今年の年賀状、ちと解説? | 山もっティの独り言。

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「被災地と共にある」

昨日の記事に載せた今年の年賀状

についてチト解説してみようとし

ています。何で私が龍馬像を作っ

ているのか、の答えらしきモノが

あるかもしれません。

宮城県松島の瑞巌寺に「五大堂」

があります。短い橋を渡ってお堂

を1つ建てるのがやっとの小さな

島に着きます。五大堂のカエル股

には十二支の木彫がはめ込まれて

います。年賀状に使ったヘビの像

は、今にもニュル~ンとずり落ち

て来そうな感じでした。カエル股

にはめ込む像ですから制約だらけ

のハズなのに、見事なムーブマン

なのです。ウサギは、ピョーンと

跳び跳ねている姿が歌舞伎役者の

「見得」のようにキマっているん

です。

この五大堂の十二支の像を作った

と思われる職人のグループが同じ

瑞巌寺の「御成玄関(?)」にある

「葡萄に栗鼠」の透かし彫りも

作っている気がします。よく和風

建築に見られる欄間の彫刻のよう

なモノですが、ブドウの枝や葉は

その辺に生えている木をそのまま

持ってきているかのような自然さ

であり、リスはそのうち動き出し

そうな存在感。完全に立体的な彫

刻でもなかなかこれほどの表現は

難しいと思いますが、どう見ても

厚みに制約のある欄間の彫刻なの

です。

ちなみに、この葡萄に栗鼠の彫刻

は「左甚五郎」の作であるという

説があるようで、かの島崎藤村が

「若菜集」で詩にしている彫刻で

もあります。左甚五郎の作品とさ

れている作品は全国にゴマンとあ

りますが日光東照宮の「眠り猫」

の作者とは違う気がします。瑞巌

寺の造営では刑部左衛門国次らの

職人集団が招かれたらしく左衛門

と左甚五郎の「左」がつながって

いるのもちょっと気になります。

いずれにしても、五大堂の十二支

と「葡萄に栗鼠」を見ていると、

作者が私に語りかけて来るような

感じがしました。

「俺はココまで出来るけどオメェ

さんはどうなんだい?」

桃山時代か江戸初期かわかりませ

んが、えらく高い所からアンタも

やってみるかい?と誘っているよ

うな気がしたのです(笑)

まぁ、単なる社会科の教師である

私が、こういう分野にハマっても

仕方ないのですが、やはりドコか

では彫刻の方をやってみたい衝動

はあった訳です。ソレが坂本龍馬

サンの複数の写真を見て、コリャ

どんな顔なんだい?と疑問を抱い

たコトで粘土をイジリ出したので

あります。

瑞巌寺は目の前が海なので東日本

大震災の津波でおそらく被害を受

けただろう、と思っていました。

ところが被害はほとんど無かった

らしいのです。水族館やお土産屋

には被害があったようですが五大

堂と瑞巌寺境内はあまり被害が無

かったそうで。あの多数の島々が

津波の勢いを打ち消す働きがある

らしいです。隣の東松島では多く

の方々が犠牲になっておられるの

に松島では1名?というわずかな

被害にとどまっているようです。

平安時代の貞観地震でも、津波の

被害が無かったらしいです。古く

から神聖な地域とされていたとい

う説明を松島で見た記憶がありま

すが、ようやくその理由がわかっ

た気がします。津波の被害を受け

なかったのを、神が守ったと昔の

人々は感じたのだと思います。

さて津波の被害が無かった瑞巌寺

の彫刻ですが、今後心配なコトが

あります。「修復」です。近くの

大崎八幡宮?の修復が済んだらし

いのですが、テレビで見ると創建

された時のような極彩色になって

いました…。色が落ちた古色の方

が趣きがあり、彫刻そのものの形

がよくわかります。極彩色に塗ら

ないで欲しいと願うのみです…。