欲しいのか
何ができるのか
なぜ寂しいのか
きっと
人との対面の会話
2022.9.3 晴後雨、曇 32℃