京北町、常照皇寺まで行きました。中の拝観はできなかったけど、侘びた佇まいを感じられただけでも満足





このお寺は南北朝時代(1362年)北朝の初代光厳天皇が建立されたお寺だとか。なぜここに天皇が建てたお寺が、というともともと京北自体が禁裏料として朝廷に木材や食料などを供給していた大事な地域だから、です。


武士の政権交代により、鎌倉幕府が崩壊し、足利尊氏による室町幕府(実際に室町に幕府の拠点を移したのは三代義満)が権力を掌握するわけですが、その間、朝廷は南北朝に分かれ、それぞれが対立する武士の傀儡として利用、翻弄されてしまいます。

天皇や公家はなんとか影響力を残そうと必死なのですが京都周辺で武力衝突が起きるとすぐ御所を追い出されるわけです。

その時、京都の北の山深い路を使って安全な場所まで逃げる路を確保しておかなくてはいけません。朝廷はこういう場所に住む人達と深い関係を築き、いざという時に協力してもらうわけです。古くから朝廷にゆかりのあるこの京北地域もとても重要な拠点の一つでありました。

以前ここで書いた「八瀬童子」もそういう関係性の人達でした。