「鎌倉殿の13人」の舞台、平安末期から鎌倉時代の化粧と女性像。 | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆敵に打ち取られた時のみだしなみ。戦場では男性もメイクした!

 

こんにちは、山村です!

2022年のNHK大河ドラマは、

「鎌倉殿の13人」。

主人公役の小栗旬が演じるのは北条義時です。

 

ドラマの時代設定は、

平安時代末期から鎌倉前期。


源平の争いからはじまって、

源頼朝による鎌倉幕府の樹立(1185)、

彼の死後の権力闘争などが

描かれる予定ですビックリマーク

 

今回は、この時代の化粧と女性像について、

考えてみました。

 

鎌倉時代といえば、

本格的な武士政権が始まった時代ですが、
歴史的に見て、

この時代の化粧はわからないことだらけ。


というのも、参考になる文献や絵画資料が、

ごくわずかしかないからですショボーン

少ない資料の中でも軍記物の

『平家物語』『源平盛衰記』には、

お歯黒をつけて薄化粧をした

武家男性が登場します。


上記の文献によれば、

メイクをしていたのは平家の武士。

しかも、大将など、

身分が高い武士だけの特権でした。


当時の男性の化粧は、

合戦で首を討ちとられた時の

みだしなみだったのです。


現代のジェンダーフリーの化粧観とは、

全く異なりますニコニコ


結果として戦いに負けたのは、

メイク派だった平家の武士。

 

貴族のいる京の都を拠点にして、

公家化した平家ではなく、

化粧などしなかった武骨な関東武士に

軍配が上がったわけで、

まさに下克上ナイフ

一方で、女性の化粧は、

平安時代の延長線上にあり、

白粉、眉墨、お歯黒、紅、髪油、香などを

使った化粧をしていたと考えられています。

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての

女性の暮らしぶりは、

男性の陰に隠れてはっきりしません。


しかし、頼朝の弟、

源義経が愛した舞の名手の白拍子(遊女)、

静御前(しずかごぜん)のような、

たおやかなイメージの女性がいる一方、

源頼朝の妻で、のちに尼将軍と称された

北条政子(義時の姉)のような、

女傑も存在していますビックリマーク

 

下の浮世絵は江戸時代に描かれた静御前。

白拍子の衣装を身にまとって踊っています。

 

「古今名婦伝」より静御前(文久1年)

 国立国会図書館所蔵

女傑といえば、

鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』には、

自ら戦場に立った

板額御前(はんがくごぜん)という

女武将が登場します。


板額御前は、1201年(建仁元年)、

鎌倉幕府の転覆を狙った建仁の乱において、

反逆者の側で奮戦した女武将。

 

『吾妻鏡』によれば、

弓の名手として知られ、

女ながらに百発百中の弓の腕前を持ち、

甲冑を身に着けて髪を結いあげ、

矢倉の上から襲い掛かる敵を射たとのことビックリマーク

 

「芳年武者无類 阪額女」1885年頃

Wikipedia 「坂額御前」より
 

『吾妻鏡』は彼女について、

態度は勇敢な武将のようだったが

美しい容姿だったとも記しています。

 

板額御前の軍勢は敗れて、

彼女は捕虜になるのですが、

そこで甲斐源氏の浅利与一

(弓の名手だった武将)に見初められ、

妻となったと伝えらえています。

 

実は、鎌倉時代には、

男女平等に財産分与をすることが

認められていて、

そのため稀に、

女性が戦闘訓練を受けて、

戦に参戦するケースもあったのですびっくり

 

静と動、どちらの女性像もみられるのは、

激動の時代だった、

鎌倉時代ならではと言えるでしょう。

 

今後、「鎌倉殿の13人」に

板額御前のエピソードが出てきたなら、

このブログの記事を、

思い出していただけると嬉しいですラブラブ

 

次回は2月3日頃更新予定。